EDEN1(地球編)-1(パラレルワールド)


【プロローグ】

アメリカの物理学者ロバート・ギブソン教授がパラレルワールドの存在を発表したのは西暦2030年の事である。パラレルワールドの存在は古くから指摘されていたが、実際にパラレルワールドの世界を映像として記録したのは、人類の歴史上でも初めての事であり、世紀の大発見として世界中を驚かせた。


わずか10秒に満たないその映像に映し出された世界は、高度な文明と豊かな自然が調和する美しい世界であり、ロバート教授はその世界を『EDEN(エデン)』と名付けた。


当時はまだ小学生だった銀河 昴(ぎんが すばる)は、その映像に釘付けとなり、何十回、何百回と繰り返し映像を見た事を覚えている。そして、数百回目に見た映像から奇妙な声が聴こえて来た。


『助けて……………。』


昴は思わず息を飲んだ。ロバート教授が公表した映像には音声は無い。異世界から発せられた声が昴に届くはずは無いにも関わらず、確かに昴はその声を聞いた。


ビカッ!


(!?)


そして、次の瞬間、モニターの画面から虹色の光が放たれ、その光は昴の体内へと吸い込まれるように消えて行った。



【銀河 昴①】

西暦2038年6月

日本帝都大学

都内の進学校を卒業した銀河 昴(ぎんが すばる)は大学2年生になっていた。専攻する学問は物理学であり、昴の夢は異世界へ行く事である。


「昴、カラオケ行かね?」


「悪い、今日は西尾先生の手伝いだ。」


「はぁ、お前も真面目だねぇ、授業後まで研究の手伝いをする学生がいるか?」


学生の本分は勉強だろうと思ったが、昴は何も言わずに席を立った。遊んでばかりのクラスメイトなど放っておいて、西尾先生の研究を手伝う方が何倍も楽しかったからだ。


「しかし、君も変わった生徒だね。異世界が本当にあるとでも思っているのかい?」


異世界を研究している西尾先生が、元も子もない事を言う。


「ロバート教授が異世界の映像を公表してから8年、しかし、その後には何の進展も無いんだよ。今ではあの映像も偽物だったと言われているし、未だに異世界の存在を証明できた科学者は1人もいない。」


「それなら、先生はなぜ異世界の研究をしているのですか?」


銀河が反論をすると、西尾先生は頭を掻いてバツが悪そうに答える。


「僕の専門は宇宙理論であり異世界では無いよ。異世界の研究は趣味みたいなものさ。」


今から138億年前に宇宙が誕生したとするビッグバン理論では、ものすごい勢いで宇宙が膨張していると説明される。その最初の爆発で出来た銀河系の中に地球は存在する。銀河系は膨張する宇宙のほんの一部でしかなく、他にも多くの銀河が存在している。


「3次元の世界に生きる僕達は他の銀河に行く事は不可能なんだよ。なぜなら宇宙の膨張は光の速度より速いからね。人類が光よりも速く移動する事は出来ない。」


しかしだ───


西尾先生は、メガホンのように丸めた紙を平(たいら)に潰して微笑んだ。


「膨張する宇宙を平たくすれば他の銀河と隣接する。それがパラレルワールドの正体さ。」


時間の概念を無視して、光の速度を超越し、四次元空間を移動すれば異世界に行く事も不可能ではないと、西尾先生は言う。


「知っているかい?昴くん。オーストラリアで発見された電気虫(エレクトリック・インセクター)のことを。」


「電気虫?最近ニュースで見ました。」


「僕はね、電気虫は異世界から来たのではないかと思っている。」


「異世界から!ですか?」


西暦2038年になり世界で初めて発見された電気虫とは、それまでの昆虫の概念から大きく外れた生き物である。電気虫のエサは電気であり、電化製品や電線の内部にある電気を身体に浴びる事により成長する。驚くべきは電気虫から発せられる溶解液は、電線を覆うカバーや電化製品を包むプラスチックや鉄、ガラス等を容易に溶かす事が出来る。


