MARIONETTE-アリス
【アリス①】
「私はどこへ向かえば良いのかしら?」
少女は道を尋ねた。
不可思議な形をした奇妙な猫が少女に答える。
「君はどこへ行きたいんだい?」
ぺろりと舌を出した猫の顔が大きく膨らんで行く。現実世界では有り得ない不可思議な猫を、少女は大きな瞳で見つめていた。
「う~ん。それがね。どこへ行けば良いのか分からないの。」
少女は困った様子で顔をしかめる。
金色に光る長い髪を二つに束ねた少女の名前はアリス。
「アリス………。」
横に大きく広がった口を更に広げた猫は、アリスの問いに答える。
「だったら君の好きな方へ進めば良い。例えそれが、この世の地獄だとしても………。」
その不可思議なチャシャ猫は、大きな口を開いて楽しそうに笑っていた。
西暦2052年 春
ポーランド共和国 首都 ワルシャワ
「『マリオネチカ』、オン!」
「『マリオネチカ』、オン!」
「『マリオネチカ』、オン!」
ギュィーン!
ギュィーン!
ギュィーン!
悲劇は突然に訪れた。
首都ワルシャワの中心部に突如として現れた五人の兵士。
かつての共産圏のシンボルカラーである深紅の装甲に身を包んだ兵士達が、ポーランド共和国の国防総省を襲ったのは午前10時。同時刻に、ポーランド空軍基地が『マリオネチカ』を纏(まと)った兵士達の襲撃を受ける。
機動兵器『マリオネチカ』
『マリオネチカ』とは、ロシア軍が開発した最新型機動兵器『パワードスーツ』の通称名の事である。驚く事に、この兵器は人間が装着する事によって驚異的なスピードとパワーを発揮する。
「敵だ!撃て!撃ち尽くせ!」
応戦するのはポーランド陸軍が誇る807重戦車部隊。
春のワルシャワは、ゴシック調の教会の周りに綺麗なコスモスの花が咲く世界有数の観光地だ。そんな世界遺産が吹き飛ぶほどの砲撃が、五人の兵士達に向けて放たれた。
ダダダダッ!
ズドーン!
ドッカーン!
バッコーン!
たかが歩兵相手に、どれだけの砲撃を加えるのか。5年前までなら誰もがそう思ったに違いない。しかし、その攻撃が決して大袈裟では無い事を、砲撃をするポーランド軍の兵士達が一番よく知っている。
むしろ、その攻撃力が全く足りない事を兵士達は痛感していた。
ザッ!
グワンッ!
バシュッ!
「ぐわぁ!」
「ダメだ!こんな砲撃では役に立たない!」
「NATOに連絡を!急げ!」
次々と破壊されるのはポーランド軍の重戦車部隊。機動兵器『マリオネチカ』には戦車の砲撃は無意味である。実弾による攻撃を受け付けない『マリオネチカ』にとっては無人の野を歩くが如く、大量の砲撃は障害物にすら成り得ない。
ヒューンッ!
ドッカーン!
その砲弾が一人の男のすぐ横を通り過ぎた。
「はぁ……。まさかロシア軍と遭遇するなんて参りましたね。」
シルクハットを被った中年の男が、大きな手を顔に充てて嘆いて見せた。
「どうするハンプティ。このままでは俺達の命も危ない。シンクロするか?」
シルクハットの男よりも更に一回り大きい男が、肩に装着した防具らしい物に手をやった。
「コードネームで呼ぶのは止めましょう。ここは戦場では有りません。」
「何を悠長な事を………。」
その場に居合わせたのは三人の男女。
もう一人の女性は綺麗な金髪の幼い少女である。年齢は12~3歳と言った所か。
「私達の任務は、彼女を無事に本国へ送り届ける事です。シンクロもやむを得ないでしょう。」
「ふん。最初からそう言えば良い。」
「『マリオネット』、オン!」
「『マリオネット』、オン!」
ギュィーン!
ギュィーン!
掛け声と共に二人の男が、黒と黄色の装甲に包まれた。
「グリフォン。貴方はアリスを連れて逃げなさい。ここは私が食い止めます。」
「はっ!てめぇもコードネームで呼んでるじゃねぇか!」
「何をおっしゃいます。シンクロした以上は、ここは戦場ですよ。」
グリフォンは、ハンプティの屁理屈を無視してアリスの手を引いた。
「行くぞ!アリス!ついて来い!」
「きゃっ!」
二人が戦場から離れて行くのを見届けたハンプティは、くるりと振り向いてロシア軍の兵士達を睨み付けた。
「さてと。ここは『マリオネット』同士が相対する世界初の戦場になりますね。」
ザッ!
ザッ!
ザッ!
ビビッ!
