【白幡 健吾①】

西暦2047年 東京

カァー

カァー

この時代には珍しくカラスの大群が電線の上や木の梢に所狭しと群がっていた。

バシッ!

「きゃっ!」

夕暮れ時の小さな公園には1人の女子高生が複数人の高校生に取り囲まれている。

(イジメか…………。)

公園の脇道をぶらりと通り掛かった白幡 健吾(しらはた けんご)は面倒くさそうに足を早めた。チラリと見えた女子高生の制服は健吾と同じ学校のものだ。取り囲んでいるのは隣の学校の生徒だろう。人数は7人程度で女生徒の姿もある。

ここでアニメかドラマの主人公なら、颯爽(さっそう)と助けに入り、助けた女子高生に好意を持たれる展開になるのだろうけれど、あいにく健吾はそんな行動は取らなかった。

都立大日本高等学校2年A組に在籍する白幡 健吾(しらはた けんご)のモットーは『平穏無事』、目立たず争いごとは好まない。余計な争いに巻き込まれるのは御免こうむる。

(もうすぐ日が暮れるな………。)

何事も無かったように急いで自宅に辿り着いた健吾を待ち受けていたのは、クラスメイトの東堂 修司(とうどう しゅうじ)であった。

(はぁ……。またか………。)

健吾は思わず溜息をつく。

「よぉ健吾!今日こそは決着を付けようぜ!」

茶髪リーゼントの派手な髪型にダボダボなボンタンを履いた東堂は如何にも昭和の不良を思わせる格好だ。

(いつの時代の人間だよ………。)

健吾は内心そんな事を思いながら無言で修司の横を通り過ぎようとした。

「おい!待てよ!」

「!」

ガシッっと掴んだ右腕に健吾は思わず反応し修司の腕を払いのける。

「やめろ!」

バッ!

「ぐっ!」

「あ!ごめん!」

「てめぇ!」

ドガッ!

次の瞬間、修司の右ストレートが炸裂する。

「ぐはっ!」

 思わず倒れ込む健吾に修司はファティングポーズを取った。

「やる気になったじゃねぇか!ほら!立てよ!」

なぜか嬉しそな表情の東堂 修司(とうどう しゅうじ)。修司は根っからの喧嘩好きだが一方的な喧嘩は好まない。正々堂々と相手をぶちのめすのが趣味と言う硬派気取りの不良なのだ。

「健吾!てめぇと最後にやり合ったのは中二の時だ!あの時は遅れを取ったが、今日はそうは行かねぇぜ!」

健吾はゆっくりと立ち上がると、修司の顔を正面から見据えて言う。

「頼むよ修ちゃん。もう俺に構うのは止めてくれ。もう俺はあの時とは違うんだ……。」

「何を………。」

「これ以上、俺に関わると命の保証は出来ない。修ちゃんを死なせたく無い。」

「な!?てめぇ!」

二人は幼馴染であった。幼少の頃からよく遊び喧嘩もした。言ってみれば親友だった。その関係が崩れたのは中二の時の喧嘩ではない。それよりも少し後の事だ。

「二人とも止めなよ!」

「!」「!」

騒ぎを聞きつけて現れたのは夢野 可憐(ゆめの かれん)。健吾の向かいに住む同級生の女の子。可憐も二人とは幼馴染だ。

「修ちゃんは、何で健吾に突っかかるのよ!仲良くして!」

「だってよ………。こいつが………。」

(分かっている。悪いのは俺だ………。)

健吾は内心そう呟いた。

中二のあの日の出来事が白幡 健吾(しらはた けんご)を変えたのだ。健吾と関わる人間には、いつか不幸が訪れる。健吾の母親が不治の病で倒れたように。

「可憐、お前も俺に関わるな。ロクな事が無いぞ。」

「健ちゃん………。」

バタンッ

そう言って健吾は、自宅の中へと帰って行った。

「ちっ!健吾の奴、何なんだよ!」

東堂 修司は不満気に愚痴を零す。

「健ちゃん、変わったよね。昔はもっと明るかったのに。」

3人はもう高校生だ。昔のようには行かない。そんな事はわかっていた。



【白幡 健吾②】

夢を見た。

あの頃の夢だ。

あの頃の白幡 健吾(しらはた けんご)は、スポーツも出来て頭も良かった。『平穏無事』をモットーとする健吾の意思とは関係なく、周りの大人達は健吾に期待を寄せた。その最たる人間は、健吾の母親だった。