「そして奴等は単細胞生物なんだ。電気虫と生態の近い虫は過去に発見されていない。」


「それは不思議ですね。しかし、それだけで異世界から来たと主張するのも疑問です。」


「あれは、ただの虫ではない。生物兵器だと思う。文明を破壊する昆虫の存在は古代の記録にも残されているんだよ。」


オーストラリアでは、既に7つの街から住民が消えている。電気虫の大量発生により街から電気が消滅し、人々は街を放棄した。そんなニュースを見たのは最近の話である。


あくまで西尾先生の仮説ではあるが、他の世界の異世界人が地球の侵略を狙っており、まずは地球の文明を滅ぼす為に電気虫を送り込んだと、あまりにも荒唐無稽な話である。


しかし、銀河 昴の頭に浮かんだのは、『助けて』の4文字であった。


小学生の頃に見た異世界の映像から聴こえて来た『助けて』の悲痛な叫びは、もしかしたら他の異世界に侵略された『エデン』の人々の心の叫びであったのかもしれない。




【銀河 昴②】

銀河 昴(ぎんが すばる)は、至って平凡な大学生である。身長は178cm、性格は穏やかで、異世界に興味があると言う以外には、これといった特徴もないし、本人もそれは自覚している。


事件が起きたのは、昴が大学2年生であった夏の日、気温が35度を越える蒸し暑い日である。その日、東京都の新宿駅前に1人の男が現れた。


「下等種族の分散で、ずいぶんと人がいるな。」


真夏だと言うのに、黒いレンチコートに身を包んだ男は鋭い眼光を光らせる。


(これだけ人が居ると、オーロラ姫を探すのも大変そうだ。魔法探知に引っかかるのを待つか。)


「いや…………。」


そんな悠長な事は言ってられない。

男はおもむろに右手を頭上へと突き出して、握り拳に神経を集中させた。


「ビッグ・インパクト!!」


ドシンッ!!


地面に叩き付けられた拳は地面を大きく陥没させ、まるで地震でも起きたように大地を震撼させる。


「きゃあぁぁぁ!」「うわっ!」「何だ!?」


新宿の街は一瞬でパニックに陥った。



新宿駅から少し離れた繁華街。


「昴(すばる)………、ニュース見ろよ!」


「ニュース?」


友達の少し驚いた声に促されるように、昴はスマートフォンの画像をクリックする。


「新宿大量殺人事件………。近いじゃないか!」


「さっきの爆発音か!どうする?」


ニュースの映像には、新宿駅前に大きく陥没した地面が映し出され、その隣に黒いコートの男が若い女性を抱えていた。


「現時点で死者は16人。現場には十数人の機動隊員が駆け付けたが人質の女性がいるために膠着状態………。やばいな、帰るか?」


昴がそう言うと、友達も賛同する。


「あぁ、こいつは危険すぎる。あの陥没、どうやってやったんだ?とても人間業とは思えない。」


映像を見る限り、穴の大きさは直径10メートル以上は有りそうだ。そして驚く事に、犯人は爆発物は使っておらず、素手で地面を打ち砕いたというのだ。


「あれは人間技じゃない。宇宙人か、異世界人の仕業だぜ。早く帰ろう!」


「異世界人?」


そこで友達は、失敗に気付いた。


「いや、冗談だって、とにかく近づくのは危険だ。わかるだろ?」


昴は少し考え込んでから口を開いた。


「確かに、異世界人の可能性はあるな。つまり異世界は存在する。確かめに行こう!」


「馬鹿!止めとけって!」


銀河 昴の異世界への執着心は普通ではない。あの男が異世界人であれば、異世界の存在を証明できる。昴の頭の中は、既にその事でいっぱいである。


「ちょっと待てよ!俺は行かねぇぞ!」 


「わかった!先に帰ってろ!」


友達の静止を振り切って昴は新宿駅へと走り出した。



【銀河 昴③】

ビビッ!


