フラメンコギタリスト「カニサレス」2023.9.08 | 京都 de 茶の湯 / 西方庵

京都 de 茶の湯 / 西方庵

京都・嵐山近くで、四季の移ろいを愛でながら茶の湯を楽しんでいる侘び茶人・ 笹峯宗桓のブログです。400年以上の歴史を持つ鹿児島示現流兵法の門友として、鍛練に励んでもおります。

8月31日に放送されたNHKのクラッシクTV

「スペインの世界最高峰フラメンコギタリスト カニサレス」

を録画しておいたので、何度も鑑賞している。

交響楽団との共演も「素晴らしい」の一言に尽きる。

そして、フラメンコギターやダンスが、ヨーロッパの流浪

の民である貧しいロマ(人)民族の中で生まれた経緯も、

誠に興味深いものである。

 

イタリア・ローマで、知らないうちに、鋭いナイフを持った

ロマ人の群れの中に入っていたときの、ヒリヒリと危険を肌

で感じた感覚を今も覚い出す。

その昔、突然、バルセロナの〇〇〇〇大のバルデ〇〇〇

副学長が飛び込みで訪問して来られ、

会議室で、二人で差し向かいで、訪問の趣旨と先方の詳しい

紹介・説明を聞いた。

 

何分、持参されたパソコンの画面を示しながら、一方的に

スペイン訛りの英語で3時間ほど熱弁を振るわれたのに、

私の方は、胸中で【カンプスって何だ? カンプスって何だ?】、

【そうか、キャンパスか】なんて言うような体たらくだった

ので、なかなか理解が追いついて行くのが大変だったことを、

(お恥ずかしい話だが、)今では懐かしく思い出す。

 

しかし、結果的に提携協定の締結に至ったことは、良かった

と思っている。

逆に、先方を訪問した時に、初めて知ったが、バルセロナの

人々は、「ここはカタロニアであり、自分たちはカタロニアン

だと述べられた(スパニッシュでは無いと)」ことが印象的

だった。

それは、スペイン戦争でも、人民戦線政府側の牙城であった

バルセロナの独立心と言うのか、誇りが為せる業なのだろう

かとも感じるものでもあった。

 

また、何か所望はないか問われて、パエリアが食べたい。

フラメンコギターを聞き、ダンスを観たいと言ったところ、

パエリアはOKだったが、ここは、スペインではないからと

言うことで、ギターとダンスを鑑賞することは出来なかった。

(註)スペイン内戦/スペイン戦争

1936年7月~39年3月、スペインでの人民戦線政府

とフランコの指揮する軍部の間の内戦。ファシズムの台頭

という世界情勢の中で、イギリス・フランスは不干渉政策

をとったが、ドイツ・イタリアは反乱軍を、ソ連と国際義勇

軍が政府を支援して国際的な戦争の様相を呈し、また第二

次世界大戦に先行する戦争となった。

第一次世界大戦を題材とした1929年『武器よさらば』を

表した「ヘミングウェー」は、スペイン戦争ではみずから

国際義勇軍に加わって従軍し、1940年『誰がために鐘は

鳴る』を著わしている。

この交流で、歴史と言うもの、民族というものについて、

深く考えさせられたこと。また、そう言ったことに対する、

我々の意識の低さをつくづくと感じさせられたことは、

以前に書いたとおりだ。

 

いずれにしろ、カニサレスのフラメンコギターは素晴らしい!