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YAVIUNKO

世界と自分のアナロジー

タブーにも色々あるので、今回は文化的なタブーについて。
例えば、近親相姦や不倫、性行為、排泄行為の公開など。

さて、前提として、ルールや不文律によって禁止される行為とは往々にして人がやりたい行為だということを抑えておきたい。
人がやりたくないことをわざわざルールや不文律にして長らく保持する意味がないからだ。

そして、文化的タブーというのは、多くが個人で見たらメリットだが社会としてはデメリットになる行為だ。
例えば、近親相姦はやる本人は気持ち良いし、自分と長くいて気の知った人間と性行為をするのはメリットだが、社会としては、女性の交換ができなくなるというデメリットが有る。
この話はレヴィ・ストロースを読めば色々書いてある。
http://www2.obirin.ac.jp/okuno/CA8.html
このページが詳しい。
不倫もそうだ。やる本人は配偶者と違った誰かとセックスが出来て、新鮮な快感を得ることができるし、より相性の良い相手と出会えるかもしれない。しかし、不倫をされると、一夫一妻制を基調とする社会は成り立たないし、より近視眼的には、家族にとって本人のリソースが不倫相手に費やされるのは明らかにデメリットだ。
公開された性行為・排泄行為のメリットは、本人としてはどこでもセックスが出来てうんこができるということだろう。やや飛躍的だが、他者に自分の性器を見せることで潜在的な性行為相手を得ることが出来るかもしれない。性の隠蔽によって現在まで安定してきた社会にとっては、そんなことをされるのはたまったもんじゃない。

となると、なぜタブーを犯すのかという疑問を言い換えると、なぜリスクがあるのにルールや不文律を破るのかということになる。
タブーを犯すリターンとは、欲求が満たされることと、今まで書いてきたような実際的な利益。
リスクは、社会的な罰が与えられることだ。これの中には法律違反による罰則や、周りからの目、自らの社会的立場の崩壊など様々ある。
簡単な話、タブーを犯す人の頭の中で、リターンがリスクに勝っただけに過ぎないと思う。

やりたいけどやらないことを選択するのはストレスだ。
お菓子食べたいけど太るから我慢してる人は、太ってるのにお菓子食べまくる人が羨ましい。
不倫も近親相姦も世の中のタブーは大体そういうものだ。
不倫に快感を覚えるから不倫してるのよ、ってのはタブーを犯した後の開き直りの言説な気がする。
タブーを犯す快感がほしいなら別によりリスクの少ない他のタブーがある。
また、不倫に美しさを感じるというより、不倫してる自分に美しさを感じているのだろうと思う。
前者なら他人の不倫話やフィクションでよい。自分がするのはデメリットリスクが高いんだから。

社会的立場がありながらわざわざ自分でタブーを犯すのは、実際的な利益が欲しいからに過ぎず、それをどう色々言い繕っても、「欲望に負けた人間」としか思えないし、それは別に美しくないと僕は思う。
読み返すと、最近の日記は向田邦子に影響を受けてるなと思う。
主に文体が。

「位置について、ヨーイ、ドン!」
という掛け声は今でも現役なのだろうか。
1について、と書こうとした際の予測変換が、「位置について」だったので、ふと頭に浮かんだ。
運動会の時によく聞くものだと思っていたが、よくよく考えれば、本番ではない。
本番は空砲が用意されるからだ。
進学校だったので、運動には力を入れておらず、予行も一年に一二度しかしたことがないはずである。
その割に頭に残っているのは何故だろう。
誰しも運動会といえば、「位置について、ヨーイ、ドン」を思い浮かべるのではないか。そんな皆に共通のイメージが日本にはある気がする。
それらのたわいもないイメージの累積が、国民性を作るのだと思う。

