MARIONETTE- ASKA
【奇跡①】
西暦2059年4月
僅かに頬に感じられる風が気持ち良い。
明日香(あすか)が空を見上げると、群れを為したカモメがV字型の徒党を組んで旋回している。その更に上空には穏やかなおぼろ雲が薄っすらと広がっていた。
(ここが室内なんて信じられない………。)
防御フィールドで囲まれたマウンテン・ドームのバトルフィールド。羽生 明日香(はにゅう あすか)は今『対人戦闘訓練』を行っていた。
『ホログラフィか何かかしら?どう見ても自然の景色に見える。』
ビビッ!
『明日香!何悠長な事を言っているのよ!戦闘はもう始まっているわ!』
マイクロエコーから聞こえて来たのは同じ第28歩兵部隊の隊員である高岡 咲(たかおか さき)の声だ。
『明日香!モニターを確認して!敵が一人そっちへ行ったわ!』
(モニター……。)
ブン!
明日香は急いで面前に映し出されたモニターを確認する。
『えっと、赤い点滅が味方だから……。敵の表示は………。』
ビビッ!
『前方距離200メートル!』
『うわっ!近っ!』
機動兵器『マリオネット』を装着した兵士にとって、200メートルの距離など一瞬で詰め寄る事の出来る至近距離だ。
ビビッ!
『明日香!』
『ゴリ!?』
咲に代わって聞こえて来たのは隊長の金剛 仁(こんごう じん)の声だ。
『取りあえず逃げろ!敵の兵士を一人引き付けてくれたらそれで良い!』
『言われなくても逃げるわよ!どっひゃあぁぁ!』
ザザッ!
明日香は慌てて敵の兵士が現れた方向とは真逆の方へと走り出す。
第28歩兵部隊所属 羽生 明日香(はにゅう あすか)18歳。高校時代の通信簿の成績は優秀。スポーツもそこそこ出来た。しかし、何か物足りない。
それが明日香の本音だ。
世界は年を追う毎に暗いニュースが飛び込んで来る混沌とした時代。ロシアと西側諸国との関係は今世紀最悪。更に2年前の『横浜紛争』では同盟国のアメリカ軍にまで侵略される始末。
もはや日本は平和ではない。日本を護るため、日本の未来の為に誰かが戦わなければならない。
(違う………。)
そこまで考えて明日香は自らの首を横に振った。
(動機付けや理屈なんかはどうでも良い。)
ビビッ!
『後方距離30メートル!』
(来たっ!!)
グワンッ!
第3歩兵部隊の兵士の顔が鬼の様に見えた。その右手に握られるのは光学剣(ソード)と呼ばれる殺人兵器。
『どりゃぁあぁ!』
鬼が棍棒を振り上げる様に、敵の兵士が光学剣(ソード)を振り上げる。
『きゃあぁぁぁ!』
ガキィーン!
『!』
思わず明日香が投げ出した光学剣(ソード)が、上手いこと敵の光学剣(ソード)を受け止める。まぐれ以外の何者でもない。
『ほぉ……。よくぞ防いだ。』
対戦相手である第3歩兵部隊の隊員の名は赤坂 吉郎(あかさか きちろう)。入隊して五年目のベテラン隊員。
『しかし、これでどうだ!』
バシュッ!
『きゃっ!』
まぐれは二度は続かないとばかりに、赤坂の光学剣(ソード)が明日香の横っ腹を叩き斬った。
ビビッ!
『損傷率30%』
(しまった!まともに喰らった!)
明日香は思わず斬られた腹部を確認する。
不思議な感覚だ。
重い衝撃はあるが痛みは無い。あれ程の攻撃をまともに受けても身体に傷は無い。機動兵器『マリオネット』の耐久値が減っただけで羽生 明日香(はにゅう あすか)の身体には何ら異常は見られない。言うなれば交通事故にあって乗車していた車は大破したが運転手に怪我は無いみたいな感覚か。
(いったい、どんなテクノロジーよ!)
明日香は心の中で『マリオネット』の技術にツッコミを入れる。
ビビッ!
『明日香!!』
『はっ!』
咲の声で明日香は我に返る。
ビュン!
ブルン!
『うわっち!』
ザザッ!
赤坂の二発目の攻撃を、かろうじて躱(かわ)した明日香はそのままの勢いで一目散に逃げ出した。
『うぉ!てめぇ!逃げるな!』
『そんなのあたしの勝手よ!馬鹿!』
『馬鹿……?は?』
(だいたい何なんだこの女は!)
