4月から毎週金曜朝にヨガを始めた。以前、会社員時代に仕事帰りに職場近くで2年ほど毎週通っていたので「始めた」というより「再開」である。私が初めてヨガを体験した際、激しい運動もしてないのに身体が温まって汗ばみ不思議な爽快感があるので驚いたが、その感覚が再び蘇ってきた。

未体験者にとって「ヨガ=軟体ポーズ」だから「身体が硬いとヨガはムリ」と思うだろうが、かくいう私は自慢出来るほど体が硬い。そう言うと今度は「ヨガで身体は柔らかくなりましたか?」等と聞かれるが、ヨガは、筋肉を伸ばす目的のストレッチや柔軟体操とも全然違うものである。
ではヨガでは何が大切かというと「呼吸」だという。どのインストラクターも「ポーズは自然な呼吸が出来る範囲で」「イタギモまでは良いが痛いのはNG」という。身体が硬くてポーズがちゃんと出来なくてもOKで気持良く(イタギモの範囲で)自然な呼吸を続ける方がポーズよりも大切だという。
「呼吸」は心臓の鼓動や発汗等体温調節や空腹感満腹感等と同じく人間の生存に必須な機能で「自律神経」の配下だ。しかし鼓動や体温は意識で制御できないが息は止めたりテンポを制御できる。つまり「呼吸」は、自律神経の配下にありながら、唯一、意識でコントロールできる機能なのだ。
だからヨガは呼吸を意識することで、この世に生きている生物としての人間の身体(形而下の存在)と、考える葦として思考し煩悩する人間の心(形而上の存在)との懸け橋である呼吸を通じて、自らを知り、癒したり、なだめたり、制御したりする人類の知恵なのかも知れない。
さらに「今の自分の身体に意識を向けて」「その日の自分の呼吸を感じて」とも言う。自分の心身の状態も自然な呼吸も毎日違うので、その日その時の自分の身体の状況にしっかりと意識を向けよという事だ。様々なポーズは表層的なもので、ヨガの本質はこれではないかと私は思った。
我々は他人とはよく会うが、自分とはあまり会っていない気がするが、ヨガは自分と会える機会でもある。つまりある意味では「禅」のようなものかも知れない。禅の開祖ダーマ(達磨大師)もヨガと同じインド由来だし、両者の根っ子には数千年に亘って脈々と流れるインド哲学があるのかも知れない。
そこで問題なのは、隣(周囲の人)と比べたり頑張る事だ。つい「ヤバ!同じポーズが出来てない」「自分の方が上手いゾ!」とか「よーし頑張るゾー」等と思ってしまう。これは社会人としての協調心や競争心や向上心なのだが、これでは「自分と会う機会」ではなくなってしまうのである。
そこでインストラクター各位は「隣の人とではなく、過去や昨日の自分と比べ、自分の身体と対話をして」と言うのだが、なかなかどうして、それが出来ないのだ。元同僚や部下に「団体行動が出来ない人」と思われていた私ですら難しいのだからフツーの日本人にはそこがヨガの鬼門だと思う。
Saigottimo

未体験者にとって「ヨガ=軟体ポーズ」だから「身体が硬いとヨガはムリ」と思うだろうが、かくいう私は自慢出来るほど体が硬い。そう言うと今度は「ヨガで身体は柔らかくなりましたか?」等と聞かれるが、ヨガは、筋肉を伸ばす目的のストレッチや柔軟体操とも全然違うものである。
ではヨガでは何が大切かというと「呼吸」だという。どのインストラクターも「ポーズは自然な呼吸が出来る範囲で」「イタギモまでは良いが痛いのはNG」という。身体が硬くてポーズがちゃんと出来なくてもOKで気持良く(イタギモの範囲で)自然な呼吸を続ける方がポーズよりも大切だという。
「呼吸」は心臓の鼓動や発汗等体温調節や空腹感満腹感等と同じく人間の生存に必須な機能で「自律神経」の配下だ。しかし鼓動や体温は意識で制御できないが息は止めたりテンポを制御できる。つまり「呼吸」は、自律神経の配下にありながら、唯一、意識でコントロールできる機能なのだ。
だからヨガは呼吸を意識することで、この世に生きている生物としての人間の身体(形而下の存在)と、考える葦として思考し煩悩する人間の心(形而上の存在)との懸け橋である呼吸を通じて、自らを知り、癒したり、なだめたり、制御したりする人類の知恵なのかも知れない。
さらに「今の自分の身体に意識を向けて」「その日の自分の呼吸を感じて」とも言う。自分の心身の状態も自然な呼吸も毎日違うので、その日その時の自分の身体の状況にしっかりと意識を向けよという事だ。様々なポーズは表層的なもので、ヨガの本質はこれではないかと私は思った。
我々は他人とはよく会うが、自分とはあまり会っていない気がするが、ヨガは自分と会える機会でもある。つまりある意味では「禅」のようなものかも知れない。禅の開祖ダーマ(達磨大師)もヨガと同じインド由来だし、両者の根っ子には数千年に亘って脈々と流れるインド哲学があるのかも知れない。
そこで問題なのは、隣(周囲の人)と比べたり頑張る事だ。つい「ヤバ!同じポーズが出来てない」「自分の方が上手いゾ!」とか「よーし頑張るゾー」等と思ってしまう。これは社会人としての協調心や競争心や向上心なのだが、これでは「自分と会う機会」ではなくなってしまうのである。
そこでインストラクター各位は「隣の人とではなく、過去や昨日の自分と比べ、自分の身体と対話をして」と言うのだが、なかなかどうして、それが出来ないのだ。元同僚や部下に「団体行動が出来ない人」と思われていた私ですら難しいのだからフツーの日本人にはそこがヨガの鬼門だと思う。
Saigottimo