【第三話 未来産業】
西暦2029 年2 月
この時代、世界のAI技術は3つの大国によって覇権が争われていた。アメリカ合衆国、中華人民共和国、そして日本。
中でも日本国のAI技術は新興企業である『未来産業』が一手に引き受け、卓越した研究者の努力の甲斐もあり、日本国は7年振りに世界最高の演算処理能力を誇るスーパーコンピュータの開発に成功した。
『日本国民の皆さん。そして政府関係者の皆さん。我々のような新参者の企業が、このような名誉を獲得した事を大変嬉しく思います。ここに感謝の意を表明致します。』
「へぇ、凄いね兄ちゃん。この会社、創立してまだ5年なんだってさ。」
俺の妹、本郷 茜(ほんごう あかね)が、呑気な事を言っている。
「そんな事より上野公園の連続殺人事件だ。ニュースの続報は無いか?」
未来産業なんて会社はどうでも良い。気になるのは白音 凛(しらね りん)の安否。凛は今、7人もの人間を殺した悪霊と対峙しているはずだ。
「殺人事件?」
「そうだ。」
首を傾げる妹に、本郷 聡(ほんごう さとし)は、強い口調で問い掛けた。すると妹は呆れた様子で口を開く。
「何言ってるのよ兄ちゃん。あれは事件じゃなくて心臓麻痺だってニュースで言ってたわよ。」
「は?」
「遺体に外傷は無く毒物も発見されなかったって。」
「だからって、7人だぞ?そんな大勢の人間が一度に心臓麻痺とか有り得ないだろ!」
「知らないわよ。そう発表してたんだから、私に言わないで!」
そりゃそうだ、妹にあたっても仕方がない。そして、捜査は打ち切られた方が良いのかもしれない。なにせ相手は悪霊だ。警察が束になっても敵わない。
(霊魂が見えない人間が現場に行けば、殺されるだけだからな…………。)
ならば、と聡は思う。
結局、凛の力になれるのは俺だけだ。何の為に3ヶ月の間、実践を積んで来た。惚れた女に戦わせ自分は安全な場所で待つだけなんて………。
「わりぃ茜!ちょっと出掛けて来る!」
「ちょっと兄ちゃん!何処に行くのよ!?」
「デートだ!」
俺はそう言い残し我が家を飛び出した。ブルルとエンジン音を響かせる愛車のカワサキ5000に跨り、急いで上野公園へ向かう。自宅から上野公園まではそう遠くない。飛ばせば30分程度で着くはずだ。
「副大臣、ようやく警視庁が納得したようですね。」
そう告げるのは40歳そこそこの男。特殊な覆面をしている為に素顔は見えないが、声色はかなり低い。
「ふむ。無能な奴らだよ。霊魂の見えない警視庁には何も出来ん。元よりこの事案は、経済産業省の管轄なのだ。他の省庁がしゃしゃり出て来る事自体が間違いだ。」
「おっしゃる通りです。」
覆面の男はそう返答すると、部下と思われる男に目配せをした。
ここは、上野公園近くの国道沿い。
公園をグルリと取り囲むように配列された装甲車両の数は13台。車両の側面には『未来産業』のロゴが記されていた。
『各車、電磁パネルシステム起動。』
部下の声が13台の装甲車内に鳴り響く。ウィーンと言う機械音と共に車両の上部を覆う装甲が左右真っ二つへと開かれ、中から巨大なアンテナが現れた。
日本国最先端の科学技術を誇るIT企業『未来産業』。その技術の粋を集めた『電磁パネルシステム』が起動すると、上野公園全域を取り囲むように電磁波の結界が現れた。
「弥勒(みろく)隊長、準備が整いました。」
覆面の男の名は弥勒 王師(みろく おうし)。『未来産業』の取締役にして実働部隊の指揮官でもある。弥勒は目を細め面前のモニターを凝視した。
ぽつぽつと映し出される黄色い光は人間の『魂』を映し出す。
「避難勧告は出ているはずだが、随分と人がいるな………。」
「はっ!全ての住民を避難させるのは困難かと。」
「ふん。警視庁も役に立たない。」
それだけ言うと、弥勒はパネルを操作して目的の『魂』を詮索する。
(いた…………。)
無数に点在する黄色い光の中に、1つだけ異才を放つ巨大な光を見つけ出したのだ。
「『アダム』を発見した。かなり強い光だ。やはり『魂』を吸収したか。」
独り言とも受け取れる弥勒の言葉を聞いた副大臣が心配そうに話し掛ける。
「弥勒君。本当に大丈夫なのかね。」
すると弥勒は覆面に隠された口元を歪めて笑う。
「心配いりません。我が社の技術を持ってすれば『アダム』など産まれたての赤子も同然。その為の特務部隊。我々がいるのです。」
「隊長。」
すると、モニターを眺めていた部下が弥勒に報告する。
「『アダム』の側にもう一つ、『魂反応』が見受けられます。一般人でしょうか。」
「なに?」
よく見ると、巨大な光のすぐ横に小さな光が点灯している。
(馬鹿が………。こんな夜分に一人で外を出歩くなど、避難勧告を聞いていないのか。)
「手遅れだな、構うな。」
「はっ!」
「我々は手筈通り『アダム』を捕獲する!捕獲部隊、全員出動せよ!」
未来産業特務部隊
総勢20名からなる捕獲部隊の全員が特殊なゴーグルを装着し、強い光を発する霊魂『アダム』を目指す。ゴーグルに映し出されるのは光の塊。それが人間の霊魂だ。
ビビッ
「前方距離、およそ200メートル。間もなく『アダム』と遭遇します。」
「電磁パネルシステム異常なし。」
「電磁波動砲用意!」
捕獲部隊が持つのは中型の機関砲のような武器『電磁波動砲』だ。『未来産業』の科学技術により人間の霊魂を電磁波によって絡め取る事に成功した最新兵器。
(なんだ…………?)