『隊長!例の少女を発見しました!方角は南南西!』
『うむ。やはりポーランドに滞在していたか。情報は確かだった様だな。』
ワルシャワを襲撃したロシア軍にとって、今回の作戦には二つの目的がある。
一つはポーランド共和国の占領。『マリオネチカ』を持たないポーランドの占領は実のところさほど難しい事ではない。問題はアメリカ、イギリス、フランスなどの大国がポーランドを助けるかどうか。
モスクワの予想では西側諸国は動かない。ロシアと核戦争のリスクを犯してまで、ポーランドを救う価値は無い。
そして、二つ目の目的は、プロジェクト『Alice(アリス)』の中枢を担う少女アリスの殺害。
少女『アリス』には、とてつもない可能性が秘められている。10億人に一人と言われる特殊な遺伝子を持つ少女。すなわち機動兵器『マリオネチカ』との完全融合の可能性を秘めた少女。
――――――――それが『アリス』
ザッ!
ブワッ!
グリフォンを追うのは三人の『マリオネチカ』を纏うロシア兵。
(ちっ!ハンプティの野郎!足止めにもなっていねぇじゃねぇか!)
ブンッ!
ガキィーン!
(くっ!アリスを担いだままでは戦えねぇ。)
「アリス!」
「きゃっ!」
グリフォンは無造作にアリスを放り投げる。
「悪いがここまでだ!あとは自分で何とかしろ!幸運を祈る!」
「あ!」
ブワッ!
グサッ!グサッ!グサッ!
ビビッ!
『損傷率 リミットオーバー!』
『損傷率 リミットオーバー!』
ビビビビビッ!
ドッガーン!
コードネーム『グリフォン』を名乗った大男は、三人の兵士の前に成す術もなく殺された。
残されたのは幼い少女アリス。
ビビッ!
『例の少女を捕獲しました。』
『どうします?連れて帰りますか?』
ビビッ!
『構わん。殺せ!我々には不要な存在だ。』
ビビッ!
『ダー(了解)!』
「!」
「きゃあぁぁぁ!」
【アリス②】
「10億人に一人の遺伝子を持つ少女『アリス』は、こうして短い生涯を終えたと言う。」
「…………。」
「はぁ………。」
ため息を吐くのは、大和学園2年B組所属。紅一点の生徒 須澄 ありす(すすみ ありす)。
「コウちゃん。私と同じ名前だから何かと思ったけど、単なる都市伝説じゃないの。」
ありすは、栗色のショートボブが似合う活発な女の子だ。
「ハンプティって!不思議の国のアリスのパクりか?それにしては内容がイマイチだな。5年前のポーランドに『マリオネット』は存在しないだろーw」
ありすに続いて笑い飛ばすのは、同じく2年B組所属、矢吹 夏樹(やぶき なつき)。5人の中では中心的存在であるが、時折、人を馬鹿にする態度が大和は気に入らない。
「10億人に一人と言うのは2年前にアメリカのアンダーソン博士が唱えた説ですね。時系列が逆さまですよ。幸一君。」
冷静に大和の話を否定するのは、中森 灯夜(なかもり とうや)。『防衛科』の生徒の中では珍しく虚弱体質で視力も極度に悪い。
「幸一。なかなか面白かったぜ。もしかしたら、ありすがその10億人に一人の逸材かもしれねぇ。なぁ、ありす!」
そう言って須澄の肩を叩くのは2年B組のエース、北条 帝(ほうじょう みかど)。整ったルックスに、明るい性格は誰からも好かれる好青年だ。
「…………。そろそろ部屋に戻っても宜しいでしょうか?見たいアニメが有りますので。」
最後につまらなそうに呟くのは、斎藤 睦月(さいとう むつき)。人付き合いの悪い根っからのアニメオタク。6人の中では中森と仲が良い。
これに加えて、話をしていた男子生徒、大和 幸一(やまと こういち)。この6人が大和学園の2年B組を代表する自称最強の6人だ。
西暦2057年
世界は紛争が絶えない暗黒の時代に突入していた。近未来兵器『パワードスーツ』を開発したロシア軍が世界中で戦闘を開始したのは今から10年前。
実弾を無効にする特殊な装甲を纏(まと)う『パワードスーツ』、通称『マリオネチカ』の登場で世界の軍事力の均衡は一変した。
連戦連勝で快進撃を続けるロシア軍に、西側諸国は打つ手が無く、世界の主導権は完全にロシアの手に落ちたのだ。
それでも、西側諸国が幸運だったのは戦闘の初期段階でロシア軍の機動兵器『マリオネチカ』を無傷の状態で捕獲出来た事だろう。
見よう見真似で開発された西側諸国の機動兵器。その『パワードスーツ』の名称は『マリオネット』と名付けられた。
都立大和学園
5年前に新設された日本では二つしかない『マリオネット』を操る兵士の養成学校。
大和達、2年B組の生徒6人は、将来を有望される大和学園の生徒、兵士予備軍である。
「なぁ、幸一。ありすの事、どう思う?」
