【逃走①】
西暦2047年 12月23日
この日、日本国の国会にて『妖怪対策基本法』なるものが成立する。これは一国の政府が妖怪の存在を認めると言う前代未聞の画期的な法律であり、日本政府の強い意志が感じられる法律であった。
この法律の成立により大日本高等学校2年A組に在籍する白幡 健吾(しらはた けんご)を取り巻く状況は大きく様変わりする。
「健ちゃん!」
「大丈夫。すぐ戻るさ。」
健吾は『鬼』の容疑で警察に捕まった。同じく1年B組の生徒である黒坂 愛理須(くろさか ありす)も警察に捕まる事となる。
2人は警察の施設である巨大な建物に連行され検査を受ける事となるのだが、ここで問題が発生した。
「……………。あの警官、撃つわよ。」
「!」
警察官が拳銃の引き金に指を掛けた時、その容疑者の『呪い』が発動する。
「ぐわぁあぁぁぁ!!」
絶叫を上げた警察官の心臓が止まりその場に倒れ込んだ。
─────『呪い』
「あいつ『呪い』を発動させやがった。」
「えぇ、まずいわね………。」
この場には『鬼』の容疑を掛けられた容疑者が約50人、それと同数以上の警察官が居る。
「貴様ぁ!何をした!!」
近くにいた警察官が『呪い』を発動した容疑者へと銃を向ける。人数は5人。
「うるせぇ!銃を向けるなぁ!!」
バチバチバチバチッ!
「ぐわぁ!」
「ぎゃあぁぁ!!」
「ぐほっ!」
たちまち5人の警察官が、1人目の警察官と同じくその場に倒れ込んだ。
「動くな!動くと殺すぞ!!」
ざわ!
警察官の多くは『呪い』を見た事が無い。『鬼』と言われても半信半疑であったのかもしれない。しかし、これは決定的な出来事だ。目の前で合計6人もの警察官が『呪い』の能力によって殺された。もはや疑う余地は無い。
─────鬼は実在した────
凶器も武器も使わずに人を殺せるなど、とても人間の仕業とは思えないだろう。
健吾は愛理須に耳打ちする。
「『発動条件』は何だ?あんなに簡単に殺せるものなのか?」
「推測ですが、おそらく『発動条件』は身の危険を感じた事とか、自身の安全とか、そんな所でしょう。」
「そうか。取り敢えず俺達が殺される事は無さそうだな。」
そして健吾は周りの様子を確認する。警察官も他の容疑者達も微動だにしない。動けば殺される可能性があるだけに不用意には動けないのだろう。
「そうだ、そのまま動くなよ。」
犯人はそう言って、その場を立ち去ろうと歩き始めた。
ドクン
ドクン
妙な緊張感が、この場の空気を重くする。
ドクン
ドクン
と、その時
「それまでだ。」
「!」
正面玄関に立っていた黒服の警備員達が現れた。警察の誰かが通報したのか。
「は?何だお前達は!動くと殺すぞ!」
ザッ
ザッ
「おい!てめぇ!」
リーダー格の男だろう。髪の長い黒服の男が犯人の言葉を無視して近寄って来る。
「愛理須…………。これ不味いんじゃないか?」
健吾が耳打ちするも愛理須は黙って様子を伺っている。
「てめぇ!『呪い』殺すぞ!!」
ザッ
ザッ
長髪の男が犯人の手前5メートル付近まで近付いた時、遂に犯人が痺れを切らした。
「馬鹿が!死ね!!」
「!」「!」
三たび『呪い』を発動する犯人の声に、その場の誰もが7人目の犠牲者が倒れ込む姿を想像した。
ザッ
ザッ
しかし、長髪の男は動じる事なく歩き続ける。
「な!なぜ死なない!死ね!死ね!!」
ザッ
ザッ
「自己紹介が遅れましたね。」
長髪の男が口を開く。
「『死神の部隊』チームEDEN(エデン)。隊長のフランシスカ・本郷(ほんごう)と申します。」
「来るなぁ!」
シャキィーン!!