弥勒は覆面の下に隠された目を細める。そこに映し出されたのは『アダム』と思われる巨大な光と一人の少女。
白音 凛(しらね りん)
(馬鹿な………。あの女………。『アダム』が見えるのか?)
『未来産業』の最先端技術を持ってしても、人間の霊魂を正確に目視する事は出来ない。『電磁パネルシステム』の結界内でのみ特殊なゴーグルによって『光の塊』を確認出来る。
それをあの女。
目視するどころか『アダム』と戦闘を繰り広げるなど非常識にも程がある。
「信じられんな………。あの巫女装束の女、何者だ?」
「隊長、どうしましょうか?」
「…………。」
戦況はどうやら切迫している。『アダム』の損傷は分からないが、少女の方は全身が傷だらけだ。何者かは分からんが生身の人間が『アダム』に勝てる訳がない。
『アダム』は正真正銘の化け物だ。
(やむを得ない………。)
「状況が状況だ。我々は『アダム』の捕獲を最優先する。」
「あの女は?」
「構わん。死んだ時はその時だ。『アダム』を取り逃がす方がリスクが大きい。」
「はっ!」
「『電磁波動砲』最大出力!!」
ビビビビビビッ!!
20人の隊員が一斉に『電磁波動砲』の照準を『アダム』に向ける。
「撃て!!!」
ビカビカビカッ!!
雷のような電磁波の光が一直線に飛んで行く。
「「!!」」
その攻撃に凛とアダムが同時に気付いた。
「くっ!」
狙いは『アダム』。凛の反射神経があれば『電磁波動砲』から逃れる事は可能だ。凛は素早く身体を反転させ『アダム』から距離を取ろうとする。
「ふん。」
アダムは冷静に状況を察知した。電磁の波動は人間の魂に反応する。あの攻撃を躱す最良の手段は白音 凛を盾にすること。凛の魂を囮にすれば、あの攻撃が『アダム』を襲う事は無い。
グワッ!
アダムは神速の動きで凛の左手を鷲掴みにすると、思い切りよく電磁光線の方へと投げ飛ばした。
「きゃあ!!」
空中へ投げ出される凛。
「な!?」
慌てたのは特務部隊の隊員達だ。まさか少女を囮にして、波動砲の攻撃を躱すなど想定の範囲外だ。
「不味い!」
ビカビカビカビカッ!!
20本からなる電磁波の光線が『アダム』ではなく凛の魂へと集中する。
作戦は失敗だ。
少女の命など、どうでも良い。問題は『アダム』。最大出力の電磁波動砲を撃ったとならば次の攻撃に時間が掛かる。『アダム』に逃げる時間を与えるばかりか下手をしたら反撃に合う。
「総員!防御態勢!『アダム』が来るぞ!」
弥勒が叫ぶと同時。
「元柱固具、八隅八気、五陽五神、陽動二衝厳神、害気を攘払し、四柱神を鎮護し、五神開衢、悪鬼を逐い、奇動霊光四隅に衝徹し、元柱固具、安鎮を得んことを、慎みて五陽霊神に願い奉る!」
暗闇の中に少女の透き通る声が響く。
「な!?」
「!!」
「『紅桜』!悪しき敵を討ち滅ぼすが良い!!」
ズバッ!!!
