バンコクのICUは、廊下を真ん中に左右に部屋があり、各部屋の前にデスクがおかれ、担当の看護士が24時間シフトで張り付いている。
外国人患者には、見合った言語のコーディネーターさんがついてお世話をしてくれた。
それぞれの自国によって異なる保険事情にも対応できるシステムになっているようだ。
そして、肝心の旦那さんは、いまだ血栓で詰まっている左脚の腫れに加え、血管の詰まりは痛みまで伴うらしく、膝に痛みが集中していたり、脚の表面が異常に敏感になっていてエアコンの風があたっても辛い様子、元来の痛みであるヘルニアと共に苦しんでいる。
見ているだけの方もつらい。
何もできないから。
できるのは、今の状況でもなんとか「快適」と呼べる状況を作ることだ。
仰向けの姿勢しか取れなくなってから、はや10日がたっている。
24時間その姿勢だ。
もちろん、もっと重病な方が沢山いて苦しんでいるのは想像出来る。
しかし、その時はそんな余裕は無かった。
出来る事はして上げたい、という思いしかなかった。
血栓が体を動かすことによって移動しだし、肺に詰まれば肺塞栓、脳なら脳梗塞、心臓なら・・・・とリスクは甚大だ。
つらいだろう、とは想像できる。
クッションの大きさやタオルを折りたたんで、少しでも辛さを軽減する工夫くらいしかできない。
血栓治療薬の弊害はもちろん、血が止まりにくくなる事。
電気シェーバーしか使用できない。
歯科治療も大変になるので、歯磨きも念入りにしないとならない。
など、日常的な事も変わってくる。
なんせ、本人は大層落ち込んでいる。
不器用な上に点滴のチューブに繋がれ、髭剃りも歯磨きも思うようにいかない。
身奇麗にするのが好きな人だけに気持ちはわかる。
そんな事のアシストで多少でも気分が晴れてくれるなら、喜ばしい限りだ。
後は、血栓が早く溶けてくれるのを待つ「時間」との戦いだ。
血栓に目処がつかないことには、ヘルニアの積極的な治療が始められない。
義弟は方々に連絡をとり、煩雑な仕事を黙々とこなしてくれ、私を旦那さんだけに集中させてくれた。
ありがたかった。
(これは、後に想定外の結果をもたらすことになるのだが・・・)
ICU初日は暮れ、私は病院が手配してくれたホテルにチェックインした。
普通病棟なら簡易ベッドで寝泊りできるものの、それもいつかは未定だった。
義弟は違うホテルだったが、一緒に来てくれて食事を共にした。
旦那さんが入院して以来、初めて人と食事をした。
二人とも、バンコクに無事についた事に興奮していた。
途中で、ベトナムから付き添ってくださったK医師から連絡が入った。
「 何事もなく移動が完了してよかったね。
今だから言えるけど、リスクはとっても高かったんだよ。
全部伝えたら、奥さんは首を立てに振らなかったと思ったから全部は伝えな かった。でも、どう見てもこれしか方法は無かったよ」
こんなインフォームド・コンセントを医師自ら暴露するなど、自国の大学病院の医師が聞いたら呆れるのであろうが、私は文句など言え無かった。
かえって、K医師の正直さと決断力、実行力 そして気遣いに改めて感謝した。
リスクは承知だった。
自国の医師に緊急搬送の話をしたら、
「頭がおかしいのか?!K医師は?!」
と言われていたから。
決断したのは、それなりに理由があったからだ・・・・