広島県尾道市の歯医者さいだ歯科医院の齊田健一です。

 今年もまもなく敬老の日がやってくる。まだまだと思っていたが、私も77.5歳になりいつの間にか、「敬われる」歳になった。

先日、経営出版社発行の雑誌「ルネサンス17号」5月14日発行を読んだ。今回の特集は「間違いだらけの日本医療」であった。目次に示すとおり、癌検診、糖尿病食、コロナワクチンに関する記事など多く有りどれもビックリするような内容である。ここに書いてあるものがフェイクだと思われる方もいらっしゃるだろうし、そうなんだと思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。

        

 その中で私が特に気になった記事は長尾和宏医師の書かれた「多死社会を生き抜く“平穏死”」という記事であった。注に『日本は医療先進国で有るにもかかわらず、終末期患者の多くは医師の知識不足によって苦しい最後を迎えるという。在宅医療のパイオニアとして、四半世紀以上にもわたって2500人以上を在宅で看取ってきた長尾医師が語る、「自然で理想的な最後」とは?』とあった。

    

 長尾医師が{平穏死}にたどりついた きっかけを一部転載させていただくと

{「皆さんは、自分や家族の“理想の最後”について考えたことがあるでしょうか。昔も今も、多くの人が自宅で看取ってもらいたい」と答える一方で、現実には病院などの医療機関でたくさんの管につながれて苦しい思いをしながら亡くなって行くケースが約8割を占めます。私が医者になって40年以上が経ちますが、最初に配属された救急病院では2年間にわたってたくさんの死を見ました。肝硬変や癌末期で運ばれてくる方が多かったのですが、「口から食べられないから」と高カロリーの点滴を1日2リットルくらいして、息が苦しくなれば酸素吸入もします。末期癌の人たちであれば、それでも苦しいからと、全員が人工呼吸器を付けていました。腹水や胸水が溜まれば抜いて、すると今度は「脱水になったから」と1リットル、2リットルもの点滴をする・・・。それらは当時、先輩から指導された“ごく常識的な治療”だったのですが、私は「何か違うな」と感じていました。

なぜなら、全員が「苦しい、苦しい」と言って、最後には血を吐いて血だらけになって死んでいったからです。亡くなった患者さん達は皆、溺れ死んだかのように顔も体もパンパンにむくんでいました。けれどそうした状況は、別の病院に異動してからも同じだったのです。

 そして医者になって10年目の頃、転機が訪れました。50代の食道がん末期の患者さんが入院してきたのですが、驚いたことに「何もしないでください」と言うのです。検査をしてみると食道が狭くなっており、かろうじて水が少し飲めるくらいの状態でした。普通なら、胃カメラでステントという管を入れるのですが、その患者さんはそれも拒否。食事もできませんから、それまで何百人もの患者さんにしてきたように高カロリー点滴をしようとしましたが、それも拒否されたのです。これではすぐに死んでしまうだろうと思っていたところ、1ヶ月経っても2ヶ月経っても、お水を少しだけ飲んで超元気に過ごしています。点滴もステントもしない末期がんの人が元気にしているなんて、私は驚きました。 しかし3ヶ月目くらいになると急速に弱って、3日ほどベットに寝付いたあと、枯れるように亡くなってしまいました。その時私は初めて“自然な死”を目の当たりにしたのです。

医者になって10年目にして「こんな死もあるのだ」ということを患者さんに教えてもらって、とても衝撃を受けたことを覚えています。この“自然な死”とはすなわち、「尊厳死」「平穏死」と同義のものです。そしてこの「平穏死」と言う言葉は、特別養護老人ホームの常勤医である石飛幸三先生がご著書『「平穏死」の進め』(講談社)の中で使われた造語なのですが、聞こえ方がやわらかいので私も使わせてもらっています。」} 転載ここまで

 その後、長尾クリニックを開業された後、大家さんを在宅で診たが在宅なので病院のような治療が出来ず基本的には点滴もせず、黄疸があり腹水溜まっていたが、在宅医療なので腹水も抜かなかったがだんだんお腹がしぼんで抜く必要もなくなった。そして2ヶ月ほどで病院でみた"自然な死“迎えられ、枯れるように亡くなられた。病院医療と在宅医療の両方で自然な死を看たことがその後の長尾医師の方向を決定づけたと思われる。

