ADAMS編
【コールドスリープ①】
ピピと小さな電子音が鳴り琢磨(たくま)はゆっくりと目を開いた。目の前に広がるのは闇だ。
(ここは…………。)
頭が朦朧(もうろう)とするが、別に損傷を受けた訳ではなく、単に意識が回復しきっていない事だと気付く。なにせ琢磨は300年の眠りから覚めたばかりなのだから。
(ここは、コールドスリープの中。)
冬眠前の記憶が少しづつ思い出されて行く。万丈 琢磨(ばんじょう たくま)が眠りに付く前の年齢は18歳。東京都内にある軍学校の最上級生である。
ピクリと動かした指先に異常が無い事を確かめた琢磨は、そのままコールドスリープの開閉ボタンへと手を伸ばした。光の射さないカプセル内は真っ暗で何も見えないが、ボタンの位置くらいは覚えている。無事に作動してくれる事を願いながら、右肩の真上にある開閉ボタンをゆっくりと押し込んだ。
ウィーン
300年振りの光が琢磨を照らし、今だに電気系統が動いている事に関心する。
(ふぅ……………。)
大きな安堵の溜息を漏らした琢磨は、カプセルから身体を起こしぐるりと辺りを見回した。そこには、琢磨が冬眠していたカプセルと全く同じ形状のカプセルが49個並んでいる。日本帝国軍学校東京支部に所属する生徒が300年前に眠りに付いた『コールドスリープ』と呼ばれるカプセル。
(俺が最初か…………?)
琢磨以外の人影は無い。50人の生徒が眠りに付いたのは同じ300年前ではあるが、解凍には若干の時間的誤差があるようだ。琢磨は他の生徒達が冬眠から覚めるのを待つことにした。
それに、他にも確かめる事は山ほどある。最初に確認すべきは日本帝国の中枢を為すメインコンピュータ『アダムス』へのアクセスである。万丈 琢磨(ばんじょう たくま)を始めとする生徒達を冬眠させたのはアダムスだ。琢磨は広い室内の前方にある第三コールドスリープ施設にあるコンピュータへと歩を進める。
ピピ
どうやら電源の消失は起きていない。琢磨はモニターのパネルを操作してアダムスとの接触を試みるが。
(やはり、ダメか…………。)
各施設には人工発電設備を完備しており、施設内への電源供給は可能であるが、外部と接触するのでは訳が違う。アダムスは敵対勢力からの攻撃を回避する為に富士山の奥深くに隠されており、ここからでは距離も遠い。当分はアダムスとの接触は無理そうだ。
次に琢磨が向かったのは、コールドスリープが置かれた部屋から少し離れた場所にある食料庫である。食料が無ければ当面の生活に支障が出る死活問題だからだ。琢磨達と同じく冷凍保存された食料は、生徒50人が100日間暮らせるだけの量が残されていた。琢磨は1つ1つ丁寧に電源が通っているのを確認し、ほっと胸を撫で下ろした。
(全て異常無し。)
冬眠から覚めても食料が無ければ話にならない。地上の様子がどうなっているのかは分からないが、すぐに飢える事は無さそうだ。
ガタ
その時、食料庫の入口付近で音が聞こえた。振り向いた琢磨が目にしたのは、黒髪が長い琢磨と同い年の女生徒である、神代 麗(かみしろ れい)であった。
「琢磨…………君?」
「麗………、久しぶり………でもないか。」
二人が冬眠に付いたのは、実年で言えば300年前ではあるが、感覚としては10数分前の出来事である。そして麗は、琢磨が冬眠前に話した最後の生徒でもあった。コールドスリープの場所は隣り合わせで、学級委員長の琢磨と副委員長の麗という順番で位置が決まった。
「他のみんなは?」
「ええと、真(しん)君とケン坊、それと茜(あかね)が起きていたわ。」
琢磨の問いに麗が答える。
近藤 真(こんどう しん)、峯岸 健太(みねぎし けんた)、霧島 茜(きりしま あかね)。いずれも琢磨と同じコールドスリープの列で冬眠していた生徒達。
「そうか、食料は無事だ、一旦戻ろう。」
【コールドスリープ②】
西暦2199年 世紀末
人類は過去に類を見ない大きな戦争に及んでいた。
中東戦域で始まった戦争は瞬く間に世界中に広がり、通常兵器では物足りなくなった権力者達は大量破壊兵器に手を付けた。核兵器による全面戦争。
