MARIONETTE-アリス
【アリス細胞①】
西暦2057年10月
都立大和学園 学生寮
『クラス対抗戦』の予選初日が終了し、各クラスの代表選手は、各々が今度の試合についての対策を練っていた。
ここは、優勝候補筆頭、3年E組の代表が集まる一室。
カタカタカタ
シャルロッテ・ファナシス
スピード 3850
パワー 2845
瞬間速度 6503
ヨハン・ボルチノ
スピード 2990
パワー 4550
瞬間速度 5660
「驚いたな。二人の能力値は3学年のトップランカーをも上回る。」
「あら、スピードなら私と互角よ。上回ると言うのは言い過ぎね。」
「二人とも、これは映像から僕が独自に算出した仮定値に過ぎません。参考程度にして下さいよ。」
伊東 修と黒川 由利を中心に、ドイツ代表の二人の対策を練っている所だ。
「驚くべきは瞬間速度。瞬発力だな。男の方は攻撃型『マリオネット』だろ。俊敏性の高さは異常だ。」
「僕の分析では、この学園にも 瞬間速度5000以上を計測した生徒は二人います。」
「利光……。それは誰だ?一応、教えてくれ。」
「はい……。A組の不知火は7月の個人戦の決勝で瞬間速度5200を計測しています。」
「…………不知火 詩音か。」
「同じく7月の個人戦決勝。我がクラスのエース桜坂 神楽さんが6000を計測。二人とも7月のデータなので今はそれ以上かもしれませんが。」
「まぁ神楽は怪物だからな。要するにドイツ代表の二人は、神楽と不知火の二人を同時に相手をする事と同じって訳だ。」
「『クラス対抗戦』、ライバルはいないと思っていたけど、とんだ強敵の出現ね。」
「どう思う、神楽。」
伊東 修に話を振られたのは桜坂 神楽。
「そんなデータはあてにならない。」
「………。」
「先日の『模擬戦』の結果、私が撃破したAIは26機……。例のあのコと同じ。データを信じるなら私とあのコの実力は同じと言う事になります。」
「あ……あぁ。」
「修………。私が2年生と戦って互角なんて有り得るかしら?」
「あ、いや。」
「どうしたの?神楽。ずいぶんとご機嫌斜めみたいだけど。」
由利が間を割って口を挟む。
「………。ごめん。何でも無い。ちょっと夜風に当たって来るわ……。」
ガチャ
バタン!
「…………。」
「何だ神楽の奴。何かあったのか……?」
3学年ランキング1位
桜坂 神楽(さくらざか かぐら)
『マリオネット』を装着していない時の神楽は、大人しい普通の女子高生だ。人と話すのは得意ではない。
今年の東京は猛暑続きで、暑さが苦手な神楽には過ごしにくい日々であったのだが、今日の夜風は実に気持ちが良い。
夜風で乱れた栗色の髪の毛を気にする様子もなく、神楽は一人 校庭の一角にある花壇へと足を運ぶ。
ザッ――――
花壇に植えられた多くの花は、夏の盛りを過ぎて元気を失っていたが、秋桜(コスモス)の花だけは美しく神楽を迎え入れた。
(修も由利も、みんなも気が付いていない。)
ドイツ代表の二人。
あの二人の気配が変わった事を。
わざわざ遠いドイツから日本に来た異国の二人の兵士の目的は分からない。
しかし、あの気配には身に覚えがある。
ガラリと変わったあの気配を、神楽はどこかで知っている気がした。
(私はあの二人に会った事が………ある?)
