アルゼリア暦1000年7月7日
世界最古の歴史を誇るアルゼリア王国。その千年目の同じ日に、パラス・アテネ神聖国の魔導師であるサラ・イースターは信じられない光景を目の当たりにしたのです。
ブシャッ!
ベチョ!
それは、あっという間の出来事でした。大陸最強と言われるマゼラン帝国の2人の戦士が一撃の元に沈みました。一人は心臓を貫かれ、一人は顔面を破壊されました。本当に一瞬の出来事だったのです。
(落ち着けイース……………。)
サラは自らに言い聞かせます。
(悪魔とは戦う必要は無い。悪魔を召喚した魔導師を探すんだ…………。)
魔導師は必ずどこかに居るはずです。思い返してみれば分かります。悪魔が現れたのはアルゼリア王国の広場でした。マリー・スティシアとマゼラン帝国の騎士が揉めている最中に悪魔は突然現れました。サラほどの優秀な魔導師であれば、悪魔が近付けばすぐに気付きます。その邪悪な殺気を感知出来ないはずが有りません。
つまり、悪魔は別の世界から召喚されたと考えられます。もちろん普通の人間であれば信じる事は出来ないでしょう。この大陸に住む人々にとって世界は一つしか有りません。別の世界から悪魔が来たなど与太話にもほどが有ります。
「なぁイース。」
パラス・アテネ神聖国のルーカスが言いました。
「お前、悪魔って信じるか?」
ルーカスはサラより10歳も歳上の大魔導師です。
「うちの研究所の魔導師達は悪魔が実在すると抜かしやがる。はは、くだらねぇ。」
そしてルーカスは笑うのです。
「本当に悪魔が実在するなら是非とも手合わせしたいものだ。このルーカスより強いかどうか確かめなくちゃいけねぇ。イース。もし悪魔と出会ったら宜しく伝えといてくれ。」
これは、サラが魔導書を探す任務が与えられた翌日の会話です。少なくとも、パラス・アテネ神聖国には悪魔の存在を信じる者がおります。研究結果によれば、悪魔は別の世界に存在すると考えられています。古代の魔導師達は特別な魔法を使って悪魔をこの世界に呼び寄せます。【召喚魔法】と呼ばれています。
(どこに居る…………。)
サラは全ての魔力を集中させて気配を探ります。それは魔導師の気配です。
「ギギ………。」
(……………。)
『おかしい』とサラは思いました。半径数キロメートルの気配を探りましたが魔導師の気配は感じられません。
(くっ………。あの悪魔を呼び寄せた奴はどこに居る…………。)
「ギギ………。」
そろりと悪魔が振り返ります。振り返った先に居るのは気絶しているマリー・スティシア。悪魔はマリーに向かって歩き出しました。
(………まずいな。)
『マリーを助けなければ』とサラは思いました。昨日、初めて出会った少女の事を助ける義理など有りません。しかし、サラは助けなければならないと強く思うのです。
(ルーカス、悪いな………。)
ルーカスと悪魔が手合わせする事は無くなりました。なぜなら、あの悪魔はここで殺さなければなりません。召喚師を探している時間は無いのです。
ふわりとサラの青い髪が揺れました。
「おい!」
そして、サラは悪魔に向かって叫びます。
「僕が相手になろう!」
マゼラン帝国の戦士達を瞬殺した悪魔が相手です。簡単に勝てるとは思っていません。
「ギギ…………。」
悪魔は全身が黒い鎧のようなもので覆われています。風斬りミューズの魔法は通じませんでした。
「ギギ……………。」
加えてそのスピードはマゼラン帝国の騎士よりも素早いのです。油断をすれば瞬殺されるに違い有りません。
(殺られる前に殺す!)
ゴゴゴゴォ!
サラ・イースターの魔力が膨れ上がります。
ルーカスは言いました。
「イース、しかしお前は末恐ろしいガキだな。」
魔法文明が発達したパラス・アテネ神聖国には多くの魔導師が存在します。その数は大陸中の他の国々の全ての魔導師を合わせた数にも匹敵するでしょう。その頂点に君臨する3人の魔導師がいます。その一人、ルーカス・レオパルドがイースの魔力に驚愕したのです。
「あと数年もすれば、お前は凄い魔導師になるだろうよ。」
最強の魔導師ルーカスに、そう言わしめたサラ・イースターの魔力が膨大に膨れ上がり無数の熱球体を作り上げました。まるで燃えたぎるマグマの塊が空中に浮いているようです。
ブワッ!
