【漆黒の悪魔】
見える…………。
見えるわ。
彼こそが私の救世主
運命の人。
ガレリア暦1083年7月21日
「これより『セシリア共和国』への進軍を開始する!目指すはセシリアの首都『セルカ』!首都制圧まで帰還は許されない!行くぞ!!」
大五光帝国が隣接する小国『アッシリアス王国』と戦争を始めたのは3ヶ月前。経済力と軍事力に優れた帝国が『アッシリアス王国』を制圧するのは容易な事と思われた。事実『アッシリアス王国』の首都『マーラ・アシス』は開戦後一週間で陥落する。しかし、『アッシリアス王国』は敗戦を認めずゲリラ戦を継続。戦争は予想に反し長期化していた。
帝国軍戦略会議室
「『アッシリアス』のゲリラを支援しているのは、『カシャス王国』『プロメテウス連邦』そして………。」
「『セシリア共和国』か。」
「奴等は武器に食料、傭兵まで動員しテロ活動を支援している。『セシリア』を潰さねば戦争は終わりませんな。」
「ふん。我々を敵に回すとどうなるか目に物を見せねばなるまい。」
大五光帝国に敵対する勢力の中では『セシリア共和国』が最も経済力があり軍事力にも秀でている。それでも帝国と比べればその差は歴然。正面から衝突すれば帝国の勝利は揺るがない。
セシリア進攻の為に動員された兵士の数は当時としては最大規模の1万9000人。最新式の帝国製ライフルを標準装備された帝国軍は連戦連勝を重ね、遂に『セシリア共和国』の首都『セルカ』の目前にまで迫っていた。
そして
事件はその夜に起きる。
首都『セルカ』攻略前夜、翌日の攻撃に備え総司令官の二階堂(にかいどう)は幹部達と最後の打ち合わせをしていた。
「総司令官殿、情報部隊の兵士が至急伝えたい事があると。」
「情報部隊?誰だ?」
「はっ!何でも『能力開発研究所(ラボ)』出身の兵士だとか………。」
「あぁ?ラボ出身だと?この忙しい時に………。通せ!」
そこに現れたのは年端も行かない少女であった。少女の名前は栗原 沙羅(くりはら さら)。淡い緑色の髪は大五光帝国の人間としては珍しい。これも能力開発による副作用なのかと思ったが今はどうでも良い事だ。
「沙羅二等兵、要件は何だ。」
総司令官の二階堂が沙羅(さら)に尋ねる。
「総司令官殿………あの………。」
「早く言え。」
「はい。あの………、進軍を中止して早急に撤退して下さい。」
「なんだと!?」
ザワ
これには総司令官だけではなく、その場にいた幹部一同全員が驚いた。帝国軍人にとって作戦遂行もせずに撤退など有りえない。ましてや今の帝国は連戦連勝、首都『セルカ』を目前にして撤退する理由は何一つ無い。
「あの……。私の能力は『未来予知(ビジョン)』。このままでは帝国軍は………。」
「馬鹿者!!」
バシッ!!
「きゃっ!」
ドガッ!!
二階堂司令官の平手により、沙羅は大きく吹き飛ばされる。
「我が軍に臆病者は要らぬ。ラボ出身だからと言って容赦はせぬぞ。この戦争が終わったら軍法会議にかける。二度と監獄から出られ無いと思え!」
「そ……そんな!司令官殿!」
「連れて行け!」
「は!」
大五光帝国に於いて能力者の研究が開始されたのは今から10年も前の話だ。当時の多くの科学者や軍人がこの研究に反対した。人間の脳を開発し超能力を持たせるなど不可能。誰もがそう思った。
『不可能を可能にする方法なら既にある。我々は神に選ばれたのだよ。大五光帝国こそ世界の支配者となる。』
前皇帝陛下はそう言い残しこの世を去ったと言われている。
前皇帝時代に始まった2つの国家プロジェクトは10年の歳月を経て軌道に乗り始めた。一つは能力開発研究。一つは飛空艇の開発だ。
しかし、このオーバーテクノロジーとも思えるプロジェクトに反対する国民は未だ多い。特に保守的思考が蔓延している軍部では能力研究に懐疑的な勢力が大勢を占めていた。栗原 沙羅(くりはら さら)は、『能力開発研究所(ラボ)』で能力開発に成功した最初の1人であり、能力者の実践投入は過去に例が無い。
「どうしよう…………。」
総司令官も、軍の幹部達も沙羅の能力など誰も信じていない。このまま戦争が終われば、沙羅は監獄に閉じ込められ一生を過ごす事になる。
(いや………。そうじゃない。)
沙羅の能力『未来予知(ビジョン)』を信じるなら、総勢2万人近い『セルカ』攻略軍は壊滅する。沙羅とて生きて戦場から帰れる保障は無い。
「そんなの、私だって信じられない………。」
『未来予知(ビジョン)』に映ったのは、漆黒の鎧をまとった1人の兵士だ。その巨漢は人間のものとは思えないほど大きく、帝国軍のライフルが命中してもビクともしない。
『漆黒の悪魔』
(逃げなきゃ………。)
漆黒の悪魔が、いつ現れるのかは分からない。『未来予知(ビジョン)』の欠点は沙羅の意識とは全く無関係に映像だけが見える事だ。場所も時間も特定出来ない。ただ突然に近未来の映像が脳内に映し出される。
ゴソ
兵士達が寝静まった頃合いを見て、沙羅は帝国軍のテントから抜け出した。総司令官や幹部の人間はセシリア共和国の国民から奪った民家で寝泊まりをしているが、何せ1万9000人もの軍隊だ。全員が民家に有り付ける訳ではない。しかし、下手な民家に泊まるよりはテントの方が脱走するには都合が良い。
「沙羅二等兵殿!」
ビクッ!