◻︎

運動会に良い思い出は殆どない。
身体を動かすのは元来苦手だったので、徒競走は殆ど出場しなかったし、数合わせで走った時も、もちろん1位をとったことはなかった。
勉強についても、1位には縁がなかったように思う。そんなに頑張っていないし、周りも同じように平均よりは頭が良い連中ばかりで、しかも頑張っている奴だっているのだから、仕方ない。
ナンバーワンにならなくてもいい、皆それぞれオンリーワンなのだから、とSMAPが歌っていた。対照的に、祖父はよく「1位でないと意味がない」というようなことを言っていた。
多分それは、若い頃の劣等感から来ているのかもしれない。
1位になったことのない自分は、これからどうなるだろうか。

◻︎

「0」と「1」が違うというのはわかりやすいし、よく言われている。
でも、「1」と「2」の方が、より劇的な違いだと思う。

こういうコピペがある。

1:('A`):2006/10/26(木) 23:40:47 0
通常の人間は異性やセックスなしでは生きていけない。
恋人となる対象に依存しなければ精神の安定を保てない
喪男はその孤高の精神をどうやって手に入れたのか?
21 :('A`):2006/10/27(金) 00:16:04 0
だっておめぇ
とんかつ食ったこと無い人が
トンカツ無しじゃいきてけねぇよ
なんていわねぇだろう

「0」と「1」の違いはまさにこれだと思う。
存在の有無を表すデジタルな違い。
ある概念を知らなければ、その概念は無限大にある。
その概念を知れば、唯一一つの概念に確定される。
女性と付き合ったことのない人は、女性についてあらゆる可能性を想像することが出来る。
でも、一度誰かと付き合ってしまったら、女性というものが何か知ってしまう。
「0」について考えるときは『異端の数0』(チャールズ・サイフェ)が面白い。

「1」と「2」の違いは、それが唯一無二なのか、普遍性のあるものなのかというもの。
点と線を考えれば分かりやすい。
普段慣れ親しむユークリッド幾何学では、
『二つの異なる点を与えれば、それを通る直線は一つに決まる』
点が1つしか与えられていない時、線について考えることは出来ない。
2点与えられて初めて、無限に続く一つの直線を得ることが出来る。
女性と一人しか付き合ったことのない人は、女性に関してその人を以ってしか推し量れない。
彼女こそが女性なんだと考えてしまう。
女性と二人付き合ったことのある人は、世の中に様々な女性がいることを知ることが出来る。

何もない無に点が生まれるのより、点と点によって線が生まれることは、全く間逆だ。
無限から1点への収束と、1点から無限への拡散。
収束よりも、拡散の方が、大々的な気がする。
ああ、と言う間に1つの塊になったモノを眺めるより、
パチンとはじけて、目の前いっぱいに広がるモノの方がインパクトが有る。
それが、「1」から「2」への変化が、より劇的だと思う理由だ。

でもやっぱり「1」が一番だし、羨ましい。
「1」の唯一無二性のドラマチックさに惹かれるからかもしれない。
先日バルテュス展を見に行った。
妖艶な美少女が売りらしいが、確かに不思議と艶かしい少女の絵がでかでかと飾られていた。
もちろん全部が全部その類の絵という訳はなく、風景画や普通の女性の絵も色々展示されてはいる。
しかし、他の絵にはない美しさが少女画群にはあった。
他の女性画と比較してみると、その違いは被写体の若さではなく、どうやら描き方にあるようだ。
一言でいえば、影のあるなしである。
艶かしい美少女には決まって脇や、膝の裏、乳房、もしくは局部に濃い影が落ちていた。
それこそが美しさの源だなと感じた。

そう思った時、昔読んだ、鷲田清一の服飾論を思い出した。
鷲田さんは、ファッションの美しさは身体を切り取る境界にある、と言った。
言葉の定義同様、境界線がなければ、人は何かを理解することはできない。
なるほど、Vネックが強調する首元、スカートから見える太ももなど、服を見てエロいと思う部分は、確かに服と身体の境界に存在する。むしろ、その境界から、やや服の裏側に向かっているような所に、フェチズムを感じている気がする。
バルテュスの描く少女の美しさも、それと似ている。
肝心な部分にあえて影をつけることで、身体に境界を作っているとは言えないか。
少女の身体の上で、処女的健康性から大人に近づいている官能性を分断することで、その官能的美しさを理解可能なものにしている。
言うなれば、影が服の役割を果たしているのではないだろうか。