赤坂 吉郎(あかさか きちろう)は、羽生 明日香に僅かな違和感を感じた。
対人訓練が始まったと同時に、一人だけ部隊から離脱したと思ったら、まともに戦闘もせずに逃げ出す始末。
そして何より
ザザッ!
明日香を追う赤坂の顔に焦りの色が見え始める。
(追いつけない………?)
機動兵器『マリオネット』には、いくつかのタイプが存在する。直線スピードを重視したスピード型。攻撃力を高める為の攻撃型。防御力重視の耐久型。全てのバランスが取れた汎用型など装着した人間によってそのタイプは様々だ。
赤坂 吉郎(あかさか きちろう)が装着している『マリオネット』はスピード型だ。『マリオネット』の戦闘に於いてはスピードが大きく戦況を左右する為にスピード型『マリオネット』を装着する兵士は実に多い。
(あの女の『マリオネット』は汎用型に見えたが……、信じられん速さだ。)
明日香と赤坂との距離がみるみるうちに広がって行く。
(ちっ!このままでは逃げられる。仲間を呼ぶか……。)
赤坂がマイクロエコーで仲間に連絡を取ろうとした時、モニターに映る明日香の動きが反転した。
(何だ?今度は向かって来る??)
赤坂のモニターに、敵を意味する黄色の点滅が、一直線に向かって来るのが見えた。
(ふん、やっと戦う気になったか。)
そう思って顔をあげた赤坂が見たのは光学剣(ソード)を振り回して突進して来る羽生 明日香。
『は?何だありゃ?素人か?』
ドドドッ!
部隊長の金剛の指示は逃げる事である。『マリオネット』を装着して間もない明日香がまともに戦えるはずは無い。一人でも敵の兵士を引きつける事が出来たら大成功。最後は負けて構わない。
『いいな明日香!出来るだけ長い時間逃げまくれ!』
『はい!ゴリ隊長!』
金剛隊長の命令に明日香は威勢よく返事をした。その時は明日香も逃げる事だけを考えていた。
しかし、明日香は気付いてしまった。夢にまで見た機動兵士同士の戦闘。明日香は今、憧れの北条 帝(ほうじょう みかど)と同じ舞台に立っている。
(ようやくあたしも、この舞台に立ったのだから逃げるだけなんて勿体無いわ。)
なぜなら、明日香が求めるものは魂が揺さぶれる程の戦闘。
小柄な明日香にとって、見習うべきは北条 帝(ほうじょう みかど)では無い。北条のライバルであり親友でもある大和 幸一(やまと こういち)。二人の試合の録画は何十回と見ている。
(確かこんな感じで………。)
ギュル!
『!』
ギュルギュル!
明日香の身体が回転を始める。
(何だ?あの女、何をする気だ!?)
思わず赤坂は身構える。
ギュルギュルギュル!
『ばすたーど!きゃのん!!』
『マリオネット』を装着してから僅か一週間。明日香は兼てより真似して見たかった大和 幸一の必殺技の名前を叫んだ。
【奇跡②】
場所は代わってバトルフィールドの中央付近。二人の男が正面から向き合い対峙する。
『金剛 仁(こんごう じん)か………。』
そう呟くのは第3歩兵部隊の隊長、本能寺 重信(ほんのうじ しげのぶ)。金剛に負けない程の巨漢にスキンヘッドが特徴的な剛の兵士。
スチャ!
手に持つのは緑色に塗装された光学槍(ランス)。本能寺の装甲のカラーは緑色を基調とした迷彩色。至って基本的な塗装を施している。
『噂には聞いていたが、それが『クレイモア』か……。随分とでかい。』
本能寺が目にしたのは金剛の武器である巨大な剣(クレイモア)。重量で言えば防御軍の武器の中でも最も重い巨大な剣。その重さに比例して一撃の威力は特筆するものがある。
本能寺 重信(ほんのうじ しげのぶ)
(古参兵の中でも実力は折り紙付き………。この男を倒せば統括隊長への道が開ける。)
入隊二年目の金剛 が目指すのは、ズバリ統括隊長の座だ。『防衛軍』の最高戦力にして日本国を護る要。日本の機動兵士のトップに君臨する二人の統括隊長に続き三人目の統括隊長となる。それが金剛 仁の目的。
『本能寺隊長……、悪いが貴方では役不足。四年も『防衛軍』に在籍していながら未だ統括隊長に成れない貴方に俺は負ける訳には行かないのです。』
『ふん。生意気な奴だ。』
ジリリと二人の間合いが縮まって行く。
ザッ!