本郷は手に持っていた細長い鎌を構える。さながら【死神】が持つ鎌だ。
「【死神】の名に於いて死刑を執行します。」
「!!」
シュバッ!!
巨大な鎌が、犯人の首を一撃で斬り飛ばした。
【逃走②】
状況を整理しよう。
『鬼』の容疑で集められた容疑者が、この場には50人居る。愛理須の能力から判断するに、容疑者の殆どは『呪い』の能力を扱える人間だ。そのうちの1人が『呪い』の能力で6人の警察官を『呪い』殺した。
これだけでも異常事態なのだが、まだ、同じ『呪い』の能力者である白幡 健吾の理解の範疇である。
ここで登場した黒服長髪の男。フランシスカ・本郷と名乗った男が『呪い』の犯人の首を斬り落とした。
ここで一つの疑問が生じる。
あの男────
なぜ『呪い』の能力が
─────────通じないのだ
「『池袋事件』……………。」
愛理須がぼそりと呟く。
「あの時、高藤 翔馬に『呪い』が通じなったのを覚えてる?」
「池袋?………あの時か………。」
池袋で暴れていた男を高藤 翔馬が倒した事がある。その時に犯人が扱っていたのは紛れもなく『呪い』の能力。
「雰囲気が似ていると思ったのよ。あの黒服の男達、高藤と同じ人種……。おそらく仲間ね。」
「仲間って『呪い』が通じない仲間か?」
「気に入らないわね。」
「気に入らないって、お前なぁ………。」
とにかく、騒動は収まった。これ以上無用な争いをしても仕方がない。あとは、どうやって警察官を説得するかだ。
「『鬼』じゃない事をどう説明したら良いのか、お前はどうするんだ?」
健吾はそれとなく愛理須に質問する。
「待って……。どうやら、そんな雰囲気では無さそうよ。」
「なに?」
フランシスカ・本郷は、血のりの付いた鎌をそのままに、室内にいる警察官へ告げる。
「警察官の皆さん。大変危険な任務ご苦労様です。」
本郷はゆっくりと警察官1人ひとりの顔を見渡した。
「皆さんもご覧になったでしょう。これが『鬼』です。」
何が始まるんだ?
「『鬼』は自らの意志で人を殺す事が出来る大変危険な生き物です。しかしご安心下さい。」
そして本郷は今度は容疑者達へと視線を向ける。
「今より我々が『鬼』達を処刑します。」
「!」「!」「!」「!」
「警察官の皆さんは『鬼』達が逃げないように通路を塞いで下さい。」
ざわ!
「ちょっと待て!!」
容疑者の1人が声を張り上げる。
「処刑とは何だ!?俺達はまだ検査を終えて居ない!」
ざわざわ
「私は人間よ!『鬼』なんかじゃ無いわ!」
ざわざわ
「俺達を殺して見ろ!殺人罪で捕まるのはお前達だぞ!」
緊迫していた空気が一転してざわめき出した。それはそうだろう。今から処刑するなどと言われたら誰もが抵抗するに決まっている。
しかし本郷は、至って冷静に容疑者達に告げる。
「聞こえませんでしたか?私達は『死神』だと。」
ざわざわ
「殺人罪で捕まる?おかしな話です。私達は既に死人、戸籍上では存在しない者。いったいどうやって裁くのでしょう?」
「!」
「ふざけるな!!」
シャキィーン!
ズバッ!!
本郷の鎌が容疑者の首を刎ねる。
「きゃあぁぁぁぁ!!」
「本当に殺しやがった!」
「おい!ちょっと待て!俺は何もしていない!!」
本郷は他の黒服達へ指示を出す。
「死刑執行の時間です。殺ってしまいなさい。」
「!」「!」「!」「!」
ここからは地獄の始まりだった。黒服の男は本郷を含めて5人。チームEDEN(エデン)と名乗っていたが、5人1組のチームだと予想される。各々が任意の武器で容疑者達を殺しに掛かり、室内には絶叫が鳴り響いた。
「うわぁぁぁ!」
「きゃあぁぁぁ!!」
ズバッ!
