日本代表ベルギー戦 考察
日本代表は、戦前の予想を上回る接戦となり、あわや優勝候補のベルギーに勝てるか?と言う所まで追い詰めました。
特に日本が決めた二本のゴールは素晴らしかった。
素直に日本代表の頑張りを称えたい。
敗けはしましたが称賛に値する戦いぶりだったと思う。
テレビのコメンテーターやネットでのファンの反応も概ね好意的に見受けられます。
そこで、ふと疑問に思う。
予選リーグ最終戦、日本対ポーランド。
あの不甲斐ない、みっともない日本代表を擁護していた人達は、いったい何処へ行ってしまったのだろうか?
彼等の主張はこうであった。
結果として決勝トーナメントに勝ち上がれたのだから日本代表の戦術は正しかった。
内容は二の次であり、大切なのは結果である。
そして、決勝トーナメント、ベルギー戦。
結果として日本代表は敗戦しました。
そして彼等はこう言うのです。
敗けはしたけど、実に良い試合であった。日本代表はよく頑張った。優勝候補のベルギー相手に奮闘したのだから。
???
彼等は数日前までの自らの主張と真逆の事を言っている事に気が付かない。
いったい大切なのは
結果なのか内容なのか?
本来、予選リーグ最終戦の日本代表を擁護していた人達は、ベルギー戦の敗退を批判しなければならない。
どんなに良い試合をしても結果として日本は敗退したのだから。
そこで、私は考える。
彼等の中には、この大きな矛盾を不思議と思わない何らかの要因があるのではないか。
すなわち
人間とは、理屈よりも感情が優先される生き物なのでは無いのかと。
よくよく考えると、思い当たる節は沢山ある。
分かりやすく言えば、イデオロギーの対立。
よく言われるのは日本国憲法。
憲法9条を巡る議論では、このドグマが頻繁に現れる。
要するに、護憲派の人達からすれば、なぜ護憲なのかはあまり意味が無い。
人間は理屈よりも感情が優先される。
憲法を改正してはならない。との感情が先にあり、その理由は後から構築される。
その理由に矛盾があっても彼等はその矛盾に気が付かない。
それと全く同じ現象が今回の日本代表の試合に現れた。
決勝トーナメントに進出して良かったと言う感情が先にある。その理由は後から作られたもの。結果が大切であり内容は二の次と言う理由をつける事で自らの感情を擁護する。
そして、日本が敗退しても、日本代表の戦いぶりは素晴らしかったと思う。感情が先に来る。だから、先日までの自らの理論と矛盾する事を何の違和感もなく口にする。
結果よりも内容が大切だと。
そこには理屈や理論は無く感情しかない。
私はそれを正しいとも間違いとも思わない。
おそらく、それが人間なのであろう。
人間とは本当に不思議で厄介な生き物である。
そんな事を考えさせられる、ロシアワールドカップであった。