渋谷SEABIRDのマスターがジョージ・ガーシュインの生涯を描いたドキュメンタリーも観せてくれた。彼は数々のスタンダードを作曲したのみならず、あの「Rhapsody in Blue(ラプソディ・イン・ブルー)」(1924) によって、ジャズとクラシックの橋渡しをした“シンフォニック・ジャズ”の草分け的存在でもある。
私は、R.ロジャースとC.ポーターとA.バーリンを「3大ミュージカル・メーカー」と書いたが、このガーシュインも「The Man I Love」(1924)、「Someone To Watch Over Me」(1926)、「'S Wonderful」(1927)、「Embraceable You」(1928)、「I Got Rhythm」(1930)、「But Not for Me」(1930)等、そうそうたる名曲の数々を生み出している。
このドキュメンタリーによれば彼は生粋のNYっ子だが、両親は若くしてアメリカに渡ったロシア系ユダヤ人移民であり彼は「移民二世」ということになる。決して裕福な境遇ではなかったものの、親が兄に与えたピアノに触れて彼の音楽の才能は一気に開花し、兄のアイラは文芸肌で後に作詞家となって弟とコンビを組む。
酒場での演奏を皮切りに、当時華やかなりし「ティンパン・アレー(音楽系出版社街)」で頭角を現すと、「ミンストレイル・ショウ(白人が黒人に扮した人気レビュー)」やミュージカル作曲家として「Swanee(スワニー河)」(1919)や「Summertime(サマータイム)」(1935)等の名曲をものし、映画の都ハリウッドでも大活躍する。
以前の記事で、彼がラヴェルにクラシック音楽の教えを乞うて断られたという逸話を書いたが、同時に彼はクラシックの作曲家から「逆にどうしたら貴方のように作曲で稼げるのか教えて欲しい」と皮肉交じりに言われたくらい、彼は稼ぎに稼ぎまくり若くして豪邸を建て、巨万の富と高い名声を手にした。
若くして才能に溢れて活動的でハンサムで億万長者とくれば女にモテないワケがない。なので、彼がビバリーヒルズの豪邸でホームパーティを開けば、若く美しい女性達が彼の周りに群がったという。にも拘わらず、いや、だからこそなのか、結局、彼は生涯独身だった。いやはや・・・。
ガーシュインが他のミュージカル・メーカー達と異なるのは、執念ともいうべきクラシック音楽(シリアス・ミュージック)への拘りだろう。「ハリウッドでいくら稼いでも幸せじゃない」と言い放ち、四重奏団で有名なアルバン・ベルクや現代音楽のシェーンベルグと親交を続けたが、脳腫瘍が原因で38歳の若さで夭折してしまった。
コール・ポーターのドキュメンタリーを観ても思ったことだが、“人は無い物ねだりをする生き物”なのかも知れない。裕福な家庭で育ったポーターは才能を開花させ経済的に大成功したのに自らはアスリートに憧れ続け、移民の子からアメリカンドリームを実現したガーシュインはクラシック音楽での名声を夢見て果てたのだから。
芸術家やスポーツ選手など特殊な才能を発揮しても、頭が良くて機転が利き、社交的で話が上手く見目麗しくても、経済的に成功しても、結局、どこか自分の“無い物ねだり”を続けて人生終わるのだとしたら報われない。それに、もし大富豪だったら「Paypayでボーナス7円もついた!」と大喜びも出来ないだろうしね。
♪’S Wonderful・・・2021年9月3日、渋谷SEABIRD第一金曜ライブにて ※本多バンマスのライブチョイ見せ動画♪
【牧(vo.)、御子柴(ts.)、山口(pf.)、萬造寺(b.)、蓮井(ds.)】
♪’S Wonderful・・・Mackyとのネットによる音声合成Duet♪
Saigottimo



