【悪魔①】
アンドロメダ大陸の歴史は千年の昔に遡る。
現存する大陸最古の都市の1つであるアルンヘイルが誕生する以前の歴史は現在では残されていない。人類の歴史は、一度、千年前に滅びたからだ。
──────なぜ、人類(の文明)は滅びたのか?
はっきりとした理由は分かっていない。自然災害、大規模戦争、様々な憶測がある中で、一部の人間に信じられている原因が『悪魔による人類の滅亡説』である。
堕落した人類を懲罰する為に天から遣わされた『悪魔』が人類を滅ぼしたとする仮説。その説を強く信仰する人々が『悪魔教徒』である。
「この少女が、悪夢の召喚士…………。」
ざわざわ
薄暗い教会の礼拝堂に集まった信者は、20人ばかりであるが、彼等は熱心な悪魔教徒である。そして、前方にいるのが、この教会の司教であるリーデンベルグだ。
(むぐぐ…………。)
猿ぐつわをされ、手足を縛られているマリーには抵抗する手段がなく、その両脇には3人の魔導士と1人の騎士が警備している。
リーデンベルグの目的は、マリーから『悪魔の魔導書』を奪い自らが『悪魔の召喚士』になる事である。その為にはマリーから魔導書の在り処を聞き出す必要がある。
「マリー………、命を取るつもりは無い。大人しく『魔導書』を吾輩に渡すのであ〜る。」
「むぐぐ!」
「う〜む。これでは会話も出来ぬか………。」
リーデンベルグが合図をすると、騎士の男がマリーの猿ぐつわを外した。
「縄を外して下さい!私は何も知らないわ!」
「ふむ………。困ったものだね。」
この娘には、なぜか魔法が効かない。自白の魔法が通じない以上は、物理的に痛めつけるしか方法がない。
しかし、リーデンベルグには一つの懸念があった。下手にマリーを追い詰めて、悪魔を召喚されると、ここにいる悪魔教徒だけでは対処出来なくなる可能性がある。
「リーデンベルグ司教………。」
そこに、部下と思われる黒服の男が何かを持って来て教壇の上に置いたのが見えた。マリーが注意深く見ると、それは大きなガラスの玉であった。
(……………水晶?)
「司教…………これをご覧下さい。何者かがこの教会に接近して来ます。」
「なに?まさかアルンヘイルの兵士ではないだろうな!」
怪訝な表情を浮かべたリーデンベルグが水晶を覗き込むと、そこには3人の人影が映っていた。
「これは………、アルンヘイルの教会にいた生徒達であ〜るか。」
どの顔にも見覚えがある。今年の『生誕祭』の大会で活躍した騎士と魔導士が3人。高校生ではあるが、実力はアルンヘイルの兵士と変わらないだろう。
(こちら側は、吾輩を除いて魔導士が3人に、騎士が1人。人数的には、ほぼ互角ではあるが…………。)
「さて、どうしたものであ〜るか。」
教会の外に現れたのは、サイリス・ロードリアとバーバリー・ダグラムの2人の騎士、そして、ドラグナー・モトである。
「どうする、サイリス。一気に斬り込むか?」
「相手の人数が分からない、それは危険だ。」
2人の騎士が作戦を練っていると、周囲が急に明るくなった。
ボッ!
「!」「!」
これは、モトの炎の魔法だ。
「おい!モト!何をする気だ!」
サイリスの問いにモトは即答する。
「あの教会を焼き尽くします。」
「!」「!」
それは、あまりにも危険な行為である。マリーが教会の中のどこに居るのかも、どういう状況なのかも分からない。まずは内部の様子を確かめるのが先である。
「止めろ!中にはマリーがいる。一緒に殺すつもりか!」
静止するサイリスを、チラリと見たモトは、平坦な口調で魔法を詠唱した。
「サン・フレア!」
ボワッ!
ボボボボボボボボボボボボボボボボボボ!!