200億人にまで膨れ上がった人類の30%は核戦争により滅亡し、残りの人類もその後に訪れる大寒波により死滅する。それが日本帝国のメインコンピュータである『アダムス』が予想した未来。放射能と大気に巻き上げられた粉塵が太陽光を遮り、作物の育たない死の世界では、多くの生物が死滅し、生き残れる人類は僅かに6%、つまり12億人程度との予想が出された。故にアダムスは、人類の、否、日本人の生き残りを賭けた計画を立案した。
それが、コールドスリープ計画である。
放射能の汚染が消え去り、太陽光が復活するまでの推定年数はおよそ200年。そこから大地が回復し、人類にとって生活が出来る環境を取り戻すまでの期間が100年。併せて300年後の未来に現代科学を残したまま日本人を復活させる計画。
選ばれたのは10代の少年少女5000人であった。人類が再び繁栄する為には最低でも数百人規模の人口が必要であり、男女比率は均等に2500人づつが選ばれた。そのうちの1つ、東京都内にある軍学校に所属する生徒50人がコールドスリープの中で眠りについたのが300年前の話である。
時間にして300年ではあるが、琢磨達が最後に会話をしたのは、体感では1時間も経過していない。5人の少年少女が互いの無事を確認した後にしばしの沈黙が訪れる。
(おかしい…………。)
この施設には50人の生徒が眠っているが、目を覚ましたのは5人だけであり、他のコールドスリープからは反応が見られない。
「おい、琢磨…………。」
口を開いたのは近藤 真(こんどう しん)である。クラスの中でも体格が大きく、肉弾戦なら誰にも負けないと豪語する真の顔には焦りのようなものが見える。
「電源が入っていないぞ!」
「!?」
真以外の4人も慌てて近くのコールドスリープの電源を確認する。主電源である人工発電設備が機能しているのは、室内が明るい事からも明らかである。しかし、確認したコールドスリープの電源がことごとく切れている。
「な!なんで!?」
「どういう事だ!」
「中を確認しましょう!」
麗の指示で、琢磨は近くのコールドスリープの開閉装置を手動へと切り替え、ゆっくりと扉をスライドさせる。
ガチャ
ギギ………。
「う!」
ツンと鼻をついたのは、生物の腐敗した匂いである。思わずコールドスリープのカプセルから離れたくなるが、琢磨はそのまま中を覗き込んだ。
(これは!)
「きゃあぁぁぁ!」
「!」
聞こえて来たのは、霧島 茜(きりしま あかね)の悲鳴である。茜が覗き込んだのは、琢磨から3つ離れたコールドスリープであるが、慌てて後ろへ退いた。
「死んでるわ!」
「!」「!」
「こっちもだ!他のカプセルも確かめる!」
気が動転したまま5人は次々とコールドスリープのカプセルを開けて行くが、中には腐敗した死体が眠っていた。
「…………………。」
言葉にならない。
体感では、クラスメイトと会話をしてから一時間も経っていないのに、その仲間達が腐った死体となっているのだから無理は無い。
「電気系統の故障か………。」
真のか細い声が聞こえた。
「うう………。美香、桜ちゃん…………。」
茜は大粒の涙を流して友達の名前を呟く。
ここ第三コールドスリープ施設には50人の生徒が冬眠していた。5人の生徒が10列に並ぶ形であり、カプセルへと繋がれた電気プラグは10本だ。そのうち9本が何らかの要因で故障したらしい。
「落ち着こう。」
琢磨は他の4人をなだめるように声を掛ける。
「アダムスの試算では、300年後の未来に無事に目覚める事が出来る確率は20%をきっていた。2割以下だ。」
「琢磨…………。」
「むしろ俺達が幸運であった。仲間達には悪いが俺達には目的がある。」
「目的…………。」
コールドスリープ計画の目的は、日本人が生き残る事にある。第三次世界大戦により滅亡した後の世界で、日本人が、そして22世紀の知識と技術を保持したまま存在する事が重要なのだ。
「少なくとも、俺達5人は生きている。計画は成功だ!」
琢磨は、自分に言い聞かせるように虚勢をはった。
「待って琢磨君。」
「………麗?」
麗は50番目に開かれたコールドスリープのカプセルを指差し質問をする。
「このカプセルに入っていたのは誰かしら?覚えてる?」