「何やってるのよ健吾!そんな事では明成高校には入れないわ!」

「アナタは頭のデキが違うの。やれば出来るわ。なぜ、やらないの?頑張りなさい。」

うるさいな。と健吾は思った。もう放っておいてくれよ。しかし、口には出せない。健吾は1人、夜の街中へと飛び出した。ただ『平穏無事』に過ごしたいだけだったんだ。

どのくらい歩いただろうか。ふと見上げると大きな鳥居が現れた。

「神社?」

(こんな所に神社なんてあったかな?)

健吾は不思議に思ったが、足は鳥居の向こう側へと踏み出していた。神社の中は物静かで奇妙な安らぎを覚えた。しばらく歩くと大きな社(やしろ)が見えて来た。神社の本殿だろう。

ガザ

「!」

すると、本殿の中から1人の男が現れた。こんな夜中にと思ったが、神社の関係者だろう。事実その容姿は明らかに神主のそれだった。まだ30歳前後の若い神主だ。

「君!こんな夜中にどうしたんだい!?」

驚くのも無理は無い。スマホの時計は深夜ゼロ時を回っていた。健吾よりも、むしろ神主の方が驚いていた。

その男は優しそうな目をしていた。初対面ではあったが、相手が神職と言う事で気が緩んだのかもしれない。健吾は日頃の不満を余すことなく男に話した。

「それは大変だったね………。」

『平穏無事』

それが健吾のモットーだ。だから健吾は願ったんだ。『平穏無事』で居られますようにと。

「君の願いを叶えてあげよう。」

男はそんな事を言い出した。

「何を言ってるんですか。いくら神主さんでも………。」

「私はね。」

男はそう切り出した。

「少し不思議な力があってね。人々の願いを叶える事が出来るのだよ。」

「何を………。」

男は健吾に優しく微笑んだ。

天野 士郎(あまの しろう)。それが男の名前だ。天野は小さな瓶を取り出すと、何やら呪文のような台詞(セリフ)を呟いた。

「健吾君。言霊(ことだま)って知ってるかい?」

「言霊………ですか?」

「そう。言霊だ。私には少し不思議な力があってね。私が言霊を吹き込んだ神水を飲めば、誰もが願いを叶える事が出来る。君の願いは『平穏無事』だったね。」

とても信じられない話であった。しかし、ダメで元々だろう。願いが叶えば儲けもの。その程度の認識で健吾は神水を飲み干したんだ。

カァー

カァー

その時、神社の境内に止まっていたカラスが突然に鳴きだした。

「!?」

バッ!

「はぁ………。はぁ………。」

夢から覚めた健吾の額には、大量の汗が流れていた。

(また、あの時の夢か…………。)

中学2年生のあの日から、健吾は天野と会う事は無かった。いや、会えなかった。

天野 士郎(あまの しろう)と名乗る男がいた神社。その神社が見つからない。健吾は都内の地図に載っている神社を片っ端から訪問したが、あの神社は遂に見つけられ無かった。

あの男のせいで、白幡 健吾(しらはた けんご)の人生は決定的に変わってしまった。

「母さん、行って来るよ。」

健吾はそう言って、仏壇に飾ってある母親の写真に挨拶を済ませると、都立大日本高等学校へと歩き出した。



【白幡 健吾③】

その日は朝から学校がざわついていた。

「見て………。あの子よ。」

「昨日イジメられてた子。」

「1年B組。黒坂 愛理須(くろさか ありす)。気味が悪いわ。」

1階にある1年生の教室の前に人だかりが出来ていた。健吾は、何かあったのかと思ったが『平穏無事』をモットーとする健吾が教室を覗き込む事は無い。何事も無かったかのように2年A組の教室に入った健吾は、1人静かに目を瞑った。

