先日「免疫力を向上させる簡単な方法」として「笑い」を推奨する記事を書いたところ、早速「私も年に何回か寄席に行きます」との反応を頂戴した。その彼がジャズミュージシャン(ドラマー)だったので、以前から「ジャズまたはクラシック音楽の愛好家には落語好きが多いなぁ」と思っていた私は「やっぱりそうか」と思った。
私の同級生にも高校生にして「ジャズ人名鑑」に名前が載っていた田中邦男というドラマーが居て落語好きだったし、特に彼の場合は奇しくも私と同じく春風亭柳昇師匠の大ファンだったことを思い出した。そこで「どうも落語とジャズやクラシック等の音楽にはどこかに共通点があるに違いない」と思い至り考えてみた。
結果「古典落語とスタンダードは同じ」という結論に辿り着いた。「寿限無」や「時そば」などの古典落語は噺のストーリーやオチは決まっているが、噺家の個性によって登場人物のキャラやディティールが変わって面白い。ジャズスタンダードもメロディやコード進行は同じだが演奏者によってリズムもテンポも味わいも異なる。
クラシック音楽の世界も同じで、かつて山本直純氏が講演でベートーベン交響曲第5番「運命」冒頭の「ジャジャジャジャーン」という4音のフレーズが時代や指揮者によってこんなに違う、と聴き比べさせてくれた。古典落語もスタンダードもクラシックも、演者がどう解釈しどう表現するかで全く違ったものになる点が面白い。
先日、休暇を取って新宿「末廣亭」に行った際、「夜の部」主任(トリ)の三遊亭遊雀師匠が「初天神」を演った。何度も聴いた古典だが、縁日で子供がグズる様子の余りのリアルさと迫力に、もう腹がよじれるほど笑ってしまった。あそこまでリアルに演じるには自らの幼少時代の記憶だけでなく相当の観察機会が必要だろう。
また数年前には同じく「夜の部」トリで柳家さん喬師匠が、有名な古典「芝浜」を演った。この噺は私は柳家小三治師匠(今や人間国宝)のカセットテープ(古い!)を持っていて何度も聴いてたのに、図らずも号泣させれられてしまった。ストーリーは変えてないのに主人公のおカミさん目線で語られて意表を突かれたのだ。
遊雀師匠の「初天神」、さん喬師匠の「芝浜」は演じ方や着目点の妙だが、ストーリーのアレンジという点では、立川談笑師匠の「壺算」転じて「薄型テレビ算」が凄い。古典の「壺算」は小さい壺の予算で倍の大きい壺を買うというトンチ噺だが、これを10万円の予算で50インチTVを買うという今風アレンジをして唸らせるのだ。
私もナンチャッテではあるが、一応“スタンダード・ヴォーカリスト”を名乗る以上は、これら一流プロのマイスター(師匠)方を見習って、スタンダードを自分流に解釈し、演じ、表現していきたいと思っている。これはこのブログでも常々申し上げているように「上手いかどうか」という価値基準とは全く違う次元の話である。
Saigottimo

