今年は終戦から80年目なので今日8月15日は80回目の終戦記念日である(*1)。我々日本人には信じ難いが、米国では、原爆は戦争を終わらせて百万人の若者の命を救ったとして“平和のシンボル”となっている。しかしこれは全くの虚構であり、米政府の露骨な国内プロパガンダの成果なのである。


まず、広島や長崎への原爆投下は大都市への無差別爆撃と同じく、殆どが非戦闘員である一般市民に対する大量殺戮行為であり、戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)だから不問に付されたものの当時の国際法に照らしても戦争犯罪であることは明らかで、既に司法での結論も出ている(*2)。

そもそも原爆投下によって日本が降伏した訳ではない。既に制海権も制空権も失い物資輸入も絶たれた日本を降伏させるには原爆投下も本土上陸も不要だったのだ(*3)。にも拘わらず米国は原爆投下で20万人もの一般市民を虐殺し、何万人もの自軍兵士を犠牲にする前提で本土上陸計画を立てていた。

終戦4か月前にルーズベルトの病没で急遽大統領になったトルーマンは就任直後に原爆開発計画の詳細を初めて知らされ恐懼した。何故なら議会の承認も得ずに20億ドルも投じていた原爆開発が終戦に間に合わなかったら(民主党)政権はもたないからだ。そこで彼は日本の降伏を遅らせようとした

トルーマンは国務長官のバーンズと結託し、原爆の予備的実験と投下準備のために、6月のポツダム会談の日程を1か月延期した。さらに「天皇存命」「国体護持」の2条件さえ満たせば日本が降伏すると判って、日本がすぐに受諾しないように、敢えて降伏要求文書からこの2条件を削除した(*4)。

そして米ソ冷戦も始まっていたので、ソ連に「我々の参戦によって日本が降伏した」と宣伝されぬよう、ソ連が参戦する前に原爆を投下することで「米国の原爆が日本を降伏させた」ことにしたかったのだ。かくして、米国は戦争に勝つためには必要のない原爆投下を行ったのである。

その上で私が疑問を持ったのは、最初の広島にウラニウム型、そして長崎にはプルトニウム型と「何故2種類の原爆を投下したのか?」という点である。映画「オッペンハイマー」では、7月16日にロスアラモスで人類初の原爆実験が成功した直後「大統領に電話を!」というシーンがある

この時トルーマンはポツダムに向かう船上でこの知らせを心待ちにしていた。しかし実験したのはプルトニウム型であり、最初に広島に投下したウラニウム型ではない。ウラニウム型は実験も不要なので実験なしで使用されている。ならば何故、プルトニウム型の実験成功を待つ必要があったのか?

砲撃型点火装置のウラニウム型と爆発型点火装置のプルトニウム型、起爆方法が異なる両方式は同時に開発されていたようである。一般的に先が見えない研究開発においては、可能性のある複数の方式を並行して開発し、先に完成した方、または評価を行って良い結果を残した方を採用するものだ。

この“並行開発”は人手や費用は嵩むが研究開発期間を短縮するためには有効だ。アポロ計画の帰還カプセルの回収方法で実際に採用されたのはパラシュート方式だったが、採用されなかったグライダー方式の開発も並行して行われ、その成果はハンググライダーとして民間スポーツに転用されている

【パラシュートとハンググライダー(写真はネットから)】

国家規模のマンハッタン計画(原爆開発計画)において世界初の原爆開発で“並行開発”をしていたとしても、最初に予備的な実験も不要なウラニウム型が完成したのなら、その時点でウラニウム型を採用するはずだ。プルトニウム型の予備的実験の成功を待つ必要などない。

それに、1発目が想定通り機能したなら、どうして2発目にリスクを犯してまでわざわざ別の方式(プルトニウム型)を使用するのか?実は、米国は原爆の使用方法を議論した際、最初に完成度の高いウラニウム型を使用し、その後にプルトニウム型を使用することを事前に決めていたともいわれる(*5)。

もしそうなら米国は最初から日本に原爆を2発投下するつもりだったという事になる。そして一説によれば大手化学メーカー2社が別の方式で開発していたので一方だけを採用できなかったともいわれる。原爆開発には複数の大手化学メーカーが関与していたはずだから、これは大いにあり得る話だ。

原爆を2発投下するまで日本が降伏しないという確信があったなら2種類の原爆を実際の都市に投下してその影響等の違いを試したかったのかも知れない。もしそうなら日本人として人間として許し難いが、一方で我々日本人が戦後80年間、米国の核の傘下で平和を享受してきたのも事実である。

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*1:8月15日は日本が国内外にポツダム宣言受諾を公表した日。公式な終戦日は東京湾に停泊した戦艦ミズーリ甲板上で降伏文書に日本が調印した9月2日。
*2:1955年に被爆者らが国を提訴し1963年に東京地裁で「原爆投下は国際法違反」との判決が下された。
*3:ヘレン・ミアーズ「アメリカの鏡・日本」メディアファクトリー・1995年 P148~149、米国戦略爆撃調査団の公式報告書(1946年7月)に記載されており、所謂「原爆不要論」の論拠ともなっている。
*4:鳥居 民「原爆を投下するまで日本を降伏させるな ~トルーマンとバーンズの陰謀~」草思社・2005年 P.251~252
*5:日高義樹「なぜアメリカは日本にニ発の原爆を落としたのか」PHP研究所・2012年 P.72

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