【黒坂 愛理須①】


黒坂 愛理須(くろさか、 ありす)は、内気な少女だった。人と話すよりも動物や小鳥と過ごすのが楽しかった。愛理須が黒系の服を好んで着るのは目立ちたく無かったから。長い漆黒の髪と黒のドレスはすごくお似合いで、まるでフランス人形のように美しかった。


「なに、あの子……。こんなに暑い日に真っ黒で………。気味が悪いわね。」


そこに目を付けたのは、隣の学校の生徒である華霧 紗耶香(はなぎり さやか)、私立林道高校の2年生だ。


紗耶香(さやか)は容姿も整っていて、派手な服装を好んだ。周りには多くの男子生徒を従えお姫様気分を味わっていた。その中の1人の男子生徒が愛理須(ありす)を見て可愛いと口走ったのが原因だった。


「翔くん、あんなののどこが可愛いのよ。」


「え?いや………。」


「ちょっと連れて来なさいよ。」


それが最初のキッカケだった。もともと私立林道高校には素行の悪い生徒が揃っていて、愛理須が通う都立大日本高等学校とは仲が悪い。加えて愛理須には友達が多くない。助けを求める友達もなく、愛理須は言われるがままに嫌がらせを受けるようになった。


最初は唾をかけられたり、髪を引っ張られたり、小遣いを取られたり、その程度のものであったが、イジメは次第にエスカレートして行く。


何度目かの呼び出しの後、愛理須は1人公園で仰向けになり、星空を見上げていた。


(綺麗…………。)


夏空に広がる星々はとても美しく、まるで夢の世界に迷い込んだような錯覚を思わせる。


カァー


カァー


「…………?」


ふと、愛理須は異変に気付いた。


(……………鳥居?)


夜空の下にそびえ立つのは大きな赤い鳥居だ。不思議に思った愛理須は周囲を見渡すが、先程までいた公園は見当たらない。


(どう言う事………………?)


愛理須はゆっくりと立ち上がると、鳥居の中へと足を踏み入れた。そこは、深く静寂な闇の世界。黒を好む愛理須にとって、それは居心地の良い空間であった。


しばらく歩くと、目の前に大きな神社が見えて来た。チュンと1羽のスズメが愛理須の肩に舞い降りて、不安そうな顔をしたが、愛理須はにこりと微笑んだ。


「ふふ、大丈夫よ。」


ギギギと扉を開くと、本殿の中は深い闇に包まれていた。月灯りさえ届かない奥の部屋には、ロウソクの灯火だけが揺れている。


(ロウソク………。誰か住んでいる。)


愛理須は更に奥へと足を進めた。不思議と怖くは無かった。イジメを受けていた事で自暴自棄になっていたのかもしれない。


幾つ目かの扉を開くと、目の前に大きな絵画が現れた。墨で描かれた絵なのか、色彩と言うものが無い。黒1色で描かれた絵には鬼のようなものが愛理須を見つめていた。


ガタ


「!」


「誰か居るのかい?」


そこに一人の男が現れる。背の高い神職の衣装を纏った男だ。


「す、すみません。勝手に入って………。」


愛理須は慌ててお辞儀をすると、急いで部屋から抜け出そうとした。


「天邪鬼(あまのじゃき)。」


「……………?」


「その絵に描かれている鬼の名前さ。」


男は、そう言うと愛理須にゆっくりと近付いた。


「日本の古い書物にも記されている妖怪だよ。いや、神様と言った方が良いかな。古事記や日本書紀にも登場する人智を越えた鬼の一種さ。」


「鬼………ですか。」


「そう、鬼だ。鬼と言っても人を拐って食べたりはしない。人の願いを叶える鬼と言っても良い。」


「願いを叶える…………。」


「言霊って知っているかい?」


男は話を続けた。初対面であるにも関わらず不思議と怖くは無かった。男の話は面白く妙な説得力があった。


男は天野 士郎(あまの しろう)と名乗った。


天野は小さな小瓶を取り出して、そこに言霊を吹き込んだ。それを飲むと願い事が叶うと言う液体を天野は愛理須に差し出した。


「君の願いはなんだい?」


優しく語り掛けるように、天野は愛理須の瞳を見た。


「私の願いは…………。」


そんな事は決まっている。


「イジメを…………。私をイジメ無いで欲しい。」


「そう。その願いはきっと叶うさ。私の言う事を信じる事が出来ればきっと叶う。」


そして、愛理須はゆっくりと神水と呼ばれる液体を飲み干した。



【黒坂 愛理須②】


都立大日本高等学校1年B組


ピーポー


ピーポー


警察が駆け付けたのは、3時限目が終わった頃だった。学校の近くの公園で発見された高校生7人の死体。その生徒達と一緒にいたのが黒坂 愛理須(くろさか ありす)と言う少女で、この学校の1年B組に在籍している。複数の目撃者から警察は愛理須の事を聞き出したのだろう。