「どうしたんだ、こんな夜中に?」
(見つかった…………。)
流石に見張りの兵士は寝ていなかったか………。脱走がバレたら監獄どころかこの場で殺される。
「いや、その………。ちょっと寝付けなくて。」
「ん?」
見張りの兵士か沙羅の事をジロリと見る。
(まずい…………。)
「はは、明日はセシリアの首都攻略だからな。緊張するのも分かるが気をつけるんだぞ。ここは既に敵地のど真ん中だ。」
(セーフ!!)
沙羅が総司令官を怒らせた事は知れ渡っては居ない様子だ。
「う、うん。ありがとう。すぐに戻るわ。」
この日は 実に見事な満月の夜だった。月明かりが照らす夜道を、沙羅は出来だけ遠くへと走った。
もともと沙羅は穏やかな性格で軍人には向いていない。しかし研究所で育った沙羅には軍人になる以外に道は無かった。今までに施設で育てられた子供は数百人は越えている。彼等は被験者と呼ばれモルモットとしての一生を送る。そして、能力が開花しなかった子供達は容赦なく殺されていった。
第一世代と呼ばれる子供達の中で最初に能力が開花したのが栗原 沙羅(くりはら さら)だ。生きたまま施設から外の世界へ出られた被験者は沙羅しか居ない。
「みんな………元気かな………。」
走りながら沙羅は施設に残された友達の事を考えていた。果たして何人の友達が生き残り、どれだけ多くの友達が殺されるのか。
(うっ…………。)
沙羅の瞳からは自然と涙が零れ落ちる。それでも沙羅は無我夢中で走った。月明かりの中を必死で走る。敵国のど真ん中であっても怖くは無い。研究施設での生活を思えば怖いものは何も無い。まだ17歳の少女の沙羅にとって、これは自由への逃避行。
ドン!
「きゃっ!」
すると沙羅の前に大きな人影が現れて、沙羅は正面から衝突しその場に倒れ込んだ。暗闇と涙のせいで人影に気が付かなったのだ。
「痛…………。」
「おい、大丈夫か?」
大きな手が沙羅の目の前に差し出される。その手はとても大きく真っ黒な甲冑で覆われていた。
(え…………?)
手だけではない。恐る恐る顔を上げると、その男は全身を真っ黒な甲冑………。まるで中世の騎士のような鎧に身を包んでいるではないか。
「!!」
(『漆黒の悪魔』!)
