【パンドラの箱編①】

桜が初めて彼を見たのは高校一年の初夏であった。

唐突に襲った6月の雨。

部活を終えて玄関を出た山野 桜(やまの さくら)はどしゃ降りの雨に途方に暮れていた。

(もう…天気予報もあてにならないわね……。少し待ってみるかな。)

桜は誰も居ない学校の玄関でしばらく雨宿りをする事にした。
雨は次第に激しさを増し、静かな学校に激しい雨音だけが響く。

6月とは言え、そろそろ日も暮れる時間帯である。少し怖くなった桜が雨に濡れるのを覚悟で校門の方へ駆け出そうとしたその時、後ろからそっと傘を差し出された。驚いた桜が慌てて後ろを振り向くと1人の男子高生が照れ臭そうに笑っている。

「え…と、その…」

桜が言葉に詰まり困っていると彼は桜に傘を手渡し何も言わず雨の中を走り去って行く。

それが桜の恋の始まりである―――





【パンドラの箱編②】

西暦2042年

日本

急激な人口減少により世界の経済大国の地位を脅かされていた日本は国家主導による日本再生計画プロジェクトが推進されていた。

例えば新人類計画「ラボ」。巨額な資金と最先端技術を惜しみなく投入された研究所では人類の能力を越えた新人類の研究が行われていると言う。

例えば「霊獣」。古来から日本に存在すると言われる神の化身。霊獣を軍事的に利用する為の研究が続けられている。

例えば「パンドラの箱」。どんな願いも叶えると言う箱の存在が数年前からネット上で話題となっていた。日本国政府はそんな荒唐無稽の箱を本気で探して居るらしい。

誰も信じないような噂話が持ち上がるほど日本国の現状は危機的状況なのだ。


そこで持ち上がったのが次世代育成計画。日本中から優秀な生徒を集めて日本の将来を担う人材を育てる。その最初に造られた学校。

――――日本帝都学園


中高一貫校であるこの学園の方針は文武両道。東大進学率No1でありながら様々な分野でも多くの生徒が活躍している。


1年A組に所属している夢野 可憐(ゆめの かれん)は競争激しい日本のアイドル界においてトップアイドルに登り詰めた超絶美少女。

先週発売した4枚目のシングルCDはダブルミリオンを達成しデビュー以来全ての曲がミリオンセラーを記録している。
ネット全盛のこの時代に時代遅れのCD販売数でミリオンを記録するアイドルは可憐だけだろう。

「可憐ちゃん凄いよね!おめでとう!」

可憐は今日もクラスの話題の中心にいた。

「みんな、ありがとう。これからも宜しくね♪」

アイドルらしい笑顔を振りまく可憐。

「可憐ちゃんはいいね…。」

1人の女生徒が可憐に話し掛けて来た。
彼女の名前は山野 桜(やまの さくら)。1年A組の同級生である桜は、可憐とは主席番号が近い事もありとても仲が良い。芸能活動で忙しい可憐にとっても数少ない親友である。

「どうしたの桜?」

「可憐ちゃんは日本中の男性の憧れだもんね。恋の悩みなんてないもの。」

「桜、まだ告白していないの?もう三学期も終わり。もうすぐ卒業しちゃうよ。」

「そんなの分かっているわ。可憐ちゃんには片想いの私の気持ちなんて分からないのよ。」

そう言って桜は昼休みの教室を1人で飛び出して行く。

「………桜。」




ドンッ!

教室を飛び出した桜と1人の男子生徒の肩がぶつかった。

「ご、ごめんなさい。」

男子生徒は無言で桜を睨みつけるとそのまま教室に入り席に座る。

武井 秀斗(たけい しゅうと)、優秀な生徒が集まる日本帝都学園の中でも成績は常にトップ。幼い頃から天才少年としてテレビを騒がしていた秀斗にとって学校での授業など退屈な時間潰しに過ぎない。

秀斗と目が合った可憐。

「あちゃあ、彼は苦手なんだよね。」

「可憐ちゃん、あんなやつ気にする必要はないわ。いつも偉そうにして、ちょっと頭が良いもんだからって…。」

可憐の周りに集まっている女生徒達の世間話が始まった。あまり学校に来ない可憐にとっては女生徒達の話題は学校の貴重な情報源だ。

「そう言えば、先日の期末テスト、秀斗のやつ学年2番だったらしいわよ。」

「えー!まじで?いい気味ね!」

「秀斗って、ずっと学年トップじゃないの?彼より点数を取るなんて信じられないわ、1番って誰なの?」

確かに武井秀斗の天才的な頭脳は先生方も一目置く存在である。そんな彼よりも高得点を取る生徒がいるなんて可憐も信じられない。可憐は女生徒達の話に耳を傾ける。

「それがね、B組の神代さんだって噂よ。」

「神代さんか……、あの物静かな生徒よね?あの人、ちょっと怖いわ。」

「なんでも家が古くから伝わる神社とかで、怪しい術とか使うらしいわ。」

「陰陽師ってやつでしょ?頭の良い人って変わってる人が多いよねー。」

「でも、彼女…、女の私から見ても美人よね。男子生徒の間では可憐ちゃんと並んで人気を二分する程の人気らしいわよ。」

「トップアイドルと並ぶ人気って…、陰陽師恐るべし!」

わいわい騒ぐ女生徒達を横目に武井秀斗はぼんやりと考え事をしていた。

(ふん……、どいつもこいつも下らない話題で盛り上がりやがって。低能な奴らめ。頭の悪い奴など人類にとって害でしかないな。)