もしくは、ミロのヴィーナスと同じ手法であるとも言える。
清岡貞行は、「彼女がこんなにも魅力的であるためには両腕を失ってなくてはならなかった」と言う。
ミロのヴィーナスでは、存在すべき美しい腕への暗示が魅力に繋がっているが、バルテュスの描く少女では、影によって敢えて詳細に描かないことで、その部分に、観る者の想像の余地を与えている。
その想像性こそが美しさだとする考えもある。

光がなければ影がない、とは悪の存在理由を説く際によく聞く表現だが、
美しさに限れば、影がなければ光がないという方が的確かもしれない。
影こそが、官能的な美しさを作る強力な装置なのだ。

余談だが、日本のAVに足りないのはそこだと思う。
ピカピカの照明で女優と男優の絡みを濃厚に見せたらいいと思ってはいないか。
それでは官能性が足りない。美しさがない。
ハメ撮りが人気な点は、素人の女性が撮られている背徳さもさながら、ビデオ器具や撮影方法の未熟さから、映像に影が出ていることも一因ではないか。そう勝手に思っている。
いつになったら寝られるのかと不安になる夜がある。しかも最近結構な頻度でそれはやってくる。
寝苦しい熱帯夜というわけでもない。外がうるさいわけもない。
眠いから寝床へ入って電気を消して目をつぶるが、一向に寝られない。なぜだろう。

今日はやけに疲れたので、いつもよりうんと早く消灯した。まだまだ日は変わらないので、寝て起きたら明日になっているな、と思った。
その時、そうか寝られないのは寝たくないからだ、はたと気が付いた。
寝るのが、得体の知れない明日が来るのが怖いのだ。
明日がどうなるかなんて予想がつく。楽しくない明日を過ごすのが嫌なのだ。

しかし何にせよ、生きている限り明日は来る。どうしようもないな、と思った。寝よう。
時間が直線上に伸びていたとして、未来の自分を、自分に含めない人が最近多い。
刹那的な自らこそが自分の全てだと思うから、その時の欲に駆られて犯罪などするんじゃないかな。
未来の自分も大切にしていたら、突発的な感情に身を任せて悲しいことを起こさないはずだ。

過去の自分は、自分でなくてもよい。自分でもよい。過去の自分に拘りすぎるのはよくない。過去は変えられないし、それに今と未来の自分が悪影響を及ぼすなら、すておけばよい。中学生の頃いじめられっ子で暗かったからといって、高校で明るくなっていけない道理は無い。

では自分とは何か。
自分は男だし、京大生だし、スポーツをしている。でもそれは自分の属性であって自分そのものではない。
自分そのものを大切にしていれば、自分のどんな属性を嫌いでも、やっていける気がする。
この人生の中で自分と最も長く付き合うのは自分だけなのだから、自分は大切にした方がいい。

スポーツには限らないが、出来そうで出来ない微妙な、自らの技術を向上させるための一般的な方法論を書いておこうと思う。意識を変えるしかない、という言葉を使わなくても良いように。
基本的には下記のサイクルを回しながら都度都度パラメータを変更するだけである。
ノートに手書きは必須。
これが頭の中だけで出来る人なら既に上手いはず。下手なら手を動かす。

1.目標設定
2.現状把握
3.差分取得
4.原因/
方法模索
5.実行→4に戻る

1.目標設定
これは具体的であればあるほど良い、というか具体的でなくては意味がない。
例えば、パスキャを1部レベルにするとかは論外。最低でも誰々さんのパスフォームとか、もしくはより明確に、綺麗な縦振りなど。
目標は実現可能なギリギリのラインを目指したい。
この実現可能性の見通しこそが人が上手くなるかの分かれ目な気がする。何事も最初から諦める人が上手くなれるはずがない。

