【ナボスの戦い】
うずく………。
戦場を掛け巡るほどに、額に刻み込まれた刻印が我が体内を侵食して行く。
それは呪われた刻印。
『魔女の刻印』なのだから。
大五光帝国のアッシリアス王国侵攻により始まった帝国と周辺7ヶ国との戦争を大陸の人々は『大陸南部大戦』と呼んだ。約三年間に渡ったこの戦争は帝国側有利に進み対抗した多くの国々は領土の一部を失う事となる。
しかし、語らねばなるまい。帝国が結んだ停戦条約、実質的に終戦へと繋がった7ヶ国同盟との条約は決して帝国側が望むものでは無かった。事実、条約が結ばれたガレリア暦1086年11月11日の1ヶ月前までは大五光帝国は戦争継続の気運に溢れていた。
これは、大戦末期に行われた戦闘の記録。
ガレリア暦1086年10月21日、大五光帝国の大戦最大の作戦、『セシリア共和国』の壊滅を目的とする『閃光作戦』が遂に始まったのである。
「セシリア共和国か………。思えば3年前。セシリアの首都セルカ陥落寸前まで追い詰めた作戦の失敗が全ての過ち。」
大五光帝国では、戦争が長引いた最大の原因はセシリア共和国にあると思われていた。
「セシリアさえ居なければ7ヶ国同盟も実現する事は無かった。」
「まぁ、そう言うな。今回の作戦には各部隊のエース級を投入する。」
「ほぉ?と申しますと………。」
最前線の部隊を3つに分けて同時に進軍を開始する。
「右に陸軍少将 近衛 誠吾(このえ せいご)。左に陸軍大佐 我王 死愚魔(がおう しぐま)。中央からは、陸軍大佐 陣 義経(じん よしつね)。彼等3人に指揮を取らせるつもりだ。」
「なに?」
「我王に陣………。研究所(ラボ)出身の能力者か。」
「2人とも大佐に昇格したばかりだろう。大丈夫なのか?」
「実力は折り紙付きです。2人とも各戦線で驚異的な成果を上げています。特に陣、性格に難がある我王と違い人望も厚い。この作戦の鍵を握る最前線の中央突破、これを任せられるのは陣しか居ないと判断しました。」
ガレリア暦1086年10月23日
セシリア共和国前線基地『ナボス』
かつて20万人の人口を誇っていた『ナボス』は、3年前の大五光帝国の侵略により廃墟と化した。多くの住民は首都『セルカ』や他の中核都市へ転居し現在は登録上の住民は居ない。
「問題はここ『ナボス』だ………。」
陣 義経(じん よしつね)大佐は、『ナボス』を見晴らせる丘の上に拠点を構えていた。
「『ナボス』を素通りし首都『セルカ』を目指せば挟み撃ちになる。前回の作戦はそれで失敗したと聞く。」
「廃墟となった建物に隠れているセシリア兵の数は不明。推定では1万とも2万とも言われています。」
「ふむ。何れにしても背後を取られるのは不味いな…………。」
「奴等、建物の内部から狙撃して来ます。我々が誇る騎馬隊の機動力も役に立ちません。」
「狙撃か………。奴等のライフルは旧式だろう?射程距離はせいぜい200メートル。帝国製のライフルの射程は300メートルを越えている。撃ち合いならこちらに分があるはずだが。」
「陣大佐、『ナボス』の街は入り組んでおり道幅も狭いのです。射程距離はあまり意味が有りません。」
「なるほど………。」
確かに厄介だな、と陣は思った。連戦連勝を続ける帝国軍の中で、対セシリア共和国戦だけは上手く行かない。大戦の最中に5度の進攻を試みて全て失敗している。
(流石に今回の作戦を失敗したら帝国軍の士気にも影響するか………。大役だな。)
他にも陣には失敗を許されない理由があった。それは陣 義経(じん よしつね)が能力開発研究所(ラボ)の出身者だからだ。前皇帝陛下の肝入りで始まった能力開発には莫大な国家予算が投入されている。この戦時中に多くの予算を費やす研究所の評判はすこぶる悪い。
(まぁ、超能力など胡散臭いにも程があるからな………。)
陣は自嘲気味に笑う。
それでも、大戦初期と比べれば能力者の評価は随分と変わった。それは陣と我王の活躍によってである。研究所の評価でSランクを獲得した2人はすぐに最前戦へ投入された。陣の戦場は主に北部戦線。仇敵でもある『プロメテウス連邦』との戦争では3度参戦しその全てに勝利した。
「大佐、どうしましょうか?」
「ん?あぁ、すまん。」
考えられる方法は一つ。少し古典的ではあるが…………。
「火を放て。」
「火……ですか?」
「民間人は居ないのであろう?それなら大陸条約にも違反しない。煙に巻かれた敵兵は建物の外へ出るしか無かろう。そこを狙い撃て!」
「はっ!」
火計、古来より行われている典型的な戦法だが、ゲリラ相手には効果的だろう。
(後で『サファリス教団』から非難を浴びる可能性はあるが、それは戦後に考えれば良い。)
陣は そんな事を考えながら敵兵が炙り出されるのを待つ事にした。
ボワッ!
