「冠水」道路を「素足」で歩く愚かさ 2024.08.22 | 京都 de 茶の湯 / 西方庵

京都 de 茶の湯 / 西方庵

京都・嵐山近くで、四季の移ろいを愛でながら茶の湯を楽しんでいる侘び茶人・ 笹峯宗桓のブログです。400年以上の歴史を持つ鹿児島示現流兵法の門友として、鍛練に励んでもおります。

東京が急な豪雨で大変だったそうです。

TVを見ていて思いました。都会暮らしの皆さんは、冠水

した道路を裸足で歩くような、危険極まりないことを、

平気でなさるのだなあと。

汚濁した冠水で目には見えないでしょうが、

道路には、金属片やガラス片等の足を傷つけるような物が

沢山ある。

私なら、靴が濡れても、靴を履いて歩きます。

私は、毎年、台風の直撃を受ける鹿児島県で生まれ育ち

ました。

殆どの方は、畳の上に座っていて、台風の暴風が床下に

吹き込んで、畳ごと浮き上がった体験はないでしょう。

 

小学校の通学では、砂利の道路は茶色い汚濁した水で冠水

するのが常でした。汚濁した水の中を、多くの蛇がくね

くねと逃げ場所を探して泳いでいました。

その道路の中央部が少しだけ高くなっているので、列島

みたいになっていて、そこに多くの蛇などが避難して

屯していました。それを踏んづけながら通るのが常でした。

都会の皆さんは、鉈で薪を割り、釣瓶で井戸から水を汲み、

五右衛門風呂を沸かしたり、

鶏を飼っていて、来客があった時は、殺して、熱い湯に

漬けて羽をむしり、解体して、料理したこと等もない

でしょうね。

生命をいただくと言うのは、生きると言うのは、そういう

ことなのですよ。

皆さん、人工物の中で生きているので、生きていること

の実感がないのかも知れませんね。

だから、危険を感じることができない。

そのため、現実離れした思念をすることになってしまう。

心の備えが出来ていないのかもしれませんね。

ところで、周りの者が、「何で東京が冠水するのだろうと」

と聞くので、

『冠水して当たり前だよ。

その昔、「豊臣秀吉」が「徳川家康」の武力を恐れて、

その力を削ぐ為に、肥沃な土地の「三河」等の国から、

江戸川、荒川、利根川などの氾濫があり、沼沢等の

低湿地ばかりの地盤が緩い、痩せこけた土地の「武蔵」

に強引に国替えしたので、

家康は、排水を良く出来るようにし、湿地にベネチアの

ように多くの木杭を打ち込み、高い位置の台地を削って

平地を作るとともに、その土を運んで埋め立てて出来た

のが「江戸=東京」なんだよ。もともとが、冠水する地形

なのだよ。』と蘊蓄を述べてしまった。

 

だから、人工物が溢れているので、万全のように思われる

「東京」は、実は災害に弱い都市であることを、忘れては

ならないと思う。

その点では、「京都」の方が、ずっとましであろう。

奈良時代以前から、都は、自然災害に見舞われて、転々と

位置を変えた。

京都の直ぐ南西には、「長岡京」もあった。

最後に行き着いたのが最も安全な「京都」だった。

もっとも、中央を南北に走る「朱雀大路」(現在の千本通)

より西側の「右京」は、紙屋川、天神川、桂川などの河川

の洪水に度々見舞われるので、住む人も少なく、発達しな

かった。

結局、「平安京」は、ほぼ「左京」だけの半身だけの都に

なってしまったが、それでも、千年の「都」として立派に

機能した。

 

「関東大震災」のことも考えれば、「京都」への「還都」

も検討してはどうだろうか?

大地震は、今日来るか?明日来るか、千年先か?分かり

ません。でも、何時かは必ずきます。

(了)