「人生イージーモード」という言葉を、正確には覚えていないが高校生の頃から使い出したと思う。
座右の銘は何かと聞かれたら、本当のことを言えばこの言葉を言いたい。しかし、人受けが良くない気がして適当にお茶を濁すことが多い。
「人生イージーモード」とは何か説明したい。
一般的にネットで言われている意味では、金持ちや美人が人生そんな苦労せずに生きていけるんだろう、という妬みや憧れから発されている。
つまり、彼らの人生の困難さは、ゲームで言えば簡単にクリアできるよう調整されたイージーモード程度だ、ということだ。そういう意味に捉えられては、座右の銘として答えずらい。
確かにこの言い分は分かる。しかし、僕は少し違った意味を付加したい。
なぜなら、この言葉は、そんな単純な意味で語るには勿体無いくらい響きが良いと思うからだ。
「人生イージーモード」。
この言葉に込められた前提を確認すれば、僕が言葉の意味をどう広げようとしているのか、理解する助けになるだろう。
まず、イージーモードとはゲームの難易度のことなので、人生がゲームに例えられるということが前提になっているのが分かる。
次に、恵まれた人間の人生にも困難があることを前提にしているだろう。
なぜなら彼らの人生に困難がないと思っていたら、イージーモードではなく、チートやゴッドモードという言葉で例えられているだろうからだ。
さて、この二点を基に、僕が「人生イージーモード」という言葉を拡張して用いていることを示したい。
人生はゲームに例えられる。では、ゲームの必要条件はなんだろう、と考える。
単純に言えば、守るべきルールがあり、それに従いながらゴールを目指す、そして、ゴールは例えどんなに可能性が低かろうと達成可能である、ものがゲームなのだと僕は認識している。
どんな人生でも、生きているうちは続くというルールがある。どんな人生でも、目標を設定して、どんなに可能性が低かろうとそれを叶えることはできる。
そうことを、僕は「人生イージーモード」という言葉の意味に含めたい。
そして、こちらが本当に伝えたい意味なのだけれど、親の裕福さや遺伝子配列に関係なく、誰でも人生はイージーモードなのだということを、僕は言いたい。
どんな人生にも困難はあり、大きな困難も、小さな困難もあり、更に幾つもある。
そして、人生はイージーモードなのだから、その困難は自分で乗り越えることが出来るはずだと信じたい。
そう信じて、何度も呟くことで、本当にイージーモードなんだと思った方が、ゲームはクリアしやすいはずである。
これがベリーハードだと思っていたら、やる気をなくしてしまうだろう。
なんで俺はこんな難易度の高いゲームをしなくちゃならないんだ、設定を変えるには初めからやり直すしかないじゃないか、という風に。
人生というゲームはリセットが効かない。
自殺をしたり、何のやる気も起きずに堕落しきるのは、自らの人生の難易度を高く見積もっているからなのではないだろうか。
理想論かもしれないが、僕は以上の理由から、「人生イージーモード」という言葉をこれからも伝えていきたい。
人生はゲームであり、ゲームとは、ルールを守った方が面白く、困難は必ず乗り越えることが出来るように作られていて、クリアすると達成感がある。
だからこそ熱狂してプレイした方が絶対に楽しい。
そういうことを僕は言いたい。
おわり。