バシュッ!
「助けてくれぇ!!」
(翔馬が使っていた白い札を扱う者は居ない。仲間じゃないのか?)
健吾が黒服の男達を観察していると、1人だけ呆然と状況を見ている黒服がいた。健吾はすかさず、その男に駆け寄る。
「おい!あんた!」
「あぁ!?」
「何とかしてくれ!あいつら、どう考えてもおかしいだろう!?」
男は困ったように、胸ポケットからタバコを取り出した。
シュボッ!
「ふぅ…………。」
室内なのにタバコをふかし始めた男は、健吾に対して攻撃する素振りは見せない。やはり他の黒服とは違う感じだ。
「俺もよぉ………。よく分かんねぇんだよ。」
「なに?」
「俺は伊原組って言うヤグザの親分だ。と言っても組長には就任したばっかだけどな。」
「伊原組?駅前の……。組長が襲撃に合った。」
「おぉ!アンちゃん知ってるのか?そうそう、そこよ。それで白鴎会を襲撃したのよ。1人でな。」
「ふぅ」と煙を吐くと男は、健吾の肩を掴んだ。
「で、俺は殺されたんだぜ?いったいどうなってる?何で生きてるんだ?」
そんな事を聞かれても健吾には答えようが無い。
「とにかく助けてくれ!このままでは殺される!」
「白幡先輩!!」
そこに愛理須が割り込んだ。
「危険よ!早く逃げましょう!」
「わかってる!しかし逃げ場が!」
男は愛理須を見ると、健吾の顔と見比べる。
「美しいお嬢さんだな。お前の彼女か?不釣り合いだな。」
「ほっとけよ!今はそれどころじゃない!」
「ふっ」
と男は笑った。
「後ろへ周りな。」
「!」「!」
「2人くらいなら逃がせるかも知れねぇ。」
「アンタ…………。」
「伊原 狂四郎(いはら きょうしろう)だ。ヤグザってなぁ、カタギの者には早々に手を出すもんじゃねぇ。あいつらは仁義に劣る。」
ガチャ
狂四郎は懐から拳銃を抜き出した。
「見ろ!左側の通路だ。警察官は3人。脅せば強行突破出来るかもしれねぇ。」
健吾と愛理須は頷いた。今はこの男に頼るしか無い。
「行くぞ!ついて来い!!」
そして、3人は走り出した。
【逃走③】
伊原 狂四郎(いはら きょうしろう)28歳。地元では名の知れたヤグザの親分だ。
『脅せば強行突破出来るかもしれねぇ!』
と言いつつ、通路を塞いでいた警察官3人を脅す事なく一撃でぶちのめし、通路の先へと走って行く。
「脅すんじゃなかったのかよ!?」
「うるせぇ!そんなヒマあったか!?黙って付いて来い!!」
「行きましょう!先輩!」
健吾と愛理須は狂四郎の後を必死で追い掛ける。健吾の背中からは黒服の男達に殺される容疑者達の悲鳴が絶え間なく聞こえて来るのだから逃げるしか方法が無い。
「先輩!前!」
「!」
見ると前方の通路を塞ぐように2人の警察官が待ち構えていた。
「動くな!撃つぞ!!」
ズキューン!
バキューン!
「ぐわっ!」「うわっ!」
しかし、先に銃を撃ったのは警察官ではなく狂四郎の方だ。2発の銃弾は外す事なく警察官の身体に命中し警察官が倒れ込んだ。
「うぉ!容赦ねぇな!」
「いちいち、うるせー!」
「あれ、死んだんじゃないか!?」
「知らねぇよ!撃たなきゃ、こっちが撃たれるだろうが!」
さすがヤクザと言うべきか、人を殺す事を何とも思っていない潔さだ。しかし、それなら疑問が残る。なぜ狂四郎は健吾と愛理須を助けるのか。
「なぁアンタ、何で俺達を助ける!?」
「あぁ!?お前が助けを求めたんじゃねぇか!」
もっともな意見だが、狂四郎には俺達を助ける義理は無い。
「ちっ!ついでだよ!俺もこの場をズラかろうとしてたのさ!この騒ぎに紛れて逃げりゃ逃げられるかもしれねぇ!」
「逃げる?アンタ、あの組織の仲間じゃ無いのか?」
「アンタじゃねぇ!狂四郎だ!歳上を何だと思ってやがる!」
「また来たわよ!」
「!」
今度は警察官ではなく一般人だ。白衣のようなものを着ている。
「どけこらぁ!」
ドカッ!
