広島県尾道市の歯医者さいだ歯科医院の齊田健一です。

 朝5:30起床、バイキングスタイルの朝食後8:00にホテルを出発。バスにてトロイに向かうおよそ330km/約5時間30分の行程である。トルコのヨーロッパ側、マルマラ海に沿って移動する。途中のトイレ休憩はガソリンスタンドとコンビニが一緒になったところである。イスタンブールを離れると農地が続く。そして所々にトルコ国旗があるが、今日は何故か国旗が半旗で掲げてあった。だれか偉い人がお亡くなりになったのかと思った。

     

 アジアとヨーロッパを分けるダーダネルス海峡にかかる全長3563mの世界最長の吊橋「チャナッカレ大橋」を渡りアジア大陸に入る。ダーダネルス海峡は多くの船が行き来していた。

   

添乗員Gさんの話によればこの海峡では第一次世界大戦のとき英仏連合国軍がトルコに攻め込もうとしたが阻まれ11ヶ月(1915年2月19日~1916年1月9日)の戦闘の後トルコ軍が勝ったことなどをトルコ人の彼女は少し誇らしそうに話してくれた。

その後昼食はトロイに行く途中のホテルのレストランで取り、昼食後バスにて移動しトロイ遺跡のあるヒサルルクの丘に到着。

 入り口を入ったすぐの所(地図の①)に遺跡のシンボルであるトロイの木馬のレプリカが置かれているのだが現在修復中でその姿を見ることはできない。もっともこの木馬が修復中という情報は今年のはじめに知った。というのも2019年にハワイ旅行に行ったときの添乗員Sさんと家内が時折LINE(ライン)で連絡をしあっていて、彼女が2月にトルコツアーの添乗員でトルコに行ったら木馬がなかったと写真を送ってくれていた。

高校時代から一度は行ってみたいと思っていたトロイに来たと思うと感無量である。但し行きたいと思っていただけで実はトロイのことは何も知らなかった。

   

 見学ルートにしたがって取り付けられている木製の板の上を歩きながら遺跡を見学していく。添乗員のGさんがこのトロイがある「ヒサルルクの丘」について説明をしてくれた。

トロイ遺跡は青銅器時代の紀元前3000年頃からローマ時代の西暦500年くらいまでの間戦争、火災、地震などで何度も倒壊しその都度瓦礫の上に新しい街が築かれていった。近年の発掘では9層に及ぶ古代都市の痕跡が明らかになった。元の地表から見れば15m以上たかさになっている。私はそんなことは全く知らず、トロイ戦争の後廃墟となって放置されたままになっていたのだと思っていた。そんなに同じ場所に何度も都市が再建されていたとは思いもせず驚いた。

 ギリシャ神話ではこの地に存在した都市はイリオスやトロイアの名前で呼ばれていたこと、現在ではトロイの名称で広く知られている。紀元前6世紀のホメロスが「叙事詩」として「イーリアス」と「オデュッセイア」や書いたと言われているがこの「イーリアス」に出て来るトロイは神話上の伝説都市と思われていた。子供の頃「イーリアス」を読んでこれは神話なんかでないと思い続けたのがドイツ人のシュリーマンである。

 1870年に彼は私財を投じてこのヒサルルクの丘を発掘し、都市遺構や数々の財宝を見つけ出す事に成功したことからトロイが実在したと証明された。但しシュリーマンは9層有る都市遺構の下から第2層がトロイと思い込んだがその後の発掘調査で現在では第6層(BC1300~1180年頃)がトロイ戦争の舞台となったと見られている。

      

まず歩き始めてすぐに東の塔と城壁(第6市、BC1900~1300年)の遺構(地図の②)が見えてくる。見事な石積みの城壁が続く。2つの城壁に挟まれた狭い通路の途中に門をもうけ、外敵の侵入を防いだ。トロイ最盛期の遺構の一つ。 石を積み上げた城壁に備えられていた東の塔。

   

 次にアクロポリス内部に、城壁と平行して残る建物の遺構はメガロンと呼ばれている。1998~99年に発掘された時点では、石の土台に建つレンガの壁が1.5メートル以上の高さで残されていた。2003年夏ここに保護用のルーフが取り付けられたので、今やオリジナルのレンガ遺構を壊す心配なく、メガロンハウスと城塞の壁が見学できる。

 ところでトロイの遺跡には建物は残っていない。そのため多くの場所で石の土台とか石垣とかレンガの壁しかなく、どれも同じように見えてさっぱり解らない。

 次にシュリーマンが初めて遺跡を発見した場所(第1市、紀元前3000~2600年)を見る(地図の③)。発見当時、掘り進めた結果最下層の都市の遺跡が発見された。しかし掘り進めた結果、上にあった何層もの遺跡が破壊されてしまったとも言われる。 

   

 案内板に9層の断面図の模式図あった。その横には同じように発掘した地層が残されていたが手前が第2層その上が第3層と案内板があった。添乗員のGさんはシュリーマンが発掘した物はことごとくドイツに持っていかれトルコには何も無いと少し悔しそうに話していた。

      

 さらに進むと城塞の南東と南西にも立派な門が有ったとのこと。特に南西の門に続く急傾斜の石畳の道が設けられていた。その一部は修復されている。おそらくギリシャ軍が残した木馬はこの坂道を引っ張り上げられ城塞に入ったと考えられている。

       

 さらに進むと聖域(第8市、紀元前900~350年)と呼ばれている神々に供物を捧げた場所に来る(地図の④)。ここは生け贄の儀式に使われた場所で井戸と祭壇が並び、アレキサンダー大王もここで供物を捧げたとされる。第8~9市時代のもので、当時はトロイ初のギリシャ都市であった。  

     

 次にオデオン(第9市、紀元前350~400年)と呼ばれる音楽や演劇、会議が行われていた小劇場の跡にくる(地図の⑤)。トロイ遺跡の中で最も保存状態がよく、ローマ時代に建てられたもので、当時は木製の屋根が付いており音響もよかったという。 かってはオデオンの他に大劇場もあったという。

      

 さらに歩くと入り口近くのトロイの木馬の場所に戻ってきた(①)。ここで30分ほどのトイレ休憩と自由行動となった。トロイの象徴である木馬は紀元前1,200年、トロイ戦争の最中、退却していくアガメムノン率いるギリシャ軍が残した木馬にまさか兵が潜んでいるとも知らず夜襲を受けて陥落した。この木馬は1975年に復元され当時の大きさを再現していると言われていたが、木馬が揺れるようになったため修復を開始したらしい。

じっくりトロイの木馬を見たが足の大腿骨あたりに金属の補強板が取り付けてあった。

完成までにはもう少し時間が掛かるらしい。

その後バスにて宿泊先のホテル「アドリナ サーマル ヘルス&スパ」に向かう(150km/約2.5時間)。途中の道路の中央分離帯には夾竹桃の花が咲いていた。

   

 

   

 このホテルにはプールがありその前にはエーゲ海が広がり遠浅の砂浜が続いていた。この砂場に立つとエーゲ海から吹くマリンブルーの風が感じられる。おそらく夏には観光客でさぞかし賑わうのであろう。

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