カタカタカタ
ブン
ドイツ連邦共和国 陸軍養成学校所属
ヨハン・ボルチノ
年齢17歳
ドイツ連邦共和国 陸軍養成学校所属
シャルロッテ・ファナシス
年齢15歳
ドイツ国内、およびヨーロッパ各国の主要な『マリオネット』大会での出場記録無し。
「出場記録無し?どう言う事だ?あれほどの実力者だ、大会の一つや二つ優勝していてもおかしくないだろ。」
矢吹達2年B組の代表メンバーは、男性寮にある矢吹の部屋に集合していた。
「軍の養成学校だから一般の大会には不参加なんじゃないか?」
矢吹 夏樹(やぶき なつき) の疑問に答えたのは北条 帝(ほうじょう みかど)。
「何か、焦臭い匂いがプンプンするでござる。」
目を輝かせて熱心に映像を見入るのは斎藤 睦月(さいとう むつき)。
「睦月君も気が付きましたか。」
「……?」
中森 灯夜(なかもり とうや)は分厚い眼鏡を光らせて、もう一度 VTRを映し出す。
ジジ
何度見ても、驚くべき動きだ。
3年D組の兵士達が斬り掛かったと同時に、ドイツ代表の二人が反撃。その動きが尋常ではない。D組の兵士は かわす事も防御する事も出来ずに破壊された。しかも三人同時にだ。
「瞬間的なスピードなら桜坂先輩や不知火先輩にも匹敵する。いや、それ以上か。」
大和学園3学年ランキング1位の桜坂 神楽。同じく2位の不知火 詩音。瞬発力に定評のある二人の先輩の名前を出して大和 幸一はドイツ代表の二人を警戒する。
「どうでしょうね。あの二人も普通じゃないですから一概には比べられませんよ。それに問題はそこでは有りません。」
「問題?」
ジジ
中森は、もう一度VTRを巻き戻してコマ送りで再生を始めた。
「幸一君。皆さんも見て下さい。」
「………。」
「色が………。」
須澄 ありすが異変に気が付く。
「皮膚の色が……変わっている。」
「……皮膚の色?」
よく見るとドイツ代表の二人の肌の色が変化しているのが分かる。
「確かに………。装甲で隠れていない部分を注意して見ると、確かに皮膚の色が変色している。」
最終戦闘が行われる直前。
ヨハンとシャルロッテの皮膚が新たな皮膚に覆われる様に徐々に変色しているのが分かる。
「………アリス………細胞。」
「?」
「ありす。何だその『アリス細胞』ってのは?」
思わず呟いた ありすの言葉に大和 幸一が反応する。『アリス細胞』……。聞いた事の無い単語だ。
「ううん。大した意味は無いのだけれど、2年前にアンダーソン博士が提唱した『シンクロ理論』の論文を思い出したの。」
「『シンクロ理論』?」
「あぁ、それなら知ってるぜ。」
口を挟むのは北条 帝。
「10億人に1人の遺伝子を持つと言われる架空の人物『アリス』。彼女の遺伝子を特殊な移植手術を施す事により、普通の人間でも驚異的な能力を発揮出来ると言う仮説だ。」
「うん。その手術によって埋め込まれた細胞の事を、博士は『アリス細胞』と呼んでいるの。」
「理論上では『アリス細胞』を移植された兵士で軍隊を作れば無敵の軍隊が完成するって訳だ。もっとも、架空の人物『アリス』が存在しなければ机上の空論に過ぎないけどな。」
「まさか………。」
「あの二人に『アリス細胞』が埋め込まれているって事でござるか。」
大和と斎藤が顔を見合わせた。
「まさか、何となく思い出しただけよ。『アリス』なんて少女は存在しない。存在しても世界の何処かで埋もれているわ。」
「ありす………。うん、そうだな。」
【アリス細胞②】
西暦2052年
バルト海
ボーランド共和国の北部に面するバルト海沖合いには10隻にも及ぶロシア海軍の軍艦が展開していた。
『こちら北部方面第七巡洋艦。どうだ、見つかったか?』
『これは無理ですね。海流が激しい上に、捜索範囲が広すぎる。この海域で一人の少女を探すのは至難の業でしょう。』
『上からの命令だ。何としても探し出せ。』
『本当にいるんですかね?例の『アリス』だか言う少女。それに海に飛び込んだのなら既に死んでますって。春のバルト海は冷たいですから数時間と持ちませんよ。』
『遺体でも構わん。少女が西側諸国に渡ればロシアにとって脅威に成りかねん。』
10億人に1人の遺伝子を持つ少女『アリス』。
『『アリス』の遺伝子によるクローン人間の研究って奴ですか?それこそ都市伝説級の造り話ですよ。西側の偽情報を鵜呑みにしていたらキリが有りません。』
『口の減らない奴だな。いいから探せ。』
『はいはい。分かりましたよ。』
そして
ロシア軍による少女の探索は1ヵ月ほど続いたが、結局『アリス』は見つからなかった。
ドイツ連邦共和国
首都ベルリンにある病院の一室
ハンプティ・ダンプティが目覚めたのはロシア軍によるポーランド襲撃から1ヶ月後の事であった。
「痛っ!」
「あぁ、動かない方が良い。君の身体の殆んどは借り物だからね。」
よく見るとハンプティの身体は全身が包帯で覆われていた。
「命があっただけでも喜びたまえ。ロシア軍の『マリオネチカ』に1人で戦いを挑むなど無謀にも程がある。性能では、まだまだロシア製の『マリオネチカ』には遠く及ばないのだからね。」
「アリスは!アリスはどうなったのだ!」
ハンプティは、白衣を来た男性に尋ねる。
「アリス……。残念だが彼女は生きてはいないだろうね。海で溺れたか、もしくはロシア軍に殺されたか。」
「…………そんな。」
「君の責任では無い。どこかで情報がロシア軍に漏れていた様だ。今のところスパイの特定には至っていないが時期に見つかるだろう。」
(スパイ……。そんな事はどうでも良い。10億人に1人の遺伝子を持つ少女がいなければプロジェクト『Alice(アリス)』は成り立たない。)
「ドイツの希望が………。プロジェクトは中止と言う事か………。」
失った身体の痛みより、アリスを失った痛みの方が大きい。アリス無しで、ドイツはロシアとは戦え無い。近い将来、ドイツはロシアによって滅ぼされる。
「ハンプティ君。プロジェクトは終わっていないよ。」
「…………?」
「実はね、事前に『アリス』のシンクロ適合を調べる為に細胞のサンプルを採取してある。」
「細胞の……サンプル?」
「我がドイツの遺伝子研究は世界一。わずかの細胞があれば『アリス』のクローンを造る事も可能なのだよ。」
「アリスの………クローン。」
それからドイツ連邦共和国では、密かに『アリス』のクローン研究が行われた。
ビキビキビキッ!