「誰と言われても…………。」
カプセル内の遺体は腐っており、見た目で判別するのは難しい。冬眠前の記録を辿れば判別はつくだろうが、それが重要な事とは思えない。
「どうしたの麗?」
他の3人も同じ事を思ったのだろう。不思議な顔をして麗を見ている。そして麗は、予想外の言葉を口にした。
「遺体が無いのよ。このカプセル。」
「!」「!」「!」「!?」
「カプセルの中には誰もいない。もぬけの殻よ。」
琢磨はすぐに部屋の前方にあるコンピュータのパネルを操作した。外部とのアクセスは不可能であるが、コンピュータ自体は正常に動いている。誰がどのカプセルで眠りについたかは記録に残っている。
ピピ
「桐生 大和(きりゅう やまと)。」
「大和…………。」「桐生君?」
「どういう事だ?」
「私達よりも早く冬眠から目覚めたって事よね?近くにいるかもしれないわ。探しましょう。」
茜の提案を、即座に否定したのは神代 麗だ。
「無駄ね。桐生君が目覚めたのは、おそらく私達よりも随分と前の話。」
「麗…………、なぜ分かる。」
そして、麗は言葉を続ける。
「クラスメイトの遺体は全て腐敗しているわ。数ヶ月程度の損傷ではないもの。」
「…………?」
「桐生君がカプセルの電源を落とした可能性が高い。」
「!」「なんだって!?」
「人工発電設備が機能しているのに、カプセルの電源だけが落ちているのは、誰かが電源を落としたからよ。桐生君は数十年前、あるいは100年以上前に冬眠から目覚めた。そして、他の生徒達のカプセルを操作したと考えれば辻褄が合うわ。」
「馬鹿な…………、何の為に。」
「麗、それだとなぜ俺達は生きている?9つのプラグだけ電源を落とし、俺達5人に繋がるプラグだけを残した意味は何だ?」
「それは………………。」
【コールドスリープ③】
西暦2499年
核シェルターにもなっている第三コールドスリープ施設には、大きく5つのフロアがある。コールドスリープカプセルのある冬眠フロア、食料や武器が保管している倉庫フロア、生活空間として使える居住フロア、多くの書物や会議室のある知識フロア、身体を鍛える為の運動フロア。
琢磨達5人は、コールドスリープのある冬眠フロアから離れ、10人掛けの大きな丸テーブルが5つある会議室へと移動した。大部屋の中にいるメンバーは僅かに5人と、予定よりも遥かに少ない人数ではあるけれど。
「まずは、ここにいる5人が無事に未来へ辿り着けた事に感謝する。」
学級委員長であった万丈 琢磨(ばんじょう たくま)が5人の中ではリーダー的な存在である。
「アダムスが予想した300年後の日本及び俺達の目的について確認する。モニターを見てくれ。」
手元にある情報端末は正常に機能しており、題名は西暦2499年の日本『未来予想』とはなっているが、今となっては未来ではなく現代だ。そこに書かれている内容を抜粋すると、以下のようになる。
世界核戦争後に訪れた極寒の世界により多くの人類が死滅するが、絶滅した訳ではない。日本列島に於いては南部を中心に僅かな人類が生存する事が予想される。人々は小さな集落を形成し貧しい生活を余儀なくされる。
西暦2400年代には、気温は上昇し作物の収穫量は増大する。一部の集落は人口増大により国家を形成する可能性がある。戦前の文明の多くは失われるが、完全に消滅した訳ではない。残された知識を元に造船技術や建築技術は一定水準まで回復する。
一方で軍事技術の継承は難しい。光学兵器は完全に無くなり、刀剣が主な武器となっている可能性が高い。しかし銃火器の一部は古代兵器として残っている可能性はある。
近隣諸国に目を向けると、中国大陸の回復は日本よりも早く、いち早く国家を形成するだろう。しかし日本と同じく人口減少により外国に目を向けるには時間を要する。少なくとも西暦2500年代後半になるまでは諸外国の脅威は少ないと予想される。
つまり、コールドスリープ計画により未来へ運ばれた子供達の目的は、現代の軍事兵器をもって未来の日本列島を制圧し、諸外国よりも早く発展を遂げる事にある。
ゴクリ…………。
子供達に課せられた使命は大きい。