「健ちゃん………。噂は本当かしら?」


夢野 可憐(ゆめの かれん)は、不安げに告げる。


「健ちゃんは何か知っているのでしょう?どうしてさっき、彼女の所へ駆け出したの?」


2年A組、白幡 健吾(しらはた けんご)。殆ど友達の居ない健吾にとって、可憐は唯一と言ってもよい話し相手だ。しかし、健吾には可憐の言葉は耳に入らない。黒坂 愛理須は確かに言ったのだ。


──私に関わったら、貴方も死ぬわよ──

それで全てを理解した。愛理須は天野の事を知っている。それどころか、愛理須は健吾と同類だ。何らかの理由で愛理須は天野と出会ったのだろう。

「健ちゃん?」

押し黙る健吾を心配して可憐は顔を覗き込んだ。

「可憐、悪いが今日は早退する。」

「え?どうして………。」

「それと、俺に構うんじゃねぇよ。ロクな事が起きないぞ!」

「ちょっと!もう!」

可憐の心配をよそに健吾は学校の外へ飛び出した。ちょうど愛理須がパトカーに乗せられる所だ。

「待て!」

健吾が叫んでもパトカーには届かない。

「くっ!遅かったか………。」

ブルルン!

ブルルルンッ!

そこに現れたのは、東堂 修司(とうどう しゅうじ)。茶髪リーゼントの健吾の悪友だ。タイミングよく現れた修司はバイクのヘルメットを健吾に放り投げる。

「!」

「どうした?乗れよ。」

「修ちゃん………。どうして……。」

今朝の出来事は学校中に知れ渡っている。1年B組の教室に血相を変えて飛び込んた健吾。黒坂 愛理須とのやり取り。

「健ちゃんの様子がおかしい。」

可憐から連絡があったのは1時限目が終わった後だ。誰にも関心を示さない健吾が、愛理須の話を聞いてから明らかに普通ではない。

「もし健ちゃんが学校を抜け出したら、後を追って!」

可憐の予想通り、3時限目が終わって教室を抜け出した健吾を追って修司も学校を抜け出した。バイクは愛用のCB3000。先日通学許可が下りたばかりの新品だ。

警察と言っても都内には数多くの警察施設がある。どの部署の警察かによって行き先は変わる。

「早く乗れよ!見失うぞ!」

「わりぃ!」

そう言って健吾はバイクの後ろにまたがった。パトカーを追って走り出すCB3000を操りながら、修司は健吾に語り掛ける。

「何があった?」

「……………。」

「そろそろ話せよ。中二の終わり頃からお前は変わった。お袋さんが亡くなった辺りだ。」

自分の母親が死んだんだ。大きなショックを受けたのは間違いない。修司と可憐はそっと健吾を見守る事にした。しかし、あれから3年が経つ。もう立ち直っても良い頃だろう。

「今回の事件、お前と何か関係があるのか?」

この3年間、誰にも興味を示さなかった健吾が、黒坂 愛理須に反応した。それも異常な反応だ。可憐や修司でなくとも、今日の健吾を見ればおかしいと思う。

「勘弁してくれ………。」

健吾はバツが悪そうに返答をする。

「俺が答えられるのは一つだけだ。修ちゃんも可憐も俺にとっては大切な友達だ。」

だから、と健吾は修司に告げる。

「俺にか関わらない方が身の為だ。なぜなら俺は呪われている。」

「………呪い………だと?」

「あぁ。」

俺に関われば死ぬ事になる────。

そして、アイツも…………。

黒坂 愛理須(くろさか ありす)。

「下手をしたら、被害は7人では終わらない。彼女を連行した警察官、彼等の命も危ない。」

「!?」


【黒坂 愛理須③】

私は夢を見ました。

私は幼くて、そうね、小学校に上がる前くらいの話です。私は田舎暮らしでしたから、自然と動物に囲まれて暮らしていました。大きな草原でお花を摘んで遊んでいた時に、黄色い物体が目に入りました。