ボボボボボッ!
火の手は瞬く間に広がり『ナボス』の街全体が炎に包まれる。轟々(ごおごお)と燃え盛る炎は、この世の行く末を暗示しているようであった。
ボォ!
ボボボボボボボボ…………。
「………………。」
そして、30分が経過した。
(おかしい……………。)
敵兵が出て来るどころか悲鳴一つ聞こえない。
(もぬけの殻?奴等『ナボス』を捨てて『セルカ』防衛に全兵力を注入したか。)
ボボボボボボ…………。
「大佐、いかが致しましょうか。」
「敵は我々に恐れを為した様だ。先を急ぐぞ。」
「はっ!」
陣大佐率いる大五光帝国の部隊は『ナボス』を素通りしセシリア共和国の首都『セルカ』を目指す事にした。まだ消えぬ炎を見ながら兵士達は先を急ぐ。
第一関門である『ナボス』攻略を終え兵士達の緊張の糸が途切れた時。
ズダーン!
銃声が聞こえた。
「何事だ!」
「敵襲です!炎に焼かれた建物の中から銃弾が!」
「何だと!!」
(まさか、炎の中で我々の隙を狙っていた?もう何十分も経つぞ………。)
ズダーン!
ズダーン!
「ぐわっ!」
「どわぁぁ!」
(ちっ!)
「騎馬隊を除く全軍に命令する!突撃せよ!敵兵は建物の内部に潜んでいる!!探し出せ!!」
「大佐!建物は燃えています!その中へ突撃するつもりですか!」
「それは敵兵とて同じ条件だ!臆するな!」
「はっ!」
まさに前代未聞。大五光帝国軍とセシリア共和国軍との戦闘は火中での戦闘となる。
バタバタ!
「良し!行くぞ!気を付けろ!」
バンッ!
ボボボボボボッ!
「くっ!敵はどこだ!」
「見当たりません!」
「くそっ!他の建物だ!急げ!」
ズダーン!
ズダーン!
「ぐほっ!」
「な!?」
何が起きているのか。いくら探索してもセシリア軍の兵士は見つからない。それでいて敵の銃撃により仲間の兵士達が死んでいく。
(考えろ………。何か裏がある。)
ボワッ!
ボボボボボッ!
ズターン!
ズターン!
「!」
「地下だ!セシリア兵は地下に塹壕を作って隠れているぞ!!」
「何だと!」
「くっ!生意気な!探せ!地下へ繋がる通路を徹底的に探し出せ!!」
陣 義経(じん よしつね)にとって、それはかつて経験した事の無い戦闘となった。いや、陣だけでは無い。大五光帝国の兵士達もこのような戦闘は経験が無い。
ズダーン!
「うわっ!」
ズダーン!
「ぐぉ!」
戦場から聞こえる悲鳴と炎の熱気が陣の冷静な判断を奪って行く。
「地下に潜む人数には限りがある!それほど多くは無い!押し切れるぞ!」
ズダーン!
ズダーン!
「!」
「隊長!敵襲です!」
「なに!!どこだ!!」
「側面東方向より敵の部隊が襲って来ました!数にしておよそ500人!!」
「ちっ!伏兵か!騎馬隊出撃せよ!!」
「はっ!」
500人程度の兵力なら恐れる必要は無い。大五光帝国が誇る騎馬隊を持ってすれば数分で片が付く。
ヒヒィーン!
ヒヒィーン!
「!」
「どうした!」
「大佐!湿地帯です!前へ進めません!!」
「ちっ!」
ズダーン!
ズダーン!