沙羅は直感する。この男は『未来予知(ビジョン)』に映し出された『漆黒の悪魔』だ。
「あ…………その……………。」
怯える沙羅を見て甲冑の男は優しく微笑んだ。
「心配無い。何も取って喰おうって訳じゃあない。」
(…………………。)
何て穏やかな響き。その巨体と風貌からは想像も出来ない優しい声だ。未来映像で見た男は仮面を被っており素顔は見ていなかったが、仮面の下の素顔はそれほど怖さを感じない。しいて言えば額にある大きな十字傷。痛々しいほどの十字の傷が男が只者ではない事を物語っているようだった。
「隊長、その女は敵兵じゃないのか?大五光帝国の軍服だぜ?」
すると、男の後ろから声が聞こえた。よく見ると男の後ろには数十人の『セシリア共和国』の兵士と思われる男達が待機している。
(まずい………。よりによって敵軍の兵士に見つかるとは…………。)
「ふむ。」
隊長と呼ばれた甲冑の男がまじまじと沙羅の顔を見る。同時に沙羅も男の事を改めて観察する。
何とも変な男だ。その身長は優に3メートルを越えており人間とは思えない。何より不可解なのはその甲冑だ。近代戦闘に於いて兵士の多くは迷彩服と呼ばれる軍服や制服を来ている。動きが重くなる甲冑などライフルによる狙撃の的になるだけだ。時代錯誤も甚だしい。
しかし………。
沙羅は昨日見た『未来予知(ビジョン)』の映像を思い出した。この男にはライフルの銃弾は通じない。その漆黒の鎧が全ての弾丸を弾き返し、巨漢とは思えない速さで帝国軍の兵士達を次々と斬り殺して行く。
斬る………。近代戦闘では有りえない戦闘様式。
「女…………。脱走兵か?」
「え…………?」
「帝国の軍人で女など珍しい。しかも若い少女と来たもんだ。何か事情が有りそうだな。」
「あ、その………。」
「おい!キラ!」
「へーい。」
「この女を保護しろ。丁重に扱え。そして上部には報告するな。」
「え?」
この男は何を言っているのだろう。敵国の兵士を殺さずに丁重に扱えなど帝国では考えられない。
「隊長、良いんですか?上層部に報告もせず。」
キラと呼ばれた男が甲冑の男に確認する。
「なに構わんさ。軍規違反なら山ほどある。今更、大した事ではない。」
「はは……。ごもっともで。」
その後、沙羅は護衛の兵士に連れられ『セシリア共和国』の街中にある建物へと案内された。一方、甲冑の男は帝国軍との戦争へと向かう。たったあれだけの兵士で2万人もの帝国軍とどう戦ったのか。その報告を受けたのは戦争が終わって三日後の事であった。
「挨拶が遅くなったな。」
男の名前はジョー・ライデンと言う。
戦地から戻ったジョー・ライデンは沙羅の前に手を差し出した。握手のつもりだろうが何とも大きな手だ。
「はは、大丈夫さ。こう見えて隊長は仲間には優しいんだ。」
キラが笑いながら口を挟む。
「仲間…………?」
沙羅は恐る恐るジョーの手を握る。
「俺達は共和国軍の中でもはみ出し者だ。移民も多い傭兵部隊みたいなもんさ。」
「移民………。ジョーさんは共和国の人間では無いのですか?」
沙羅が尋ねると、ジョーはにこりと笑顔を見せる。その風貌からは想像も出来ない笑顔だ。
「ここ『セシリア』の大統領は太っ腹でな。国籍に関係なく誰でも受け入れちまう。俺のようなロザリアの化け物でもな。」
「ロザリア…………。」
かつて大陸の北部にある国々を支配し、戦慄と恐怖の象徴として大陸中の人々から恐れられた少数民族『ロザリア人』。施設で育った沙羅でもその名前くらいは知っている。『ロザリア人』の歴史は長い大陸史の中でも、最も華々しくそして悲惨な物語の一つだ。
今からおよそ200年前、新たに開発された銃火器などの新兵器は、それまでの戦争の仕方を一変させた。剣と剣で戦う戦闘様式は次第に影を潜めライフル銃による遠距離攻撃が一般的となる。ロザリア人にとって、この新兵器は致命的な弱点となった。
その巨漢はライフル銃の格好の的となり、少数民族ゆえの絶対数の少なさが戦闘には不利に働く。人数に勝る近隣諸国がロザリア人の帝国に反旗を翻したのだ。戦争が始まって間もなくしてロザリア人の帝国は滅んだ。強過ぎたロザリア人は必要以上に恐れられ、そして嫌われていたのだ。
「それまでの悪行が祟ったのだろう。自業自得さ。」
ジョーは笑いながらそんな事を言う。
しかし、ロザリア人の悲劇は帝国が滅んだだけでは済まない。大陸中の人間から忌み嫌われる存在であったロザリア人は、もはや人間として生きる事すら許され無かった。
『居たぞ!ロザリア人だ!』
『化け物は殺せ!!』
ガレリア暦900年を過ぎた頃には、ロザリア人は既に人間としての価値は認められず亜人の分類に認定された。すなわち人の法では護られない人外の存在。ロザリア人を殺しても殺人の罪には問われない、家畜以下の存在となった。
「ここセシリア共和国は、特別でね。」
ジョー・ライデンは言う。
「俺のような者でも軍隊の隊長を任せられる。この国で俺は人間としての尊厳を取り戻したんだ。」
だから俺は共和国の為に戦う事を決めた。
美しい満月の月明かりを背に、漆黒の鎧を纏った男が帝国軍が拠点を構える郊外にある街に現れたのは3日前の深夜の事だ。顔面を覆う仮面から男の表情は見て取れない。
スラリ
男の武器は巨大な大剣であった。鉄砲が発明されライフルが製造される現代に於いて剣で戦う兵士など存在しない。
「我が名はジョー・ライデン。古代より伝わる伝説の神々『北方十二神』の末裔であり、ロザリアの王の血族である!!」
ざわざわ!