「ぐわっ!」
狙っていたか!!
紅色の短剣は遂にアダムの身体の中心線を捉えた。どんなものでも切り裂く神具『紅桜』に貫けぬものなど存在しない。それは悪霊であっても同じ。一進一退の攻防を繰り広げていた凛は、アダムの隙を狙っていた。
『未来産業』の特務部隊、その捕獲部隊が攻撃を仕掛けた瞬間、アダムは凛の身体を投げ飛ばした。特務部隊の攻撃はアダムではなく凛を襲う。その隙にアダムは特務部隊に攻撃を仕掛ける。それが凛の狙いだ。
「貴様………。自分が攻撃される事を承知の上で、わざと私に投げられたか………。」
「あの程度の攻撃、私の前では無力に等しい。凛の魂は『護符』によって護られている。当然でしょう。何せ私は『魂』を喰らう悪霊と戦っているのよ。」
なるほど
(面白い女だ………。)
アダムの貫かれた傷口からは吸収した人間の『魂』がシュウシュウと音を立てて抜け出して行く。
(まさか…………。)
そう思ったのは弥勒。
(『電磁波動砲』が霊魂を攻撃する武器だと一瞬で見抜いたのか?あの一瞬で……。)
更にその攻撃を『護符』で防いだなど信じられ無い。
「『護符』……。」
そんな非科学的な方法で、我々『未来産業』の科学の力を防ぐなど有り得ない。
「貴様ぁ!何者だぁあぁぁ!!!」
怒り狂う弥勒は、懐から38口径のリボルバーを抜き出した。
「!」
ズキューン!!
「くっ!」
ぼすっと言う鈍い音が凛の左足に直撃する。
「隊長!何を!」
「うるさい!!」
驚く隊員達を怒鳴り付け、弥勒はもう一度銃口を凛に向けた。
「何をするか!」
傷の痛みに堪える凛は、弥勒を鋭く睨みつけた。
「我々『未来産業』は絶対なのだよ。我々に逆らう者は死あるのみ。それが日本の未来の為だ。」
「くっ………。」
(どうする………。)
アダムとの戦闘で満身創痍な上に左足を撃ち抜かれては歩く事も出来ない。
逃げる事は不可能。
シュダッ!!
「!」
その隙に逃げ出したのは『アダム』だ。凛から受けた傷は予想以上に深い。早く傷口を修復する必要がある上に、先程の『電磁波動砲』を再び撃たれたら厄介だ。
「待ちなさい!」
「動くな!!」
「!!」
しかし弥勒の持つ38口径の銃口は『アダム』ではなく凛に向けられたままだ。
「…………逃げられるわよ。」
「逃げられないさ。お前は俺から逃げれ無い。」
「何を……………。」
狂っている。
凛は思う。
悪霊『アダム』ではなく、生きた人間である凛を殺そうなど正気の沙汰ではない。凛はズキズキと痛む自分の左足を横目で見る。
(応急処置をする事も出来ないわね………。)
万事休すとはこの事だ。人間を殺す悪霊を退治する予定が、まさか人間に殺されるとは。
凛はそっと目を瞑った。
……………。
(………………この気配。)
………………。
(『護符』が………、近くまで来ている。)
この気配は紛れもなく凛のもの。
凛の血で染め上げた『護符』が一直線にこちらに向かって来る。
この護符は……………。
(…………………聡!)
そして耳を澄ます。
ブルン
ガガガガッ!
聞こえて来るのはバイクの爆音。
ザワっ!
凛だけでなく、その場にいた全員がバイクが向かって来る方向へと振り向いた。
「凛!!」
聡の声が響いた。
「隊長!危ない!」
ドガガガッ!!
「うぉ!?」
すんでの所でバイクの突進を躱した弥勒が、銃口をバイクへと向ける。
「隊長!相手は民間人です!」
「落ち着いて下さい!」
「放せ!馬鹿もの!!」
ズキューン!!
狙いの定まらない銃弾は虚しく夜空へと飛んで行く。
「聡!」
「凛!後ろへ乗れ!!」
ブルン
ガガガガガガガガッ!!
本郷 聡(ほんごう さとし)は、アクセルを全力で踏み込んだ。
状況は全く分からない。あいつらが何者なのか。悪霊はどうなったのか。分からない事は沢山ある。
しかし
聡は思う。
後部座席から聡の腰へと回される凛のか細い腕は本物だ。
今はそれだけでいい。
暗闇の中、二人を載せたカワサキ5000の爆音だけがブルンブルンと鳴り響いていた。