『行くぞぉ!金剛ぉぉ!!』
『!』
先に動いたのは本能寺の方だ。
本能寺には勝算があった。金剛は明らかに攻撃型『マリオネット』を装着している。加えて超重量の大型剣。瞬間的なスピードは、どうしても遅れてしまう。
一方の本能寺の『マリオネット』は汎用型。本能寺は、攻撃力を維持しつつ瞬発力にも定評がある。
(む!速い……!伊達に第三歩兵部隊の隊長を任されている訳ではないと言う事か……。)
ガキィーン!
『!』
しかし、金剛は、本能寺の剣を難なく受け止めた。
『な!貴様!』
驚いたのは本能寺だ。
『クレイモア』などと言うふざけた光学剣(ソード)を扱いながら、スピードでも本能寺を上回るなど有り得ない。
ザッ!
しかし、問題はこの後だ。初手を防ぐ事は出来ても連続攻撃を躱す事は出来ない。
グワン!
バシュ!
ガキィーン!
『くっ!』
二発目も防がれた。
入隊二年目で部隊長の座を射止めた兵士は四人。そのうちの一人が金剛 仁(こんごう じん)。金剛は紛れもなく『防衛軍』の将来を担う逸材。
グワンッ!
巨大な『クレイモア』の刀身が本能寺の装甲の耐久値を抉り取る!
ズバッ!
ビビッ!
『損傷率43%』
(な!一撃で43%だと!?)
ザザッ!
再度『クレイモア』を構える金剛。
『本能寺隊長、本気で戦って下さい。貴方の実力はそんなものでは無いでしょう。』
ひゅう
ひゅう
室内バトルフィールドに流れる風が、一層の激しさを増して来た。
(入隊二年目の四天王の一人、金剛か……。)
噂以上の実力。
本能寺は、改めて金剛の顔を凝視する。
(まだ、負けてやる訳には行かない。)
本能寺は『防衛軍』第三歩兵部隊の隊長だ。第一から第三歩兵部隊の隊長には特別な意味がある。次期『統括隊長』に最も近い三人が配属される部隊。それが上位三部隊なのだから。
そして、第三歩兵部隊と言えば、もと統括隊長である後藤 志久真(ごとう しぐま)が率いた部隊でもある。
(後藤隊長の後を継いだ俺が、負ける訳には行かねぇよな……。)
『『マリオネット』、オン!』
ブン
(……!)
本能寺の『マリオネット』の装甲が深い緑色へと変化する。
『深緑のマリオネット』それが本能寺のバトルスーツの異名だ。
金剛は、注意深く本能寺の動きに目をやった。
(これが第二形体ってやつか……。)
機動兵器『マリオネット』先進国であるイギリス連邦の『マリオネット』は、二段階変形が常識となっている。イギリスが二段階変形の『マリオネット』を完成させてから2年。日本国『防衛軍』に於いても二段階変形を可能にした『マリオネット』が開発された。
それが目の前の本能寺が装着する『深緑のマリオネット』。
(外見はさほど変化が無い。色が変わっただけか……。)
ザッ!
『行くぞ金剛!望み通り俺の実力を見せてやろう。』
グワンッ!
ここからが本当の勝負!
巨大な『クレイモア』の刀身がうねりを上げる。
バシュッ!
バチバチ!
ガキィーン!!
『うぉおぉぉぉ!!』
戦場に金剛 仁の雄叫びが鳴り響いた。
【奇跡③】
一方、バトルフィールドの右舷付近。
ビビッ!
『ちっ!冗談じゃねぇよ!』
愚痴を零すのは次元 修斗(じげん しゅうと)。
『第三歩兵部隊に勝てる訳ねぇだろ!こっちは新人が三人も居るんだ!』
次元のボヤキを無視する様に高岡 咲(たかおか さき)が面前のモニターに目をやった。
ビビッ!
敵の『マリオネット』を示す黄色い点滅は3つ。金剛隊長が敵の隊長と一騎打ちをして、明日香が敵を一人引き付ける。この戦場は3対3となり人数的には互角。
『良し!作戦通りね!』
咲の呟きを耳にした次元が溜め息を吐く。
『アホか!3対3では勝てないっつーの!実力が違うんだよ!』
ビビッ!