『準備は良いか?くれぐれも人質には当てるなよ。』


『了解、問題ありません。狙撃指示をどうぞ。』


男が人質となる女性を盾に居座って30分が経過していた。男の要求は【オーロラ姫】なる人物を差し出す事であるが、その人物が何者であるかは全く検討がつかない。このまま【オーロラ姫】を差し出せない場合は、再び暴れ出す危険があり早急に対処する必要がある。


(距離380メートル、北北東の風は秒速0.5メートル。狙撃に影響を与えるほどではない。)


警視庁に所属するスナイパーの男は、その銃口を黒いコートの男に向けた。


(しかし信じられんな。)


スナイパーは思う。

あの黒いコートの男は素手で地面を陥没させ、その後に複数人の通行人を殴り殺した。今のところ凶器を使ったとの目撃証言は無い。


身長こそ高いが体格はむしろ細身で、人を殴り殺せるほどの筋力があるとは思えなかった。


(いや、考えるのはよそう。)


スナイパーの仕事は、ライフルの銃弾を犯人の頭に命中させる事だ。この事件への警視庁の対応は素早かった。日本の場合は例え現行犯であっても犯人を殺す事は稀であり、通常は足や手を撃ち抜いて捕獲する事を目的とする。しかし、奴は既に16人の民間人を殺しており極刑に値するとの判断が働いた。


ビビッ!


『良し、上の許可が下りた。お前のタイミングで狙撃しろ。』


『………了解。』


狙撃班の中でもトップの成績を誇るスナイパーの男は、慎重に引き金に指を掛けた。


ドクン  ドクン


カチッ!


プシュ!!


30口径のライフルから放たれた銃弾が、一直線に黒いコートの男へと飛んで行く。サイレンサー装備のため発射時の音は殆どなく、380メートル先にいる男には何も聴こえないはすだ。


バシュ!


「がっ!?」


それは見事な腕前で、銃弾は男の額を真正面かろ直撃する。


(良し!成功だ!)


ギロリ


「!?」


ゾクゾク


直後にスナイパーの男の背筋に悪寒が走る。信じられない事に黒いコートの男は、その場に倒れる事もなくスナイパーを睨みつけた。


(馬鹿な…………直撃だぞ?)


いや────、そんな事より


(逃げなければ殺される。)


「下等種族が作った武器か。そんな武器が王家の武人である俺様に効くと思ったか。」


そして黒いコートの男は、地面から拾い上げた小石をスナイパー目掛けて投げつける。


ビジュ!


「あ…………!」


17人目の犠牲者は警視庁に所属するスナイパーの男となる。


「聞け!下等種族どもがぁ!」 


数台のテレビカメラの他にも一般人がスマホで男の映像を配信しているが、黒いコートの男は映像の向こう側にいる全世界の人間へと呼び掛ける。


「貴様等の命に興味は無い!俺の要求は【オーロラ姫】ただ1人だ。姫さえ確保できるなら、俺は元の世界へと帰る事になる。死にたくなければ余計な手出しはするな!」


ざわ


「オーロラ姫?誰だそれは?」 


「日本人なのか?」


ざわざわ


野次馬達がざわめく中で、銀河 昴は右足を前へと踏み出した。


「元の世界…………。やはり君は異世界から来た異世界人。」


「おい!青年!危ないぞ!」


機動隊の静止をものともせず、昴は男へと近づいて行く。


「あぁん?何だお前は?」


ざわざわ


「俺の………、僕の名前は銀河 昴、怪しい者ではない。君の話を聞きたい。聞かせて欲しい。」


「………何だと?お前この状況が分かっているのか?」


「こんなチャンスは二度と訪れないかもしれない。僕は異世界の事を知りたいんだ。」


全世界へ生中継されているカメラの前で、昴は男へと近付いて行く。そして、男のすぐ近くまで接近した時に男は右腕を振り上げた。


「お前に用は無い。死ね!」


バシュ!


「くっ!」


鋭い右ストレートが昴の顔面を直撃し、昴は2メートルほど後ろへ倒れ込んだ。


「!?」


「青年!大丈夫か!」


誰かの声が聞こえたが、昴は無視してもう一度踏み出した。


「異世界…………。異世界の事を知りたいんだ。」


「……………お前。」


あり得ないとコートの男は思った。

地面をも陥没させる男の正拳を顔面に受けても、死ぬどころか立ち上がって再び歩み寄る。


「お前………、なぜ無事で要られる?俺の拳は鋼鉄をも破壊する。」


「物理学の常識では、人間にはそんな力は持ち合わせない。物理学の法則を無視する事は出来ないよ。」


「な………に?」


「つまり、君の力は物理の力ではない。大気中に存在する自然エネルギーを体内に取り組み自らの力に変える技術、自然科学の応用でしょう?素晴らしい。僕の済む世界では、そんな技術は発達していないから。」