「どうしたの、秀斗?そんな顔をして。」

「ん…?ああ霞(かすみ)か。お前だけだよ、俺の事を理解出来る奴は。」

進藤 霞(しんどう かすみ)。秀斗とは幼馴染であり、クラスメイトで秀斗と話をするのは霞くらいである。

「ねぇ秀斗、変な事を考えていないでしょうね。まさかパンドラの箱なんて…」

「はは、あんなの只の都市伝説だ。本気にしちゃいないよ。どんな願いも叶える箱なんてある訳が無い。」

「…うん、そうよね。それなら良いんだけど。」



【パンドラの箱編③】

卒業式前夜、いつものように部活を終えた桜は1人教室で考え事をしていた。

(……先輩。)


桜の恋した男子生徒は高校三年生。

名前は石田 スグル(いしだ すぐる)


あの日以来、遠くから眺めるだけの存在。
後から聞いた話では彼は野球部のエースで昨年の夏の大会では都大会の決勝まで駒を進めたらしい。

文武(ぶんぶ)共に優秀な人間が揃う帝都学園でも野球部のエースとなると人気は抜群。とても桜が入り込む余地は無かった。

1人思い悩む桜…

彼と話したい。

彼の側(そば)に居たい。

彼と1つになりたい…。


日に日に募る桜の思いは、卒業式を控えた今、狂おしいほどの想いとなり桜の思考回路を埋め尽くす。

ふと


教室の空気が変わったような気がした。

机にうつ伏せとなっていた桜が何かと思い顔を上げると、そこには1人の美しい男性が立っていた。



いや、女性かもしれない。

いや、人間では無いのかもしれない。



そんな奇妙な感覚の中、桜はその男性から目が離せなかった。
とても落ち着いた安らぎが桜の全身を包み込む。

「あなたは……誰なの?」

ようやく口を開いた桜。

その男性は美しい微笑みを絶やさないまま、そっと机の上に綺麗な箱を置いた。

眩いばかりの輝きを放つその箱はこの世の物とは思えない存在感がある。

桜は箱を見てもう一度質問をする。

「……これは?」

するとその男性は桜に優しく話し掛ける。


「君の願いを叶えて上げよう」

「この箱は君のどんな願いも叶えてくれる」

「しかし」

「その願いと同等の不幸が君に訪れる」

「その願いにより君が幸せになればなるほど君は不幸になる」

「さぁ願いを言ってごらん」





翌日

卒業式――


日本帝都学園の体育館に全校生徒が集まる。
卒業生代表の式辞の挨拶は野球部のエースである 石田スグル が選ばれていた。

しかし、なかなか卒業式が始まらない。
先生方は何やら慌てている様子だ。


「何かあったのかな?」

隣に立つ女生徒が可憐に話し掛ける。

「さぁ……」

(それより…)

可憐が気になるのは桜。

(石田先輩の卒業式だと言うのに学校を休むなんて……。風邪でも引いたのかな。)


そこにドタドタと体育館へ駆け込む先生の足音が鳴り響く。

「校長!校長先生!大変です!」

「どうしたのかね?若月先生。」

若月先生は息を切らしたまま校長に報告する。

「石田が!石田と山野が!教室で!!」


「桜!?」

突然呼ばれた親友の名前に可憐は即座に反応する。

若月先生の後を追い教室へ駆け込む可憐。

「!!?」

「きゃあぁー!!」

女生徒の悲鳴がすぐ隣で聞こえる。


「警察だ!警察を呼べ!!」

先生方が慌てて携帯に手を掛ける。


石田 スグル

山野 桜



石田の腕が

山野の足が

2人の身体全体が

2人の生徒が教室の片隅で一つになっていた。

そう…、文字通り混じり合って一つの物体となっていた。


警察が駆け付けるまで2人は全く動く様子が無い。おそらく息もしていない。

それはまるで醜くも美しい1つの造形物のようであった。





彼と一つになる前、薄れ行く意識の中で桜に話し掛ける男性がいた。

人間ではない彼が桜の事を見下ろしている。

「どうだい?願いは叶っただろう?」

魅力的な笑顔で男性は桜に語り掛ける。

桜は少し考えて笑顔で応える。

「ありがとう」

「彼の全てを奪ってくれて」

「私の全てを奪ってくれて」

「これで私達はいつまでも……」





可憐が見た桜の顔はとても幸せそうな表情を浮かべていた。

そう…

とても幸せそうな死に顔―――




2人の遺体に挟まれていた箱が、人知れず姿を消した事を誰も知らない。




――パンドラの箱――





その箱はどんな願いも叶えると言う。

幾人もの願いをその箱は抱えている。

そして人の命を糧に、また知らない誰かの願いを叶えるのだろう。