かつて大陸の北部を支配した北方民族がいた。その巨漢は大陸熊(グリフス)よりも大きく、そのスピードは大陸虎(デビルタイガー)よりも速い。少数民族でありながら、北方の国々を瞬く間に壊滅させ一大帝国を作り上げた伝説の民族『ロザリア人』。確か、『ロザリア人』が崇拝していた神の名が『北方十二神』だ。
「何だあいつは………でかい!」
「ロザリア人だと!生き残りが居たのか!?」
「奇襲とは小賢しい!」
「恐れる事は無い!迎え撃て!」
ズダーン!
ズダーン!
バシュ!
キィーン!
「!」「!」「!」
「な!?」
「おい!何をしている!狙い撃て!」
「撃ってますよ!」
「うわぁ!接近して来るぞ!」
クンッ!
グワンッ!
バシュッ!
「ぐわぁぁぁ!!」「ぎゃあぁぁぁ!!」
見張りの兵士達は戦慄した。なぜなら、こんな戦闘は経験が無い。近代戦闘に慣れた兵士達にとって剣での接近戦などどう対応したら良いのか分からない。
「敵襲だ!!」
「至急、司令官に報告を!」
「全員を叩き起こせ!!」
ザッザッザッ!
兵士の1人が総司令官が待機する軍本部のある民家へ駆け込んだのは深夜の2時を過ぎた頃であった。総司令官の二階堂は、慌てる兵士をなだめ戦況の報告を聞く。
「敵軍の数は数十名だと?」
「銃弾が効かない?寝ぼけているのか。」
司令官以下、幹部達は兵士の報告を聞いて笑いだした。
「総司令官殿!本当なんです!」
「いい加減にしろ!さっさと配置に戻れ!」
ドガッ!
バキバキバキッ!
「!」「!」「!」
次の瞬間、民家の壁が蹴破られ巨漢の男が現れた。
「な、な…………貴様、誰だ!」
「お前が大将か…………。」
シャキィーン!
「!」
ズバッ!!
それは見事な太刀筋で、二階堂は悲鳴を上げる事すら出来ず絶命したと言う。その場にいた帝国軍の幹部は8人。ジョーは、全ての幹部の首を斬り跳ねた上で帝国軍の無線機を手に取った。
「あぁ、こちら帝国軍の本部。総司令官以下全ての幹部は敵襲に合い討ち死にした。繰り返す…………。」
ザワ
「よって我が軍は国境線まで撤退し、作戦を立て直す事とする!これは本国……、皇帝陛下の命令である!至急撤退せよ!!」
ヒューン
ズダーン!
直後に黄色く光る閃光が天空へと放たれた。
「良し!成功だ!」
「全軍出撃だ!!」
副隊長のキラ・カーマンシーは共和国軍の全軍へ指示を出す。近くの山岳部に潜んでいた共和国軍の数はおよそ5000人。帝国軍1万9000人と比べれば明らかに物足りない。しかし、混乱する帝国軍など恐るに足りぬ。国境線まで無傷で辿り着いた帝国軍兵士の数は3000人を割っていたと言われている。
大五光帝国の進軍で始まったセシリア共和国との最初の戦争は、こうしてセシリア共和国側が帝国軍を押し戻し実質的な勝利で幕を閉じた。
「栗原 沙羅(くりはら さら)か………。良い名だ。」
ジョー・ライデンは告げる。
「帰る場所が無いならここに居ろ。移民の1人や二人が増えたとて何ら影響は無い。」
ガレリア暦1083年7月24日
こうして、大五光帝国の研究施設で育てられた17歳の少女 栗原 沙羅(くりはら さら)は、ジョー・ライデンとの運命の出会いを経て『セシリア共和国』の国籍を取得した。
戦時中の敵対する両国の間で、移民が認められたのは極めて異例の出来事であったと言う。