狂四郎はまたもや容赦なく白衣の男を蹴り飛ばした。
「おぉ!本当に容赦ねぇのな!?」
「あれはここの研究員だ!俺の身体を弄(いじ)くり回しやがったからな!その仕返しだ!」
(研究員………。ここは何かの研究施設か。)
ウィーン
「見て!」
愛理須が通路の前方を指差した。
「ちっ!」
見ると通路の扉が左右から閉まって行くのが見える。
「自動扉か!?」
「ダメ!間に合わない!」
ガシャーン!!
間一髪間に合わなかった。近くに寄ると頑丈そうな扉がガッチリと閉まっていて、ドアノブも鍵穴も見当たらない。
「侵入者逃走防止扉か、どんだけ金を掛けてやがる。」
見たところ通路には窓も見当たらない。
カツーン
カツーン
「!」「!」「!」
タイミング良く今度は通路から足音が聞こえて来た。
カツーン
カツーン
「おいおい逃げ場はねぇぞ?」
「足音は一つだ。途中でドアがあったろう?あそこまで戻れば部屋へ逃げ込める。」
「部屋ぁ?あぁ、研究室か…………。」
シュボッ!
狂四郎は持っていたタバコに火を灯す。
「戻るのは良いが、あれを倒してからだな。」
カツーン
ピタッ
足音が止まった。
通路前方およそ10メートル先。そこに立っているのは長髪の黒服の男、フランシスカ・本郷だ。
シャキィーン!
手には大きな鎌を構えている。
「隊長さん直々のお出ましだぜ。」
ふぅ
狂四郎はタバコの煙を吐き出した。
ガチャ
「で、どうするよ?」
狂四郎が右手に持つのは38口径の拳銃だ。対する本郷の武器は細長い鎌。鎌のリーチは2メートルくらいだろう。
「一撃で仕留めれば俺の勝ち。外せばお前の勝ちだろう。そんな博打、受けて立つのかい?」
ドクン
ドクン
すると、本郷は鎌を下ろして微笑んだ。
「狂四郎さん。あなたは新人だから何も分かっていない。『鬼』を放置すれば人間社会は滅びます。その『鬼』を渡して下さい。」
ドクン
ドクン
「『鬼』ねぇ。こんな可愛いお嬢さんが『鬼』とは思えねぇがな。」
狂四郎は愛理須の事を横目で見て呟いた。
「俺が戦っている間に逃げろ。」
「!」「!」
「あいつは強い。修羅場を潜り抜けて来たヤクザの勘だ。」
「狂四郎さん…………。」
ドクン
ドクン
「一緒に逃げましょう。」
愛理須が答える。
「いや、だからお前…………。」
「逃げ道なら有りますよ。」
「あぁ?そんなんどこに…………。」
「愛理須?」
シュウ……………。
シュウ……………………。
「!」
(まさか!)
本郷は一瞬の判断で鎌を振り上げ突進する。物凄いスピードだ。
バシュッ!
しかし!
本郷の鎌が狂四郎達を捉える事は無い。
───空が────
───────暗転する───
シュウ…………。
シュウ…………………。
夜空には大きな月が輝き、周りからは虫の鳴き声が聴こえて来た。
伊原 狂四郎はぽかんと口を空けて辺りを見回した。そこには、フランシスカ・本郷の姿も無ければ研究施設の巨大な建物も見つからない。
「愛理須……………。お前………………。」
「おい!お前達!どうなってる!ここはどこだ!?」
「狂四郎さん…………。ここは……………。」
────────異世界ですわ
黒坂 愛理須は何事も無かったように、にっこりと微笑んだ。