 ところで苦しみが長引かない最後と言えば「ピンピンコロリが理想です」と言う人もいるがこれは健康だと思われていた人が、心筋梗塞やくも膜下出血、大動脈解離などで急に亡くなってしまう「突然死」のことで「平穏死」とは異なる。しかもあまりに突然すぎると周囲の人達を混乱させてしまうため、「真に理想的な死」とは死に向かっていく経過が10日くらいある場合でしょう。介護が必要な状態が10日間ぐらいであれば、仕事があるご家族でもお世話することが可能ですし、知人のお見舞いを受けたりお別れの言葉を交わしたりすることが出来ます。ご家族がお葬式の準備をすることもできます。

 一方で、「平穏死」には明確な闘病期間があります。末期癌の終末期でも、毎日水を500mlくらい飲めれば、数ヶ月ほどは自宅で過ごせるのです。その間は外出したり、家の中を移動してトイレに自分で行けたり、口から飲んだり食べたりすることが出来ます。そして何よりも、会話で意思疎通が図れることが重要です。尊厳を保ちつつ緩和ケアをおこなって寝込む期間と苦痛を最小限にする、それが「平穏死」や「尊厳死」の概念なのです。

 病院医療では「たとえ終末期の患者であっても死亡させたら負け」なので、そのため延命治療のフルコースを施しいくつもの管を繋いで命を長らえようとする。しかし海外では「緩和医療とは脱水状態にすることだ」と明言されている。脱水といっても人工的に水分を抜くのではなく、「脱水になるのを見守る」「脱水を容認する」ということなのだが、日本ではそういう教育がまったく出来ていないのが現状です。

近年のように医療が発達していなかった時代の日本では「平穏死」が当たり前でした。しかし高度な治療が出来るようになるにつれて、「平穏死」が難しくなってきたとのこと。

 そもそも日本では、医療関係者でさえ「平穏死」と「安楽死」を混同しがちです。自然な死である「平穏死」に対して「安楽死」は薬などで人工的に寿命を縮めて死なせること。日本では安楽死は殺人罪である。図のように安楽死を認めている国もありますが、その根底にあるのが「リビング・ウイル(LW)」です。これは「延命治療を望まないと言う意思表示」を文章として残すもので、長尾医師は「命の遺言状」と呼んでいる。通常の「遺言状」が死後の遺産相続などを決めるものであるのに対して、LWは死ぬ前のこと、「どのように人生の最期を遂げたいか」本人が決めて記しておくものです。どんな場所で命を終えたいのか、どこまでの治療を受け入れるかといったことです。先進諸国ではすでにLWが法的に担保されていて、医師が勝手にLWの内容に反する治療をすれば罰せられます。

     

 しかし日本では本人が「延命治療は受けたくない」と話したり書き残したりしていたとしても、法的担保がないためにいざその時には家族の意思が尊重されてしまうことが多い。しかも医師が本人の意思を尊重して延命治療をしなければ、家族から「人殺し」とののしられたり、訴えられたりすることもあります。そんな事態を防ぐためにも、先ずはLWの法制化を急がなければならないと長尾医師はいう。

 これから日本は超高齢化を加速させ、2040年頃には人口の多い団塊世代(正に私の世代)が寿命を迎えることから世界でも類をみない”多死社会”を迎えると推測されます。その前にLWを法制化しなければ医療現場が大混乱しますから待ったなしの状態なのです。

 国もこの状況を打開しようと、近年では「アドバンス・ケア・プランニング」(ACP)といって、患者を中心に家族や医療関係者、ケアマネジャーなどの関係者で行う話し合いを推進しています。ACPは医療の現場では浸透しつつありますが一般の人達にはわかりにくいので「人生会議」という愛称で呼ばれています。この「人生会議」で、元気なうちから何度でも繰り返しLWを記していくわけです。1枚の書類を書いて終わりではなく、決めていく過程がとても重要なのです。繰り返し話し合っていく中でだんだんと、患者さん、家族の意思が固まっていきます。長尾先生が副理事長を務める日本尊厳死協会では、LWの大切さを啓蒙し続けた結果、国民の3%程がLWを書いてくれるようになったとのこと。協会では日記形式で記入できる『リビングウィルノート』を発行しているので、ぜひ活用して頂きたいと思いますとあった。

           

 最近小・中学生時代の友達の訃報がちらほら聞こえてくる。この記事を読んでそろそろ自分の死に方につて考えなくてはと思った。もともと管に繋がれる死は受け入れがたいと思っていたのでこれからLWを考え平穏死が迎えられるようにしていこうと思う。本当に考えさせられる内容であった。なお日本尊厳死協会のホームペーに寄れば、尾道で平穏死を受け入れ看取りをしてくれる診療所は3医院であった。