「次に関東周辺のマップを表示する。」
モニターに映し出されたのは、第三コールドスリープ施設を中心とした関東地方のマップである。未来へ運ばれた子供達は、琢磨達だけではない。日本全国に100のコールドスリープ施設があり、関東地方だけでも20を越える施設が表示される。
「アダムスの予想では、無事に現代へ辿り着く確率は20%程度だ。俺達以外にもコールドチルドレン(冬眠された子供達)は存在する。」
「…………合流するのか?」
真の質問に琢磨は小さく頷いた。
「それも目的の1つだが、最優先はアダムスだ。富士山にあるアダムス保管施設の途中にあるコールドスリープ施設を立ち寄る事になるだろう。」
「アダムス………。アダムスは無事なのかしら?」
日本帝国が誇る世界最先端の巨大コンピュータにして人工知能を有するアダムスは、琢磨達にとっては神にも等しい存在である。
「現状では確認しようがない。だからこそ最優先事項だ。おそらく他のコールドチルドレンも目指す先はアダムスだろう。上手く行けば、そこで多くの仲間達と合流出来る。」
「出発予定はいつだ?」
「真、そう焦るな。」
琢磨達はまだ地上の様子すら確認していない。アダムスの予想と現実の乖離を確認する必要がある。
「当面は施設に留まり周辺地域を探索する。このあと、シャワーを浴びたら『バトルスーツ』に着替えて外出するぞ。」
「了解!」「了解!」「了解!」『了解』
西暦2100年代の終わり、第三次世界大戦が勃発する頃に開発された『バトルスーツ』は歩兵専用の新兵器である。身体に密着した特殊な繊維で出来たスーツは、耐久性と防寒性に優れ、脚部に装着されたエアシューズは、人間本来の走力や跳力を数倍にも押し上げる。最新兵器が飛び交う世紀末の戦争では活躍の場所が限られていたが、300年経過した現代であれば話が違う。
神代 麗(かみしろ れい)の美しい肢体に密着するように『バトルスーツ』が展開され、漆黒の長髪と相対する純白模様は麗の華奢な身体を引き立たせる。
「麗はスタイル良いよね。」
そんな事を言っているのは、霧島 茜(きりしま あかね)だ。身長は150cmと小柄だが『バトルスーツ』は、装着した人間の身体に密着するため、サイズが合わない事は無い。
通常、兵士達はバトルスーツの上に迷彩服などの戦闘服を重ね着するのがセオリーであり、茜も多分に漏れず戦闘服を羽織るのだが、麗は日本伝統の巫女装束の衣装を着込む。現代戦闘には不向きとも言えるが、本人がそれを好むのだから仕方がない。
着替えを終えた麗と茜が揃って更衣室から会議室へと戻ると、そこには、既に戦闘服姿の男性3人が二人を待っていた。
「武器は持ったか?」
「えぇ。」
倉庫フロアには、多種多様な武器が保管されており、武器の選択に困る事は無いが、琢磨が選んだ武器はサブマシンガン、麗は日本刀、他の3人はオーソドックスな光学銃を手に持っている。
そして、問題は、ここからだ。地底800メートル深くにあるコールドスリープ施設から、外へ出る通路は冬眠前に塞いである。外部から発見されない為の処置ではあるが、今度は外へ出るのが容易ではない。
鋼鉄製の扉を何枚かこじ開け、しばらく歩くと朱色に染まった扉に行きついた。通路があるのはここまでで、この先は土で埋め尽くされているはずだ。事前に仕掛けられたセラミック爆弾の爆風によって土を吹き飛ばす算段ではあるが、果たして上手く行くかどうか。
と、その時
「その必要は無いわ。」
おもむろに麗が発した言葉を琢磨も理解する。
(おそらくセラミック爆弾は既に無い。)
「桐生 大和(きりゅう やまと)が先に冬眠から覚めて地上へと脱出しているなら、扉の先の土砂は取り除かれている可能性が高いか………。」
「何年前に目覚めたかにもよるわね。何十年も昔の話なら再び土砂が積もっている可能性もあるし、桐生君が再び埋めた可能性も。」
「いや、大和が再び埋めるとは考えられない。俺達を殺す気ならコールドスリープの電源を落とした方が早いし、土砂を埋め直す労力は無駄だろう。」
「…………そうね。」
桐生 大和の真意は不明だが、扉を開けない事には先に進まない。琢磨はゆっくりと朱色の扉に手を掛けた。