その熱球体が一斉に放たれました。その数は数百はくだらないでしょう。四方八方から浴びせられる熱球体から逃れる術は有りません。どんなに悪魔のスピードが速くても隙間が無ければ逃げる事は出来ないのです。そして、風の刃を防げても高熱のマグマを防ぐ事など出来るでしょうか。
ボボボボボボッ!
「悪魔よ!その少女に手を出すな!」
サラは柄にも無く叫んでいました。次々と放たれるマグマ色の球体が一直線に悪魔に向かって飛んで行きます。全ての魔力を使い果たしてもこの悪魔を倒さなければいけない。サラは強く思いました。
ボボボボボボッ!
それは恐るべき魔法でした。一つ一つの球体が一撃必殺の威力を持っています。これほどの威力の魔法を操れる戦士は大陸中を探しても見つける事は難しいでしょう。
「イースは天才だよ。」
ルーカスが言いました。
「奴はやがて、このパラス・アテネ神聖国を背負って立つ魔導師になる。近い将来に訪れるマゼラン帝国との全面戦争には無くてはならない男だ。」
ルーカスの話を聞いていた男は微笑みました。シルクハットを被った伊達男です。
「お前がそう言うならそうだろうよ。」
「楽しみだな、カルロス。俺達が共に立つ戦場は世界の常識を覆す事になる。【騎士】よりも【魔導師】の方が強い事を証明しようぜ。」
サラ・イースターの魔力は尋常ではない。神話の中の生き物である【悪魔】でさえも、サラの魔法の前では成す術が有りません。
「ギッ!」
ボボボッ!
ボワッ!!
悪魔の黒い鎧のような皮膚が熱の球体により破壊されて行きます。
「熱に焼かれて死ぬが良い!悪魔!」
ズボッ!!
「!!」
その時、サラの背中を1本の剣が貫きました。
「がはっ!」
サラは大量の血を吐きながら後ろを振り返ります。
(………悪魔!?)
その悪魔はとても冷たい眼をしていました。前方にいる悪魔とは姿形がまるで違います。細長い剣を持つ悪魔は人間の容姿とよく似ています。明らかに格上の悪魔だと直感しました。
(まさか、もう一人の悪魔が居たのか………。)
普段のサラであれば、背後の敵の気配などすぐに察知していたに違い有りません。冷静さを失っていました。背後から貫かれた腹部から大量の血が溢れ出ています。即死は免れましたが致命傷です。
悪魔はスラリと剣を引き抜くと、今度は天へ剣を構えます。夜空の月がとても儚く揺れています。
(ここまでか…………。)
サラ・イースターは自らの死を悟りました。せめて…………。
(あの少女だけは…………。)
サラはマリーの方に目をやります。マリーが気絶して倒れていた場所。
「やめて!!」
マリーの叫び声が聞こえました。いつの間にか目を覚ましたようです。
「その人を殺さないでぇ!!」
それは悲痛な叫びでした。サラがマリーを案じたように、マリーもサラの事を案じていました。そして、マリーはサラの元へ一直線に走り出しました。
(馬鹿が……………。早く逃げろ…………。)
サラは思います。相手は人間では有りません。恐ろしく強大な敵なのです。幼い少女であるマリーなど簡単に殺されるでしょう。
バッ!
「ごめんなさい!」
マリーは倒れているサラを膝の上に抱き抱えました。膝枕のような状態です。サラの腹部からは、どろりと大量の血が流れています。
「治癒魔法(キュア)!!」
「治癒魔法(キュア)!!」
「治癒魔法(キュア)!!」
マリーは何度も魔法を詠唱します。しかし、落ちこぼれのマリーには治癒魔法を発動する事が出来ません。
「治癒魔法(キュア)!!」
「治癒魔法(キュア)!!」
何十回叫んだか分かりません。
「ごめんなさい…………。」
大粒の涙がマリーの大きな瞳から溢れ落ちます。サラの頬に滴る涙は不思議と暖かく感じました。
(そう言えば………。)
サラは思います。
(悪魔は………。どこへ行ったのか………。)
冷たい瞳の悪魔も、黒い鎧の悪魔も姿が見えません。サラの目に写るのは昨日出会った少女のみです。
「マリー…………。」
思わずサラが呟くと
「サラさん………。」
マリーも答えました。
(僕の記憶は消したはずなのに、なぜ名前を………。)
サラはそう思いましたが、もう言葉にする事も出来ません。薄れ行く意識の中で、サラの名前を呼ぶ声がもう一度聞こえました。
「サラさん………、死なないで下さい。」
それが最後に聞いた言葉です。夜空には、とても綺麗な星々が輝いていました。
マリー・スティシア 12歳
サラ・イースター 17歳
これが、マリー・スティシアとサラ・イースターの出会いと別れの物語です。
そして、少女マリーの物語が始まるです。