(馬鹿な…………。)
まるで射撃の的のように、騎馬隊の兵士達が次々と倒れて行く。ここまでの戦況は完全にセシリア軍が支配していた。
(どう言う事だ………。)
何から何までおかしい。そもそも塹壕を掘って隠れるなど通常の戦闘では有りえない。まるで我々が街に火を放つのを知っていたかのようだ。伏兵の配置もおかしい。伏兵を迎え撃つのが騎馬隊なのが分かっていたかのような配置。そして湿地帯の位置。
(まさか『未来予知(ビション)』)
陣は、かつて研究所の仲間であった1人の少女の事を思い出した。栗原 沙羅(くりはら さら)の能力があれば、我が軍の戦略を見破る事が出来るかもしれない。
(いや………冷静になれ。)
沙羅は大戦初期の戦闘で命を落とした。生きていたとしても敵国であるセシリア軍に加勢するはずもない。
(偶然か……、もしくは、恐ろしく頭の切れる奴が敵軍に居る…………。)
セシリア共和国軍にいる指揮官と言えば。
ロザリア人の兵士『漆黒の悪魔』。
大戦が始まってから幾度となく帝国軍を苦しめて来たセシリア軍の兵士。
(読めた……………。)
陣は、近くに居た兵士より手榴弾を受け取ると、右手に持つ帝国製のライフルを握りしめた。
(奴の次の行動は一つしかない。)
数的有利を誇る帝国軍がセシリア軍に勝てないのは、指揮官を狙われるからだ。初戦で敗退した時もそうだ。セシリア共和国の首都『セルカ』を目前にしながら帝国軍が敗走したのは、当時の指揮官であった総司令官が『漆黒の悪魔』に殺されたからだと聞く。
ならば……………。
(奴の狙いは、この軍隊を統率する俺だ!)
ドーン!!
「!」
「我が名はジョー・ライデン!お前が帝国軍の指揮官か!」
ざわっ!
たった1人………。
突如として目の前に現れたのは、予想通りの男。
(たった1人で俺の首を狙いに来るとはいい度胸だ………。)
噂に聞く『漆黒の悪魔』は全身を真っ黒い鎧で覆われていた。その身長は3メートルを越え右手には巨大な剣が握られている。
距離にして30メートル。
この距離からライフルを撃ち込んでも奴は死なない。どんな素材で造られているのか、あの鎧は弾丸を弾き返す。
「化け物が…………。」
陣はそう吐き捨てると、ライフルの銃口をジョー・ライデンへと向けた。
(噂が本当なら、奴はこの距離を瞬時に詰める。)
ズサッ!
陣の周りに居た兵士達も一斉に銃を構える。大五光帝国の多くの兵士は『ロザリア人』を見るのは始めてだが『漆黒の悪魔』の噂は聞いている。
おそらく、この一戦が戦況を左右する。
ここで陣が負けるような事があれば帝国軍は瓦礫の如く崩壊へ向かう。大五光帝国は、またしてもセシリア共和国に敗れる事となるだろう。
「行くぞ!!」
ビュン!!
「!!」
先に動いたのはジョー・ライデン。巨漢の男が猛烈な勢いで走り出した。
ズダーン!
ズダーン!
味方の兵士が一斉に射撃をするもジョー・ライデンには当たらない。
予想以上のスピードだ。
グワンッ!
持ち上げられた大剣が雷電の如く速度で陣の首元を狙う。
これは予想通り!
『漆黒の悪魔』
奴を倒す方法は2つ。
超至近距離からのゼロ距離射撃。流石の黒い装甲もゼロ距離なら破壊出来るはずだ。そして、もう一つは手榴弾。手榴弾の爆発で死なない奴は居ない。
(確かにここまでは完敗だ。)
陣は素直に負けを認める。
戦力に勝る帝国軍が苦戦を強いられたのは、戦略による差だろう。火計は見破られ、騎馬隊の機動力も封じられた。
しかし
(最後の最後に勝つのは俺だ!)
『漆黒の悪魔』を殺せば、戦況は逆転する。今回の戦(いくさ)だけではない。大五光帝国とセシリア共和国との戦況が変わる。それ程の強敵!!
グワッ!
『瞬間移動(テレポート)』!!
「!!」
陣の身体が消える瞬間、ジョー・ライデンの瞳が大きく見開かれた。そりゃあそうだろう。
陣 義経(じん よしつね)の能力は『瞬間移動(テレポート)』。能力開発研究所(ラボ)でのランクはS級。第一世代では3人しか居ない最高能力者の1人。
「施設の人間以外の者で俺の能力を知っている奴は居ない。」
背後に現れた陣は、ライフルの銃口をジョー・ライデンの背中に押し当てた。
「なぜなら、俺の能力を見た人間は全て死んだからな。」
「!!」
「遅い!!」
ズダーン!!
「ぐぉ!」
ゼロ距離射撃。
漆黒の鎧をブチ破りライフルの弾丸はジョーの背中に撃ち込まれた。
ピンッ!
