お坊さん | 奏楽山西光寺BLOG

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浄土真宗本願寺派西光寺(奈良県香芝市関屋)は、早期から檀家制を廃止し、現在は門徒会で護持されています
環境問題へのささやかな取り組みとして超小型モビリティを導入
グランドピアノを常設し地域交流を意識した音楽イベントなども企画発信中

山科での勉強会のあとの楽しみは、本山へ向かい界隈で書籍や経本、お念珠、お香を見て回ることです。


葬祭も含めて仏事のお荘厳や作法の意味について様々な疑問を抱いていた私ですが素晴らしい本に出逢えました。


お坊さん

以下、このブログの文章は本の内容とはまったく関係ありません。


ひと昔まえによく云われたのが「日本仏教は葬式仏教に成り下がった」というフレーズでしたが、

僧籍者がもしもこのような形容の言葉を発するならば「むしろ成り下がっているのは自分でしょ?」とずっと思っていました。


少なくとも私の知る範囲内での浄土真宗における葬儀へのアプローチは決して成り下がってなどいませんでした。


もちろん商業的な葬祭セレモニーに関しては私も思うところがありますが、

基本的に葬祭業に携わるあらゆる人々のことを心からリスペクトしています。


一本芯の通った儀礼作法を提案していくのが僧籍者の務めです、先ず儀礼の重みや大切さを伝えないと。


ご門徒の方々もそんな卑怯なスタンスのフレーズに感化されている場合ではありません。


今年の仏教講演会のご講師も同じようなことを仰っていて、東日本大震災の時のことを例にあげて「お葬式」の重要さを力説されていました。


時代に合わせて簡素化されることはいいと思います。


とりあえず、この本願寺会行事(儀礼の統括者)さんの二冊をじっくり読み返したいと思ってます。





あ、この二冊は法話の教科書として。


書籍

「あけぼのすぎ」とは本願寺の裏庭にある生きた化石樹木「メタセコイヤ」のことです。



釈 俊彰かお