「ぐわぁあぁぁ!」
グシャッ!
「ちっ!また失敗か………。」
「理論は完成している。後は『アリス細胞』に耐えられる人間を探すだけだ。」
「皮肉な事だな。ようやく見つけたアリスが死亡し、そのアリスに適合する人間を探さなければならない。」
「まぁ、そう言うな。アリスを探すよりも、『アリス細胞』に適合する人間を探した方がよほど楽だろう。」
ビキビキビキビキッ!
「きゃあぁぁ!」
グシャッ!
――――――99人
『アリス細胞』に拒絶反応を起こして死んだ子供の数だ。
次の子供が100人目。
名前は、シャルロッテ・ファナシス
13歳の少女。
金色の髪が、どこかオリジナルのアリスに似ている。
「『マリオネット』、オン!」
ギュイーン!
ザッ!
『距離300メートル』
ズキューン!
ブワッ!
バシュッ!
バチバチバチッ!
ドッカーン!
「ほぉ……『マリオネット』との相性は良さそうだな。」
「問題はこの後です。」
「『アリス細胞』を作動せよ。」
ビキビキビキビキッ!
シャルロッテの白い肌の表面に、もう一枚の白い皮膚が広がって行く。
ビキビキビキビキッ!
『ぐっ………。』
「!」
(ダメか…………。)
ビキビキビキビキッ!
『シンクロ率100%』
「シンクロ率100%だって?13歳の子供がか!?」
「彼女はまだ『マリオネット』の訓練を受けてから2ヶ月にも満たない。」
「どう言う事だ?いや、それより……。」
ビビッ!
『前方距離1000メートル。3機のAIが接近。』
「シャルロッテ………お前、大丈夫なのか?」
『……だい……じょうぶ……?』
ザッ!
シュバッ!
(身体が………軽い………。)
ズキューン!
ズキューン!
ブワッ!
「な!何だ、この動きは!?」
グンッ!
ズバッ!
ザクザクザクッ!
バチバチバチッ!
ドッカーン!
ドッカーン!
ドッカーン!
「!」
「おぉ!」
どよっ!
ビビッ!
実験用フィールドに立つ少女から、マイクロエコーを通してシャルロッテの声が聞こえて来た。
『こんなの楽勝よ。物足りないくらいだわ。』
シャルロッテ・ファナシス
この日からシャルロッテは、コードネーム『キティ』と呼ばれるようになる。
西暦2057年
都立大和学園
「もう遅いから女子寮に戻るわね。」
「おう!気を付けて帰れよ!ありす。」
男子寮から女子寮までの距離はそう遠く無い。
ありすは、学校の校庭を横切り花壇の前を通り抜けようとした。
「………?」
そこで、ありすは1人の生徒を見掛ける。
(あれは………3年の桜坂先輩………。)
タッタッタッ
(………!)
桜坂 神楽も、ありすの存在に気が付いた。
ドクン
ドクン
夜の校庭で、すれ違う二人の少女。
ドクン
ドクン
ドクン
夜風が秋桜(コスモス)の花びらを揺らしている。
(彼女は確か、2年B組代表の………。)
「うっ!」
「!」
(この感覚は…………!)
ドクン
ドクン
ドクン
「きゃあぁぁぁ!!」
その時、夜空に輝く星が二人の脳内に流れ込む。そんな錯覚を覚えた。
翌朝――――――――
ドンドンドンドンッ!
ドンドンドンドンッ!
「おい!幸一!起きろ!」
ドンドンドンドンッ!!
「ん………、なんだ帝か?」
ドンドンドンドンッ!
「ドアを開けろ!!」
「ううん。何だよ朝早くから………。」
ドンドンドンドンッ!
ガチャ!
「大変だ!」
「うん?」
「ありすが!」
「…………ありす?」
「ありすがっ!!」
意識不明の重体で――――
――――――――病院に運ばれた!!