※ボルトにはなれない。

2.現状把握
自分の現状を目標と同じポイントで把握する。
例えば、ビデオを撮って目標と比較しながら特徴を書き出す、どういう時に誰かが縦振り出来るのに自分が斜め振りになる状況は何か、など。

※見栄を張らない。

3.差分取得
目標と現状の差を洗い出す。
ここが多分肝心だが、自分の注目点以外の差も考えに入れること。
例えば、パスフォームに関してなら、手や肩の動きだけでなく足や体幹の差異も把握する。縦振り斜め振りに関してなら、クロスの振り方だけでなく、振り終わった後、パスの前の構えなどにも注目する。
その理由は、次の項で原因や方法を探しやすいから。

※ヲタクになるべし。

4.原因/方法模索
何が差異を生み出す原因なのか、その差異を無くすにはどうすべきかを考える。
「なぜ~なのか」を段階的に用いて分解不可能になるまで続け、より基礎的な部分から改善策のリストを記述してゆけば良い。
目標を広く設定した場合は、基本的に4と5はトライアンドエラーが望ましい。よって、一回で色々な部分を掘り下げる必要はなく、特定の箇所に関して掘り下げ切ることの方が重要。
検討がつかない場合、改善したいと思っている点以外の場所にヒントが転がっていることが多い。
例えば、パスフォームに関してなら、普段クロスを扱っている高さが違ったり、ボールの安定感が違ったり、足のつき方も違ったりするが、そういう所を同じにするよう練習するのも良い。

※童心に帰る。

5.実行
改善策をより基礎的な部分から実行するために、反復練習する。
基礎的な改善策は全体練の休み時間かアフター、自主練の時にする。それが出来てから、全体練中により実践的な改善策を試す。
目標と現状の差異が無くなるまで4と5を繰り返す。最初に実現可能性を検討しているので、4で出た改善策を全てやり終えて無理なことは早々ない。

※やればできる。

とまぁこんな感じ。
現役の頃こういうことちゃんとやってれば絶対もっともっと上手くなれたと思う。
折角4年間やるなら、より本気になった方が良い。
上の1-3なんて日頃ちゃんと考えたら30分もかからないはず。
ノートの自由性こそ重要。

※後悔先に立たず。
彼女が誰かに憧れると言うのを聞いて、常々引っかかっていた心のしこりは、どうやら憧れるとは果たして何か、ということらしい。
確かに、僕は誰かに強く惹かれることはなかったかもしれない。記憶を掘り返しても、誰かに憧れたり尊敬の念を抱くということがなかったように思う。

大人の言う憧れとは、ちいさい子がウルトラマンやイチローに思う感情とは違うだろう。
同じような言葉に憧憬があるが、僕の中で憧れと憧憬は明確に違う。
憧憬というと、どうしても何か理想的な景色を思い浮かべることだと考えてしまう。それは多分クロノトリガーの『風の憧憬』というBGMのせいだ。
翻って、憧れとは何か自分の理想的な事柄に思い惹かれることを言うらしい。
ここでは、自らがなるのは無理だと思っているが、それでも近付きたいと思う理想的な、人間のある一面に思い惹かれることを、憧れと言うことにしよう。

となると、なぜ僕は人に憧れないのだろうか。
それは、誰かのようになりたい、と強く思わないからではないだろうか。
自分は自分で、他人は他人だから、他人を羨ましがっても仕方ないと考えている節がある。諦めともとれるその考えが、他の誰かになりたいという強い気持ちを抱かせないのだろう。
そのひねくれた考えは、日常的には気付かないが、他人を盲信しないでいられるという利点があるらしい。

盲信といえば名前は出さないが、カルト宗教が思い出される。
思うにカルト宗教が盲信者を量産する鍵は、この憧れという感情かもしれないな、とふと思った。
太ったことによるストレスやばいけどなんでこんなになるまで自覚あんまなかったのか。
あるある詐欺やったなー。
やるやる詐欺でもある。
もう自分の身体見たくねーー。
飯減らそう。
酒減らそう。
ランニングしよう。