これは、西尾先生の仮説である。


『昴くん。仮に異世界が存在するとしたら、人類はどのように進化すると思う?』


『進化………ですか?』


ビッグバン宇宙誕生説が正しいなら、人類誕生までの歴史の長さに大きな差は無い。しかし進化の過程には大きな差が出るだろう。西尾先生は自慢げに話し出した。


『一つは機械科学の発展だよ。人類には他の動物には無い知能がある。人類は動かす事の出来ない大きな岩を機械を使って動かす事になる。つまり僕達の住んでいる世界の人類が遂げた進化だ。』


『機械科学………。』


『2つ目は、自然科学の発展だね。自然界に存在するエネルギーを肉体に取り込み自らの力とするんだ。過酷な環境に生きる人類であれば、そのように進化するはずだ。まぁ、本人には科学と言う認識は無いかもしれないが、科学的に分析すれば自然科学と言うのが適当だろう。』 


『自然科学って、先生…………。つまりスーパーマンのような人類って事ですか?』


『そうだね、昴くんは飲み込みが早い。そして最後の一つは精神科学………、つまり魔法の世界だ。』


『魔法?まさか…………。』


『昴くん、EDENの映像に映る世界は魔法の世界だよ。高度な魔法文明の世界だ。どの文明にも一長一短はあるけれど、魔法は憧れでもある。一度は見てみたいよね。EDENに行けたらどんなに素敵だろうか。』


黒いコートの男は、今度は昴に質問を投げかける。


「なぜだ?なぜ死なない。」


「う〜ん。」


昴は少し考えてから、困った表情を浮かべた。


「それは僕にも分からない。しかし僕には自然科学や魔法科学の力を封印する能力があるらしい。そんな夢を何度か見たんだ。」


「夢…………だと?貴様、何者だ?」


「銀河 昴(ぎんが 昴)、それが僕の名だ。」


全く信じられない事を昴と名乗る青年は言い放った。


王家に仕え、最強の武人として名を挙げた黒いコートの男″マシュー・パルテノ″は、予想に反する昴の言葉を聞いて愕然とする。


パルテノの力が通じないばかりか、魔法をも封印する能力。そんな能力が存在するのか。ここは数多く存在する異世界の中でも、文明の発展が遅れた辺境にあるパラレルワールドのはず。


「下等種族の分際で、力を封印する能力だと?ふざけるな!」


そして、パルテノが昴に攻撃を仕掛ける為に足を踏み出したその時、異変が生じる。


ガクン!


「!?」


パルテノは膝から崩れ落ち、その場に倒れ込んだ。


「お前……何をした!」


「言ったでしょ?僕の能力は力を封じる能力。下手に力を使おうとすれば歩く事も出来ないよ。普通に歩くだけなら出来るはずだけど。」


「力を封じる能力…………、まさか本当なのか。」


「夢で見たからね。彼女はそう言っていた。」


(信じられぬ……………。)


しかし、仮に昴の話が本当であれば、パルテノはオーロラ姫を探す必要が無くなる。


パルテノの世界を侵略した悪の魔法使いに対抗する術は、パルテノ達には持ち合わせていない。王国を救う為には、全ワールド最強と噂されるオーロラ姫を探し出し、悪の魔法使いを倒して貰う他に方法が無いと判断し、パルテノはこの世界にやって来た。


「昴と言ったか。お前の能力は未知数であるが試して見る価値はある。」


「試す?それは……。」


「お前の力を借りたい。わが世界、グリーン・ノアへ来てほしい。」


それは、異世界への誘いであった。夢にまで見た異世界への扉が開こうとしている。


「人質は確保した!撃て!!」


ズキューン!ズキューン!ズキューン!


「!?」


機動隊が放った無数の銃弾がパルテノの身体に命中し、目の前に血しぶきが飛び散った。今のパルテノには、自然科学の力は作用していない。昴がパルテノの能力を封印しているからだ。力が封印されたパルテノは、普通の人間と変わりは無く、複数の銃弾が直撃すれば致命傷は避けられない。


「ぐほっ!くっ…………下等種族が………。」


「おい!撃つな!」


「俺の世界の名はグリーン・ノアだ。昴………、わが世界を救ってくれ。悪の魔法使いの名は………。」


「おい!死ぬな!!」


黒いコートの男は、そこで息を引き取った。