次に陣は手榴弾のピンを外しジョーの前に放り投げる。
「さらばだ『漆黒の悪魔』。」
シュン!
ドッガーン!!
爆発の寸前に瞬間移動で距離を取った陣は背後から聞こえる爆発音を確認して静かに目を閉じる。
(終わった……………。)
「やったぁ!」
「『漆黒の悪魔』を倒したぞ!」
「大佐!今のが例の研究所の能力ですか!?」
「す、すげぇ!」
「これが、超能力…………。」
仲間達の喜びと驚きに満ちた声が聞こえて来る。陣はゆっくりと目を開けて、ぐるりと辺りを見回した。
(………………7.8.9人。)
帝国軍の兵士達の大半は、燃え盛る街中で戦闘を継続している。残った騎馬隊も湿地帯で孤軍奮闘している最中だろう。
「9人程度で良かった。」
スチャ
陣はライフルの銃口を仲間の兵士達へ向ける。
「……………大佐。どうしたんです?」
「聞いて無かったのか?俺の能力を見た者は生かしては置けないと。」
「!!」
ズダーン!
「大佐!何を!!」
ズダーン!
ズダーン!
「うわぁ!」
「助けて!」
ズダーン!
「ひぃい!!気でも違ったか!!」
「『瞬間移動(テレポート)』!!」
シュン!!
ズダーン!ズダーン!
ズダーン!ズダーン!ズダーン!
「ふ…………。」
目の前に転がる仲間達の死体を見て陣は笑う。
「俺の能力をバラす訳には行かない。施設の人間ですら俺の能力を知っている奴は殆ど居ない。」
軍の上層部ですら知らない機密事項(トップシークレット)を、一般兵に知られる訳には行かない。
「さてと……………。」
敵の指揮官である『漆黒の悪魔』は倒した。戦況は予断を許さないが『漆黒の悪魔』を殺しただけでも戦果としては申し分無い。
「最低限の任務は果たしたと言った所か………。」
ズバッ!!
その時
陣のライフルを握っていた右腕が空中へと投げ出された。
「ぐわぁあぁぁぁぁ!!」
かつて経験した事の無い激痛が右腕に走る。そして、振り向いた陣が見たのは人間とは思えない程の巨漢の男、ジョー・ライデン。
「お前!なぜ生きてる!!」
確かにライフルの弾丸は奴の背中に撃ち込んだはずだ。そして、手榴弾も。
ボワッ…………。
(十字傷………………。)
見るとジョー・ライデンの額にある十字傷が不気味な光を発していた。まるで呪われた血色の光だ。
ゾクゾク
悪寒が走った。右腕を斬り落とされた痛みも忘れる程の恐怖。
(こいつは不味い!)
ブワッ!
大剣が振り上げられ、そして振り下ろされる。
シュン!
バシュッ!
ドバッ!!
ゴゴゴゴゴォ……………。
地面を叩き付けた衝撃で大気が震え、土煙が舞い上がった。
「………………。」
しかし、そこには陣 義経(じん よしつね)の姿は無かった。
(能力で逃げたか……………。)
ジョー・ライデンは大きく深呼吸をしてから、近くに落ちていた仮面を拾い上げるが漆黒の仮面はパラパラと地面へと崩れ落ちた。手榴弾の爆破で仮面は既に使い物にならなくなっていた。
「隊長!」「ジョーさん!」
「キラ、沙羅…………。」
そこに駆け付けたのはジョーが率いる共和国軍の兵士達だ。
「やりましたね隊長!」
「ジョーさん、大丈夫ですか!」
今回の戦闘は流石のジョー・ライデンも無傷とは行かなかった。手榴弾の直撃を受ければ普通の人間なら即死だ。
「何とかな………。作戦が上手くいったのは沙羅のお蔭だ。」
そう言ってジョーは、沙羅の頭に巨大な手の平を乗せる。
「キラ………。戦闘は終わって居ない。ここからが本番だ。」
「あぁ。」
「塹壕に隠れている兵士など殆ど居ない事はすぐにバレる。奴等が火中から出て来た所を狙い撃ちにする!」
「任せとけ!全て予定通りだ!」
ガレリア暦1086年10月23日
大戦末期に行われた大五光帝国とセシリア共和国との『ナボスの戦い』は共和国軍の勝利で幕を閉じた。同時進行していた大五光帝国の左右の部隊は中央戦線の敗北が決まったと同時に撤退を開始。
翌月、1086年11月11日、帝国は7ヶ国同盟の停戦条約を受け入れ約三年に渡って行われた『大陸南部大戦』は終結する。