「おい!待てって!」「何を!?」
強大な炎の塊が放出され、教会は瞬く間に燃え広がった。慌てる2人の騎士をよそに、モトはゆっくりと口を開く。
「この程度の炎では、マリーの魔法を崩す事は出来ないわ。悔しいけれど、マリーの防御魔法は超一流、灼熱の炎の中でも、マリーは平然としているでしょう。」
【悪魔②】
ボボボボボボボボボボボボ!
「リーデンベルグ司教!火事です!魔法攻撃です!」
「はぁ?」
魔法による火の手はあっという間に燃え広がり、小さな教会は炎に包まれる。
「馬鹿かあの魔導士は!マリーまで殺す気か!?」
「このままでは危険です!早く外へ!!」
悪魔教徒の信者達は、我先にと教会から逃げ出して行く。しかし、その多くは一般人で騎士でも魔導士でもない。
(まだか…………。)
サイリス・ロードリアは、敵の兵士が出て来るのを待ち構えていた。恐らく敵は、炎で教会を焼き払っているモトに攻撃をしてくる。しかし、相手が騎士の場合は、魔導士であるモトには荷が重く、同じ騎士であるサイリスが相手をした方が良い。
そして、バーバリー・ダグラムは教会の裏手へと回った。今回の目的は、あくまでマリーの救出であり、逃げられる訳にはいかない。しかし、これは大きな賭けでもある。敵の人数が分からない以上、下手をすれば全員が殺られる。
ドクン
ドクン
サイリスが手に持つ剣は騎士剣ではなく、練習用の木刀である。まだ高校生であり、正式な騎士団に加入していないサイリスが騎士剣を持つ事は許されていない。その上、サイリスには実戦経験が無い。大陸統一戦争は10年以上も前に終わっており、平和なアルンヘイルに於いて高校生が殺し合いをする事など考えられない。極度の緊張がサイリスを襲い、その顔からは血の気が引いて行くのが分かった。
シュル!シュルシュルル!!
「!」
真っ黒い帯のようなものが、サイリスを目掛けて伸びて来るのが見えた。サイリスは、これが闇魔法だとすぐに分かった。
(ちっ!)
身体を反転させて、空中へと飛び出したサイリスは、その黒い帯から距離を取った。帯のスピードはそれほど速くはなく、騎士のスピードであれば、避ける事は可能だ。
(モトではなくて、俺を狙って来た?)
サイリスは神経を研ぎ澄まし、敵の居場所を探る。闇の魔法が放たれたのは、燃えている教会の脇にある倉庫からだ。倉庫の中か?或いは裏側に隠れているのか?
ドクン
ドクン
シュルル!シュルルルル!!
「!」
今度は黒い帯が2つ、倉庫の右手と左手の両方から放たれる。敵は2人おり、2人とも闇の魔導士である。
ザッ!
サイリスは、今度は逃げることなく前方へと走り出した。魔導士との戦闘では、距離を詰める事が重要であり、接近戦なら負ける事は無い。
ふわっ!
ズサッ!
黄色みがかった髪を揺らして、倉庫の上へと飛び乗ったサイリスを、2人の魔導士が見上げている。黒い帯は手元から伸びており、慌てて引き戻すも間に合わない。
この間合いは騎士の距離だ───
ブワッ!
バシュ!
「ぐわぁ!」
ズバッ!
「ぎゃあぁぁ!!」
飛び降りると同時に1人を斬り付け、すぐさまもう1人を倒す。2人の魔導士を倒すのに数秒も掛からなかった。
「はぁ………、はぁ…………。」
(やった……………。)
相手が魔導士とは言え、始めての実戦を完璧に遂行して見せたサイリスは、ふぅと、安堵の息をつきモトの方へと顔を向ける。
一般的に前線で戦うのが騎士の仕事で、魔導士は後方支援を得意とする。魔導士の身体能力は一般人のそれと変わらず、騎士のスピードについて来る事が出来ないからだ。仮に悪魔教徒の中に騎士がいれば、魔導士であるモトが最も危険だと言える。
ボボボボボボボボボボボボボボ!