あーーーまじ醜悪。
浮気は明確な恋人への裏切りだ。許されるべきではない。でもその割には世の中にまかり通っている。
だから誰しも、友人の誰かが浮気されて悲しんだという経験があるだろう。
その浮気の被害者たちを、霊長類学の方面から色々とそれっぽい理屈をこねて、
どう救済するかを考えたい。

今回は導入。浮気について考える回。

・そもそも浮気とは
とりあえず不倫と浮気を区別して、今回の話では、浮気を恋人関係にある二人のうちどちらかが第三者とセックスをすることと定義しよう。
つまり、恋人以外のの異性に惚れてしまったというのは除外するということ。
恋人関係という概念はヒトにしかない。一夫一妻制の種には夫婦はあるが、恋愛はない。
逆に複雄複雌群にあるかと言われると、実は特別仲良しなオスメスはいる。でもその関係はセックスを回避する親和関係だから、人間の恋愛とは少し毛並みが違う。男女の親友といった方が的確だ。
という風に考えると、恋愛ありきな概念である浮気は、他の種にはない。
浮気とは人間特有のものだ。

でもそうすると、今回の議題「霊長類学から色々と理屈をこねる」が出来ないので、上手いこと考える必要がある。

・セックスの目的とは
ヒトだけならず他の多くの種も性行為を生殖以外の目的で使っている。
基本的に恋人関係の二人がするセックスも、浮気相手とのセックスも生殖以外の目的だろう。
だから、その目的に注目してみると、ヒトの浮気と、他の種との比較ができそうだ。

・恋人同士のセックスと浮気のセックスの違いとは
恋人同士のセックスは一対一、1ペア、その目的は、快楽や肉体的安心感など。
浮気のセックスは一対一、理論上(なんの理論だ)は異性の数だけペアが可能、その目的は、快楽や肉体的安心感など。
実はどちらのセックスも、目的は同じなのである。快楽については言わずもがな。
浮気には安心感のあるセックスなど、と思われるかもしれないが、浮気をする女性は決まって「寂しかったから」と言うという。安心感を求めて浮気相手とのセックスをしている証拠である。(苦しいか)
両者決定的な違いは、作り得るペアの数なのだ!

・霊長類のセックスと浮気の共通点
ペア型以外の霊長類は性行為を色々な相手とするが、コミュニケーションとしてのセックスもあれば、快楽のセックスもある。その相手は勿論複数人であり、誰か決まった相手がいるわけではない。それも当然、誰か決めた相手とだけする利点がないからである。
もちろん、仲の悪い個体とはしない。比較的仲の良い個体に挨拶して、毛づくろいなどしてご機嫌を取り、セックスをするのだ。
浮気も似ている。相手は恋人以外の誰でも、という訳ではなく、仲の良い人に、親密に話をして、酒を飲んで体を寄せてボディタッチでご機嫌を取り、セックスをする。

とかツラツラ書いてきたら、ヒトも霊長類だし、そらセックスもしたいさ、浮気なんぞされてもマァ仕方ないかな、と言った方向で慰めることが出来るような気がしてくる。
そんな風に慰められたら俺は殴るが。

続く。

某チャレンジ、チェンメが流行るのと一緒の理由で流行し、錦の御旗が明確だから、心理的ハードルも低いからよく流行ってるイメージ。

回ってきたら絶対やらないし、寄付したって言って寄付しないパターンだと思う。

偽善だなんだって批判する必要もないと思う。
人に迷惑かけてる訳じゃないし、デメリットもないし、やりたい人がやっとけばいい。
自分のところに回ってきたら面倒だって理由を公言するような人にはどうせ回ってこないから安心したらいい。

流行した理由は発起人の周辺が比較的有名な人間だったからとかそういう理由でしょう。
一旦流行ったらあとはポジティブフィードバックで、説明できるだろう。
やろうと思えば、複雑系としてモデル作って検証することも出来るってか誰かしてるかも。

ちょっと目立ちたい人もやればいいし、本当に周知したい人もやればいいし、寄付したい人は寄付すればいいし。

そんな感じ。