梅雨が明けた途端に猛暑が襲ってきた。もう8月なので誰しもある程度は頭で予測していただろうが、身体がついていかないのが実態ではないか。かといってこのコロナ禍の状況下ではリゾート地に繰り出すのも憚れる。となればエアコンをかけた室内で音楽やTVやゲームを楽しむしかない、という人が多いのではないだろうか。

 

このブログで私は60年代までの洋楽を推してきたので、この暑い時期に聴きたくなる音楽といえば昔ならハワイアンかラテン、最近はボサノヴァということになろうが、ここは敢えて80年代の日本のアルバム、大瀧詠一の「A LONG VACATION」をご紹介したい。紹介する必要などない名盤だが、若い人は知らない事もあるので。

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このアルバムの言葉での解説は野暮、もう聴いてもらうしかないが、ジャケット表面の永井博のイラストの光景が中身の音楽にベストフィットし全てを物語っている。まさにこの絵にある盛夏の音楽なのだが、ここで私が特筆したいのはこのアルバムが作られた季節である。発売は1981年3月、ということは制作は真冬のはずだ。

 

よくファッション業界などは春に秋冬物、秋に春夏物と真逆の季節のモードが発表されるが、あれはそこまで時期をズラさないと商品供給が出来ないというビジネス上の都合からだ。音楽業界にもそういった都合が無いとは言わないが、全く別の事情がある。それはクリエイター(作詞/作曲家)の心理的な理由とも言えるだろう。

 

このアルバムのみならず山下達郎なども真夏の音楽は真冬に作ることが多いようだし、ビリー・ヴォーン楽団のハワイアン「真珠貝の歌」も真冬に制作されている。我々素人からすると盛夏のプールサイドで作っている様に思えるのだが、実際には全く逆で、極寒のオーバーを着る季節に真夏の音楽を制作しているのだ。

【白人男性ジャズ歌手No.1とも言われたメル・トーメ】

 

同様にクリスマス・ソングの定番「The Christmas Song」にも似たようなエピソードがある。共同制作者のメル・トーメとボブ・ウェルズは共に20代前半の若い頃、真夏の酷暑に耐えきれず(1944年ではエアコンが無い?)、二人で寒い冬の季節の行事などを想像し、お互いに言葉にしていたらこの曲↓が出来てしまった、というのだ。

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「The Christmas Song」の歌詞の一部と私の意訳

 

Chestnuts roasting on an open fire,

栗を直火でローストするだろう、
Jack Frost nipping at your nose,

冬将軍は君の鼻を凍えさせるよね、
Yuletide carols being sung by a choir,

聖歌隊はクリスマスキャロルを歌ってるし、
And folks dressed up like Eskimos.

人々はまるでエスキモーみたいに着込んでるのさ、

...

(以下、クリスマスの歳時記のような歌詞が続く)

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これらの事から分かるのは、人間の創造力(クリエイティビティ)には強い想像力(イマジネーション)が必要であり、その想像力は現実として目の前に無い方が強く働く、ということなのかも知れない。年末の寒い季節の行事は猛暑の中でこそ渇望され、逆に盛夏での体験は極寒の真冬に憧憬として描かれる、ということであろう。

 

そこが人間のココロが持つ意外性でもあり面白い点でもあるが、同じアーティストでもミュージシャンはどうかといえばそうではないだろう。このクソ暑い中で、いくら想像力(イマジネーション)を働かせたとしても、クリスマスソングを歌えるか演奏できるか、極寒の時期に真夏の歌を歌えるか演奏できるかと言われても、ねえ・・・。

 

Saigottimo