なるべく誰にも関わらない。それには誰とも目を併せない事だ。これが健吾の日常である。

「健ちゃん、おはよー。ねぇ今朝のニュース見た?」

そこに、いつものように話し掛けて来るのは幼馴染の夢野 可憐(ゆめの かれん)だ。全く、構うなと言ってるのに………。

「ニュース?自慢話か?」

可憐は最近デビューしたばかりの新人アイドルだ。なんでもデビュー曲がダウンロード200万件を突破した破格の人気らしい。そんなニュースを最近見た覚えがある。

「違うわよ!もう!事件よ事件!」

可憐は頬を膨らませながらも、話を先へと進める。

「林道高校の生徒が緑山公園で死体で見つかったそうよ!しかも7人よ、7人!」

「緑山公園?って、あの?」

それは、昨晩、健吾が通り掛かった小さな公園の事だ。学校の帰り道にある公園で健吾や可憐の家からも近い。

「やっぱり知らないのね。もう朝から大騒ぎよ。」

「死体って………。7人!?」

間違いなく昨日見掛けた生徒達だろう。うちの学校の女生徒をイジメていた高校生で間違い無い。

「で、犯人は見つかったのか?」

思わず聞き返した健吾に可憐は嬉しそうに微笑んだ。

「健ちゃん、反応したねー。いつもは素っ気ないのに。」

「ちっ!」

珍しく話に乗ってきた健吾を見て、可憐はしてやったりの表情だ。しかし、この話題に乗ってこない方がおかしいだろう。学校のすぐ近くの公園で隣の学校の生徒が7人も死体で発見されたのだから。

「犯人はね、まだみたいだけど………。」

「だけど?何かあったのか?」

「うちの学校の生徒が一緒にいたらしいって。1年B組の黒坂さん?」

「1年B組………。それで人だかりが出来ていたのか。」

目撃者、いや犯人の可能性すらある。警察が嗅ぎ付けるのも時間の問題だろう。

しかし………。女子高生1人で7人の生徒を殺す事など可能だろうか?確か殆どの生徒は男子だったはず。普通ではあり得ない。

「凶器は見つかったのか?」

珍しく健吾の方から質問を浴びせられ可憐はスマホで検索を始めた。

「う〜ん。凶器は見つかって居ないみたいよ。ただ死体は酷く損傷していて、カラスがついばんだ跡があるみたい。」

「カラス………。」

ゾクリと背筋が凍り付いた。確かに昨日の公園にはカラスの大群がいたのを覚えている。しかし、健吾がカラスと聞いて思い浮かべるのはそれでは無い。

あの神社だ────

不可解な死亡事件とカラスと聞いて、思い出されるのは一つしか無い。

(まさか………。)

バッ!

健吾は慌てて走り出した。

「ちょっと!健ちゃん!?」

向かう先は1年B組の教室、黒坂と言う1年生。健吾の予想が正しければ犯人は彼女だ。そして、凶器なんてものは存在しない。彼女は健吾と同類だ。おそらく彼女は願っただけなのだろう。

バタン!

「!」「!」「!」

ざわっ!

教室内外の視線が健吾に集中するが、もう周りの目など構っている暇は無い。黒坂と言う生徒はすぐに分かった。1人だけ何か浮いている少女。健吾は黒坂に近付くと驚く彼女を無視して机にバシンと手を叩き付けた。

「天野はどこに居る!教えてくれ!天野に会ったんだろう!」

黒坂 愛理須(くろさか ありす)は大きな瞳を更に大きく見開いた。驚きと戸惑い。そんな表情を少し見せて、それからクスリと笑った。

「それを知ってどうするの?」

そして、愛理須は言う。

「貴方がどなたなのかは存じませんが、わかってる?」

天野の事を知っているなら、わかるでしょ?と、そんな事を言いたげな表情で愛理須はクスリと笑った。

「私に関わったら、貴方も死ぬわよ?」

「!!」

西暦2047年 東京

この物語は、ここから始まる。