エルガー作曲「威風堂々」 2024.01.21 | 京都 de 茶の湯 / 西方庵

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京都・嵐山近くで、四季の移ろいを愛でながら茶の湯を楽しんでいる侘び茶人・ 笹峯宗桓のブログです。400年以上の歴史を持つ鹿児島示現流兵法の門友として、鍛練に励んでもおります。

私は、エルガー作曲の「威風堂々」が好きです。

この曲は、バッキンガム宮殿の衛兵交代の際の行進曲として

作曲され、現在では、英国の準国歌として国民に愛されて

います。

また、私が勤務していた先の交響楽団の十八番でもありまし

たので、一層耳慣れた曲でもあります。

今日は、「威風」あるいは「武威」というものについて

考えていただきたくて、京都新聞朝刊(2014年8月20

日付)の「凡語」(朝日新聞の「天声人語」のようなもの)

に掲載されたものを、少々、引用させていただきます。

 

「凡語」

 

今から150年ほど前の幕末、京都の町はさぞ殺伐とした

雰囲気だったろう。有力諸藩が武士を送り込み、京屋敷に

陣取った。

公武合体、尊王攘夷、勤王か佐幕か。政争は武闘に向かい、

池田屋事件などが起きる。

 

▼暗殺や街角の刃傷沙汰は絶えなかった。

 「薩摩者と勝負するときは初太刀を外せ」。反幕府勢力を

  取り締まる 新選組局長の近藤勇は日頃から部下に指示して

 いたと伝わる

 

▼近藤が恐れた薩摩の剣法は、示現(自顕)〈じげん〉流と

 呼ばれる。「猿叫(えんきょう)」とも表現される雄たけび、

 気合もろともに 太刀 を振り下ろす。

 「髪の毛1本でも早く打ち下ろせ」。最初のひと太刀に

 必殺をかける攻撃最重視の剣術だった。

▼その攻撃性ゆえ、薩摩藩士が持つ刀のつばは極端にちいさな

 ものだった。相手の剣を受け止めることは頭から考えていな

 かった。

 日常の稽古でも防御は想定せず、防具もつけずに生木を

 ひたすら打ち込むことを繰り返した

 

▼小ぶりのつばには二つ穴が開いていた。ひもを通し、刀の

 さやと結ぶためのものだ。抜刀する際は、脇差でひもを切る

 必要がある

 

▼「平常は刀を抜くべからず」「刀を抜かざる境地こそ極意」

 の教えもあるそうだ。やたら刀に頼らない戒めである。

安倍晋三首相が突き進む集団的自衛権行使に、こんな歯止め

があるのだろうか。

(了)