元政治家で作家の石原慎太郎さんが2月1日に逝去されました。
衷心よりお悔やみ申し上げます。
で、記事タイトルですが、石原氏の生前の言葉として報道されていました。
「葬式不要・戒名不要」は、以前にも書いた気がしますが一時期ブームとなった実業家・白洲次郎(しらすじろう)さんの遺言でした。
実は、お二人は石原氏の若かりし頃に接点があったそうで、白洲氏に対して憧れをいだいておられたのかも知れません。
この二人には、中高年(特に男性?)の信奉者がおられ、その「葬式不要・戒名不要」という発信が”カッコイイ!”と反応される方が多く見受けられたので、本当に”カッコイイ言葉”なのか?自分なりに解説してみたいと思います。
■葬式不要■
葬式の意義は宗教によって違いますので、その辺のところは先ず横へおいておきます。
『葬式』は誰がために?と考えると、それは残された人にとって。
したがって、”要”か”不要”かは、残された方々の選択なんです。
【式】が儀式であることはいうまでもありません。
次が重要なのですが、【葬】という漢字は三つに分解できます。
上『草』
中『死』
下『草』
『死』という漢字は、人間の遺骸(亡骸)を象形したもの。
上と下の”草”に、”死”がはさまれたカタチが【葬】
ということは・・・『葬』という漢字は、柔らかい草のうえに、ご遺体を安置して、そのうえに色とりどりの草花をかぶせたイメージです。
日本における昔々の風葬を思うと、残された方々の「そのままにはしておけない」というやさしさが伝わってきます。
また『葬式』のことを、『お弔い』と言い換えることもありますが、
【弔い/とむらい】→【訪う/とぶらう】→【訪ねる/たずねる】・・・つまり”故人を弔う”ことは”故人をたずねる”という意味・・・もっというと”故人を敬い、故人の今をたずねる”こと。
故人の今をたずねることは、自分自身の生末をたずねるご縁(仏縁)が深まったといえるのではないでしょうか。
※お坊さんとして葬式を推奨しているわけではありません。例えば、葬式の時だけ仏教徒みたいな、形ばかりの葬式は必要ないと思います。
■戒名不要■
浄土真宗は『法名/ほうみょう』ですので、『戒名/かいみょう』は専門外・・・ですが、戒名の宗派にも知友がいますので知ってる範囲で解説します。
『戒名』は、仏教徒として戒律を重んじながら生きぬく名前です。
『戒名』をいただくためには、授戒会(じゅかいえ)という法要儀式を受式しなければなりません。
受ける側からは、授戒(じゅかい)ではなく、受戒(じゅかい)です。
したがって、本来は『法名』と同様に亡くなってから必要となる名前ではありません。
”死んだ名前”ではなく”生きた名前”です。
仏法僧に帰依(三帰依)し、仏教徒として守らなければならない規範を重んじつつ、虚仮である世間を生きぬくのです。
以下、ポピュラーな仏教戒律としての『五戒』をコピペ
五戒(ごかい, サンスクリット語: pañcaśīla, パーリ語: pañcasīla)とは、仏教において性別を問わず、在家信者が守るべき基本的な五つの戒(シーラ)のこと。
- 不殺生戒(ふせっしょうかい)- 生き物を故意に殺してはならない。
- 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)- 他人のものを盗んではいけない。
- 不邪婬戒(ふじゃいんかい) - 不道徳な性行為を行ってはならない。
- 不妄語戒(ふもうごかい) - 嘘をついてはいけない。
- 不飲酒戒(ふおんじゅかい) - 酒類を飲んではならない。
![汗](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/028.gif)
![キラキラ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char3/088.png)
![おやすみ](https://stat100.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char4/647.png)