(何かしら…………。)

小動物のようですが何かは分かりません。私は手を止めて、その動物を追って行きます。それはまるで、ルイス・キャロルの小説に登場する主人公が白ウサギを追い掛けた光景に似ています。くしくも私の名前は愛理須(アリス)。私は自分の名前をとても気に入っています。

コンコン

(……………キツネ。)

それは小さな狐でした。野うさぎと変わらない大きさの狐はまだ子供なのでしょう。あまりの可愛さに愛理須は夢中で追い掛けます。時間など忘れてしまいました。

そして、辿り着いたのは見た事の無い神社でした。

そう…………。

愛理須が神社に迷い込んだのは、生涯で二度目であった。

「私の言う事を信じる事が出来ればきっと叶う。」と天野は言った。

普通なら信じられ無いでしょうけれど、私は違う。不思議な体験なら経験済。だから愛理須は迷う事なく神水を飲み干した。

(天邪鬼(あまのじゃき)と言っていたわね。今度調べてみよう。)

「おい!着いたぞ!起きろ!」

「ん………。」

警視庁本部、特殊捜索係

目の前には大きな警察の建物が建っていた。

「しかし、連行されるパトカーの中で眠るとは、どう言う神経をしてるんだ。」

警察の一人がぼやくのが聞こえたが、愛理須は気にする様子もなく建物の中へと入って行く。

ブルルルン

ブルルルン

キキィ!

「ここか!着いたぞ!」

修司がバイクを止めると、健吾は急いで飛び降りた。

「待て!待ってくれ!」

建物の中には、2人の警察官と愛理須が何やら手続きのような事をしている。間に合った。

「愛理須に近寄るな!命が危ない!」

「…………。」「……………。」

ぽかんと目を合わせる2人の警察官。

「君、学校の友達かい?こんな所まで着いて来てダメじゃないか。」

「まだ授業中だろう。早く帰りなさい。」

「しかし!」

何度かのやり取りをしたが警察は健吾の言う事を理解しない。当たり前だ。愛理須には、考えただけで人を殺す能力がある。そんなデタラメを信じる人間など居ないだろう。

すると、黙って様子を伺っていた愛理須が健吾の方に近付いて来て、耳元で囁いた。

「しつこいのね、貴方。でも、嫌いじゃ無いわ。」

「!」

「安心して、ボロを出すような事はしないから。私達の能力は2人の秘密にしましょう。」

「お前!」

「ほら!いい加減にしろ!」

健吾は2人の警察官に腕を捕まれ建物の外へと追い出される。

「やはりダメだったか………。」

修司は健吾の肩を叩き、バイクへと促した。

呪いとは何を意味するのか。健吾が何を言っているのかは分からない。しかし友達を放って置くほど修司は冷たい人間では無い。

キキィと近くの喫茶店にバイクを止めた修司は、出来るだけ明るい表情で健吾に言う。

「全て話せよ健吾。中二の時、お前に何があったのか。そして黒坂 愛理須の件もだ。場合によっては力になれるかも知れん。」

「……………力?」

「知り合いに、そっち関係に詳しい奴がいる。呪いとか、そう言う事に関しては日本一の奴さ。」

「修ちゃん…………。」


後日談

黒坂 愛理須への警察での取り調べは2日に渡って行われた。目撃証言から愛理須は殺人事件の容疑者として執拗な尋問を受けたと言う。しかし、凶器は愚か死因すら不明のまま証拠不十分として愛理須は解放された。

それは、そうだろう───

健吾は思う。呪いで人を殺せるなんて馬鹿げた話だ。そんな話を信じる者など居ない。

愛理須は………、いや、俺達は完全犯罪を成し遂げた。中二の冬に健吾は自分の母親を殺したのだ。『平穏無事』をモットーとする健吾にとって口やかましい母親の存在は嫌悪以外の何者でも無かった。

だから願ったのだ。『健吾の平穏を脅かす母親は消えて居なくなれと。』願いは叶えられた。天野の言う通りさ。

今日も愛理須は何事も無かったように、都立大日本高等学校1年B組に登校している。

(俺も他人の事は言えないか…………。)

愛理須を取り調べた2人の警察官が遺体で発見されたのは、それから数日後の事だ。

「願いはきっと叶うさ。私の言う事を信じる事が出来ればきっと叶う。」

天野は今日もどこかで、人々の願いを叶えているに違いない。例えそれが天邪鬼(あまのじゃく)な願いだとしても。