「ぎゃあぁぁ!!」
と、その時、敵である魔導士の絶叫が聞こえて来た。見える範囲での敵は1人、その1人が紅蓮の炎に包まれ、のたうち回っている。モトの炎に焼かれたのだろう。
「モト!それ以上は危険だ!死ぬぞ!」
ドラグナー・モトは、全く手加減と言うものを知らないらしい。高校一年生にして、人間を容赦なく焼き殺そうとするのは、普通の感覚ではない。
モトが魔法を解くと炎は消え去り、残されたのは大火傷を負った敵の魔導士であるが、おそらく戦闘の継続は難しいだろう。
「大丈夫か?モト。」
「…………………私は無傷です。それより!」
「マリーが現れないな、動けない状態なのか、それとも裏から連れ去られたか…………。裏手に回るぞ!」
【悪魔③】
悪魔教徒の教会から数キロメートルほど離れた山林では、マリーを担いでいる騎士とリーデンベルグが一息を入れている最中であった。水晶に映るのは、サイリスとモトに倒された3人の魔導士である。
「はぁ………、全く使えない者どもですねぇ。」
闇の魔導士と言っても、もともとは兵士ですらない一般信者であり、魔力の力もそれほど大きくは無い。足止めくらい出来ると期待していたが、相手の方が1枚上手のようだ。
「1人、追って来ますが、どうします?」
唯一生き残っだ部下は騎士であり、マリーを運ぶには必要な人材である。ここで倒される訳にはいかない。
「仕方がない、吾輩が行くであ〜る。」
リーデンベルグが、黒いマントを脱ぎ捨てると、裸体の上半身が現れた。それを見たマリーは目を丸くする。胸部に描かれているのは、不気味な姿をした『悪魔』だったからだ。
「それは…………?」
「我等『悪魔教徒』の神であるぞ。それほど驚くことではあるまい。」
しかし、驚かずにはいられない。その悪魔の姿には見覚えがある。
「バルゼブブ……………。」
「!?」
そして、驚いたのはリーデンベルグも同じであった。
「マリー!吾輩の神を知っているであるか!」
『悪魔禁書』に描かれた『悪魔』の数は78体あり、その中でも上級悪魔に位置する『バルゼブブ』は、マリーが召喚せずとも会話の出来る唯一の悪魔である。どういう理屈かは分からないが『バルゼブブ』は、この世界に干渉する事が出来る。
「まぁ良い………。奴等を殺すのが先決であ〜る。」
ゴゴゴゴゴゴォ!
リーデンベルグの魔力が大きく膨れ上がり、闇のエレメンタルが騒ぎ出す。
ビリビリ!
(すごい魔力………………。)
他の悪魔教徒とは明らかに違う異質な魔力が大気に充満して行くのが分かる。
「見てるが良いマリー。これが『悪魔』の力であ〜る。」
リーデンベルグが握りこぶしを天に突き出して、大きく息を吸い込むと、大気がビリビリと震えるのが分かった。
ゴゴゴゴゴォ!
「天誅!!」
ビカッ!!
その直後に天から降り注いだのは巨大な黒い槍である。バーバリー・ダグラムが思わず天を見上げた次の瞬間、その巨体が大きく吹き飛ばされた。
ズドーンッ!!!
「うぉおぉぉぉ!?」
爆風による衝撃が全身を襲い、十数メートル離れた地面に叩きつけられたバーバリーは、何が起きたのか理解するのに時間が掛かった。もくもくと立ち込める土砂煙の中から現れたのは、巨大な穴である。もう少しズレていればバーバリーの身体は跡形も無くなっていたに違いない。
ゾクゾク!
(まさか…………、これが魔法?)