『それは分からないでござるよ。』
『なに!?』
口を挟んだのは斎藤 睦月(さいとう むつき)だ。
『第三歩兵部隊のデータは事前に把握したでござる。しかし相手の兵士達は拙者達のデータは知らぬでござるよ。』
『はっ!それがどうした?データがあっても無くても実力が違うんだって!』
『そうでござるか?』
『あん?』
『咲殿の実力は新入隊員の中でもトップクラス。何せ昨年の『学園対抗戦』では最強の世代と言われた北条殿と大和殿がいる大和学園を打ち負かしたでござる。』
『それは………。』
『最初から負けると思えば負けるでござる。気合を入れるでござるよ。』
『ちっ!新入隊員の分際で言いやがる……。』
高岡 咲(たかおか さき)
斎藤 睦月(さいとう むつき)
次元 修斗(じげん しゅうと)
第28歩兵部隊の三人が、格上である第3歩兵部隊の兵士達と対峙する。
ザワッ
次の『対人戦闘訓練』を待つ兵士達の控え室。
「おい、本能寺だ。」
「本能寺の相手は金剛か………。」
「『防衛軍』の中でも剛の兵士として名高い本能寺と金剛……。どっちが勝つかな。」
「そりゃ本能寺隊長だろう?」
本能寺 重信(ほんのうじ しげのぶ)の強さは折り紙付きだ。いかに昨年の新入隊員四強の一角である金剛でも、本能寺には敵わない。
「他の隊員も可哀相にな。殆どが新兵じゃないか。」
「第3歩兵部隊に新兵が勝てる訳がない。奇跡でも起きない限りな。」
そう誰かの声が聞こえて来た。
「奇跡………。」
北条 帝(ほうじょう みかど)はポツリと呟く。
「どうした帝?」
声を掛けたのは大和 幸一(やまと こういち)。
「いや……、何でも無い。」
奇跡………。
(奇跡って何だ?)
そもそも、現代科学では解明出来ない機動兵器『マリオネット』。この存在自体が奇跡なのだ。一説には、この兵器は未来からの贈り物だと言う。
(未来………。)
そんな事が本当に起きるなら、世の中何が起きてもおかしくない。
『ばすたーど!きゃのん!!』
『うぉ!』
ズバッ!
明日香の光学剣(ソード)が第3歩兵部隊の兵士、は赤坂 吉郎(あかさか きちろう)の肩を掠めた。
『うぉ!危ねえ!』
まぐれとは言え一撃の威力は相当なもの。
赤坂は慌てて自らの光学剣(ソード)を振り抜いた。
『ふざけんな!』
ズバッ!
『きゃっ!』
ビビッ!
『損傷率53%』
(まずい!)
今の一撃で明日香の耐久値の半分を持っていかれた。
(まずい!まずい!まずい!)
このままでは時間を稼ぐ事も出来ずに殺られてしまう。
『そりゃ!行くぞ!』
(くっ!)
ババッ!
持ち前の反射神経で赤坂の攻撃を何とかかわす明日香。
『ちっ!ちょこちょこと!俊敏性だけは見上げたもんだ!』
幾度となく振り下ろされる赤坂の光学剣(ソード)。驚く事に明日香はその全てをかわしていた。
しかし
『はぁ……はぁ……。』
体力が追い付かない。
ベテラン兵士と新入隊員である明日香では基礎体力が違い過ぎる。ましてや羽生 明日香は先日まではただの女子高生。普通の高校に通う少女だったのだ。
なぜ
ただの少女が『防衛軍』に入隊したのか。
なぜ………。
(勝てない………。)
明日香は直感する。
どうやっても、この男には勝てない。
奇跡でも起きない限り、羽生 明日香が勝てる可能性はゼロだ。
ふと
明日香は空を見上げた。
V字旋回するカモメの群れは、いつの間にか居なくなり、代わりに一筋の光が差し込むのが見えた。
(綺麗………。)
戦闘の最中に明日香は光に目を奪われた。
防御フィールドに囲まれた室内『バトルフィールド』。
どこから光が差し込んだのか。
これもホログラフィなのだろうか。
(………違う。)
明日香は薄っすらと輝く光を見る。
(これは、ホログラフィなんかじゃない。)
しん
音が……止まった。
何が起きたのか、明日香には分からない。
ドクン
ドクン
ドクン
胸の中で響く鼓動だけが、やけにハッキリと鳴るのが伝わる。
(………אסוקה………。)
声が聴こえて来た。
明日香は、『マリオネット』に標準装備されているマイクロエコーに手をやった。
(違う………。)
声の主はマイクロエコーから聴こえて来た訳ではない。
『誰………?』
思わず明日香は呟いた。
(…………。)
返事は無い。
しかし、その声は
とても優しくて、どこか懐かしい感じがした。
羽生 明日香(はにゅう あすか)の本能が
いや
羽生 明日香(はにゅう あすか)の身体の内部から沸き起こる何か
遺伝子の核が震えるような何か
それは
遠い未来からの贈り物でもあるかのように