部屋に帰る途中で、大和に話し掛けて来たのは北条 帝。
「どう思うって、何がだよ。」
大和は意味深な北条の質問に言葉を濁した。
「決まってんだろ。それじゃなくても大和学園には女生徒が少ないんだ。お前がその気が無いなら俺がアタックするけど良いのか?」
「な!なに言ってんだよ帝!」
確かに、須澄 ありすは魅力的な女性であった。
明るい性格に優しい性格。愛嬌のある笑顔に可愛らしい容姿。好きではないと言えば嘘になる。
それは北条にとっても同じだろう。
大和と違い、イケメンで誰からも好かれる北条に彼女がいないのは、須澄 ありすの存在があるのは間違いない。
「今度の大会が終わったら、俺はありすに告白しようと思う。」
「!」
それは突然の宣戦布告であった。
仲良し3人組が、上手く行く為の方程式を北条は自ら崩そうとしている。
「もっとも、それは大会で優勝出来たらの話だ。ありすとお前よりも活躍して優勝する。それが俺の告白する条件だな。」
実に北条らしい物の考え方だと思った。
北条は何事も一番を目指す。2年生でありながら、7月の『個人戦』にただ一人出場し、ベスト4まで勝ち残ったのも北条の上昇思考の現れが結果に結び付いたものだ。
「しかし、お前……、随分とハードル高けぇな。」
一般的に『マリオネット』の成績は3年生ほど高くなる。1年や2年の経験では『マリオネット』の性能を引き出す事は難しい。経験が大きく作用するのが『マリオネット』の『対人戦』なのだ。
今度の大会とは、すなわち『クラス対抗戦』。2年生の大和達が3年生の先輩達に勝てるなど、誰も予想していないだろう。
それに3年生には、大和学園始まって以来の怪物が君臨している。
3年E組
桜坂 神楽(さくらざか かぐら)。
北条 帝(ほうじょう みかど)は、あの女をも倒そうと言うのだろうか………。
「『マリオネット』、オン!」
ギュィーン!
ビビッ!
(AI機30………。)
『神楽(かぐら)。物凄い数のAI機だけど、どうすんの?』
『問題無いわ。』
ビビッ!
『無理すんなよ。もうすぐ『クラス対抗戦』だ。お前が俺達3年E組の要なんだからよ。』
『修(しゅう)、由利(ゆり)。邪魔しないで。』
『はいはい。俺達は手を出さねぇよ。』
『武蔵学園の例のコを意識してんの?バカみたい。あんなの嘘に決まってるじゃない。』
一人でAIを26機も撃破したなんて信じられない。現在の大和学園の最高記録はA組の不知火が出した22機が最高記録。
『由利(ゆり)。まぁ、そう言うなって。不可能を可能にするのが神楽の真骨頂。あいつの武器なら十分に有り得る事だ。』
普通の人間には操る事も難しい光学鞭(ウィップ)。リーチの長さは光学剣(ソード)や光学槍(ランス)とは比べ物にもならない。
しなやかに伸びる光の鞭(むち)に反応出来る奴なんかいない。『対人戦』だろうと『模擬戦』だろうと、神楽は無敵だ。
『3学年ランキング1位。桜坂 神楽(さくらざか かぐら)の舞いを存分に楽しもうじゃないか。』
ザッ!
バシュッ!
ズバッ!
ドッガーン!
シュルッ!
バチバチバチッ!
ドッガーン!
大和学園 理事長室
モニターに映る『模擬戦』の映像を見て、丸岡理事長は満足そうに笑みを浮かべていた。
「理事長……、あの生徒は?」
来客の一人が神楽の戦闘を見て理事長に尋ねた。
「ほっほっほ。どうじゃ。凄いじゃろう?あの生徒こそ我が大和学園が誇る最強の兵士。桜坂君じゃよ。」
次々とAI機を撃破する姿は圧巻の一言である。
理事長室にいる来客の姿は三人。
一人は代表者らしい中年の男。他の二人は高校生。その三人全てが日本人ではない。
「キティ。どう思う?」
身長が2メートルはある長身の男子生徒が隣に立つ女生徒に尋ねる。
キティと呼ばれた生徒は、実に小柄な可愛らしい少女。本当に高校生なのかと疑われる容姿をしている。
「う~ん。この映像だけじゃ何とも言えないわね。」
「二人とも止めなさい。」
二人の生徒の会話を遮るのは代表の中年男。
「ほっほっほ。良いのですじゃ。ゆっくり寛いで行きたまえ。ハンプティ殿。」
「はっ。ではお言葉に甘えて。」
ハンプティと呼ばれた中年男が隣座席に置いてあったシルクハットを被り直した。
「さてと………。」
ハンプティ・ダンプティは、モニターを見ながら鋭い目を光らせる。
(プロジェクト『Alice(アリス)』。失われた少女は果たして何処に……。どの道へと迷い込んだのでしょう。)
『だったら君の好きな方へ進めば良い。例えそれが、この世の地獄だとしても………。』
ハンプティの耳元には、チャシャ猫がペロリと大きな口を開いて笑うのが聞こえた気がした。