これほど威力のある魔法は見たことが無い。バーバリーの背筋に悪寒が走る。
水晶を通して その様子を見ていたマリーも、同じ事を考えていた。
(すごい……………。)
バーバリーは直撃を免れ無事な様子であるが、それにしても凄い破壊力である。
「う〜む。水晶を通してでは距離感が掴めないのであ〜る。やはり目視出来る距離まで接近してからですな。」
リーデンベルグは他の悪魔教徒の魔導士とは次元が違う。アルンヘイル魔導学園にも、いや、アルンヘイル魔導士団にも優秀な魔導士は沢山いるが、あれほどの破壊力のある魔法は見たことがない。
アンドロメダ大陸には、多くの宗教が存在する。大陸南部を中心に信仰されているのは、パラスアテネ神聖国や魔導国家連合が国教としていた『アテネ聖教』であり、国が滅んだあとも多くの住人が信仰している。マゼラン帝国が国教としている『北部十字教』は、大陸最大の宗派であり、十字の紋章はマゼラン帝国軍のシンボルにもなっている。
それに対して悪魔教徒が信仰する『悪魔教』の信者は、大陸全土で1万人にも満たない弱小宗教と言えるだろう。『悪魔』を神とする宗教は異端であり『悪魔教』が広まる事は無い。
そのような弱小宗教を信仰する『悪魔教団』が、世界最強を誇るマゼラン帝国と対等な立場で同盟を結んだのには理由があった。それは、教団を束ねる司教達の圧倒的な魔法の力である。マゼラン帝国が大陸を統一した裏では、悪魔教徒達が暗躍していたとも言われている。
リーデンベルグは、悪魔教団の中でも十数人しかいない幹部の1人であり、闇の魔法の使い手である。正式な騎士団にも所属していない高校生ごときに負ける器ではない。
「バーバリー!何があった!?」
「大丈夫ですか!」
サイリスとモトが、バーバリー・ダグラムを見つけたのは、その直後であった。いきなり現れた巨大な槍が地面に激突した地点へ駆けつけたところで2人はバーバリーを見つけたのだ。
「大丈夫だ、直撃は避けられた。あんなものを喰らえば即死だぜ。」
ゴクリ
直径にして5メートル、穴の深さは底が見えない。どれだけの破壊力なのかと目を疑うレベルである。
「おいサイリス、どうするんだ?」
「バーバリー?」
「敵は俺達を殺す気だ。高校生の俺達だけでどうにか出来る問題ではない。」
「…………しかし、アルンヘイル軍は動かないぞ。」
「それは……………。」
軍が動かない以上はマリーを助けられるのは、ここにいる3人しかいない。
「強い魔力を感じます。」
「!」「モト?」
「さきほどの魔法を放った時の魔力の残滓(ざんし)、それほど遠く有りません!」
「バーバリー行くぞ。マリーは『大陸対戦』には欠かせないメンバーだ。」
「どんなに強い魔法でも、当たらなければ意味は有りません。」
「お前達…………。」
「俺とバーバリーが先に行く!モトは後ろから援護してくれ!」
「わかりました。」
「ちっ!仕方ねぇ!行くか!」
3人の決意は固まった。敵が魔法を放つ前に、騎士である2人が攻撃を仕掛ける。接近戦において、魔導士は騎士には敵わない。
ザザッ!
2人のスピードが加速して行く──────
その様子は、全て水晶に映し出されていた。
「どうやら君の友達は、向かって来るようです。」
「そんな!」
「黒い槍の魔法を見ても、逃げ出さないのは褒めてあげたいところですが…………。あまりに無謀!」
「…………。」
「接近戦なら勝てるとでも思ったのでしょうか?マリー、どう思うであ〜るか?」
(リーデンベルグ…………。この魔導士は強い。)
一般論として、騎士は魔導士よりも強いと言われている。特に接近戦になれば、魔導士は騎士のスピードには付いて来れない。しかし、それは並の魔導士の話だ。
サラ・イースターは、たった1人で50人の帝国騎士と戦い勝利した。超一流の魔導士ともなれば、騎士のスピードに対抗する手段は持っている。もし、リーデンベルグが、イースに近い実力者なら………。
──────3人は確実に殺される