今から115年前の1903年(明治36年)の9月に浅草公園六区の瓢箪池畔で開催されたイルミネーション・イベントの新聞広告。
現在もクリスマスが近くなると、あちこちでイルミネーションを売りにしたイベントが行われるが、芸能や興行の聖地である浅草六区では110年前から毎夜千個以上の電球を点火させる同様のイベントが行われていたのだ。
「見落す勿れ 後にて残念を云ふ勿れ 空前の壮観たる(博覧會夜景)に優る ゼム、イルミ子ーシヨン 浅草公園池畔にて毎夜電球千余個點火し大高評なるにより十六七日の二日間特に日延す 来観あれあれ」との大時代な宣伝コピーがいかにも楽しげで、当時の人達はさぞかしワクワクしたことだろう。
当時の十二階(凌雲閣)が現在のスカイツリーと同様のランドマークタワー的な役割を果たしていたり、いつの時代も人間が楽しめるものの本質は変わらないし、夢の王国であった浅草六区では面白いことや楽しいことが次々と生み出されていたのが分かる。