広島県尾道市の歯医者さいだ歯科医院の齊田健一です。

 朝5:00起床、バイキングスタイルの朝食後7:00にホテルを出発。バスにてエーゲ海最大の遺跡が残るエフェソスへ向かう。およそ250km/約4時間の行程である。ホテルの入り口には宿泊しているお客様の国の国旗が掲揚されているが中央にあるトルコ国旗は昨日我々が到着したときは半旗であったが今日は普通どおりに掲揚されていた。添乗員のGさんによれば19日にイランの大統領がヘリコプター事故で亡くなられた事によるトルコ政府の弔慰であったとのこと。

    

 1時間ほど走ったところで1回目のトイレ休憩があった。そこのコンビニで何と日本の巻き寿司がパックされて売られている事に驚いた。

休憩後バスにて先に進むと、革製品製造会社兼お店で2回目のトイレ休憩をした。そこで革製品のファッションショウを見る。モデルの他に我々観光客の中から何人かが呼ばれて、にわかモデルになりショウを盛り上げていた。その後お店で革製品のコートやブレザーなどのショッピング案内があった。家内にどうかと勧めてみたがノーサンキュウとのこと。何人かは購入されたようだ。

    

 その後バスにてローカルレストランに移動。今日の昼食はトルコから世界中に広がった名物料理・シシケバブ(エーゲ海地方セルチュク村のシシケバブはチョップシシと呼ばれている)であった。竹串に刺した一口サイズのお肉の串焼きは、まるで日本の焼き鳥のような感じであった。

    

 食後バスにて移動やっとエフェソスに到着。 エフェソスは東西交易の集積港として栄えた。紀元前2世紀から紀元後2世紀頃の建造物が並び保存状態も良い。南側の出入り口から北側の出入り口に向かうルートで見学を行う。

    

 入ると広場がありまず右手にアーチが今も残る2世紀に建てられたヴァリウスの浴場がある。左手にすすむと小規模な音楽堂似たオデオンがあり、1500人を収容し劇やコンサートが上演されたほか、議会所としても使われたという。

    

 オデオンの横にはエフェスの市庁舎「プリタネイオン」があり、紀元前3世紀の建築からビザンチン時代まで増改築が行われた。竈の神で、国家体制の鎮護神として崇拝された、ウェスタ女神の聖火を灯し続けていた。

    

市庁舎から下るとメインストリートのクレテス通りに繋がる道にでてくる。さらに進むとクレステ通りの入り口を守る半神半人の英雄ヘラクレスが彫り込まれた門が有りここからクレステ通りが始まる。この門のすぐ上のドミティアヌス広場にある、勝利の女神ニケの飛んでいる姿が彫られた三角形のレリーフは、このヘラクレス門の上部を飾っていたもので、4世紀前半に造られたとみられています。ちなみに勝利の女神ニケはあのナイキのロゴの由来となっている女神でもあります。

       

 途中建物跡の前に置かれていた石の彫刻を見る。多分そこにあった家の看板か何かではないのだろうか。さらに石造りのアーチ型のくぼみ遺構は商店で有ったとのこと。

さらに進むと紀元1世紀にトラヤヌス帝に捧げるために建設された泉「トラヤヌスの泉」があり、かってその正面には皇帝像が置かれ、その足下から水が流れ出ていたといわれる。現在も足の一部が残っている。

    

 さらに進むとハドリアヌス神殿がある。138年頃、エフェス市民クインティリウスが皇帝ハドリアヌスに献上した神殿。2世紀前半のコリント式神殿で小規模ではあっても壁の装飾と浮き彫りは唯一無二の美しさといって良い。正面の2重のアーチには、手前に女神ティケ、奥にはメドゥーサのレリーフが見られる。

    

 神殿の横の細い道を入ったところにある公衆トイレは、古代、人々が隣同士、隔てもない開放的な空間で並んで用を足っした事実を物語って興味深い。しかも水洗便所であった。

    

 そこから元のクレスタ通りに出てくると目の前にセルシュウス図書館が見えた。2世紀の初頭、エフェスを首府とするアジア州の総督だったセルススの功績を記念して、息子が建てた図書館。発掘中にほぼ全ての部分が見つかった事から、過去の壮大な姿そのままに、今私たちの前に立ちはだかっている。コンポジット式の柱が美しい建物正面には、知恵や美徳を象徴する4体の女性像(複製・オリジナルはウイーンの博物館に有る)が並ぶ。2万冊の蔵書を誇ったという。

 ここから右は大理石通りが始まる。先ほどの図書館の横は娼婦宿で2階建ての建物で内部のサロンには愛と美の女神像があったとのこと。

    

この大理石通りを大劇場に向かう途中。大理石の上に娼館への案内図として足は方向、十字は十字路女性は娼館、ハートは愛を表していると言われる謎の案内図が大理石に刻まれている。客を娼館に案内するためのものだったと言われているが詳しい事実はわかっていない。

 

    

 さらに進むと商業アゴラとも呼ばれる下のアゴラがあり奴隷売買をはじめとするあらゆる商取引が行われていた。大理石通りの終点は大劇場である。24000人を収容したトルコでも最大級の円形劇場で紀元前3世紀に建築され歴代の皇帝により増改築が行われた。客席はパナユル山の斜面に寄りかかるように設けられて、音響効果も抜群だったという。その後、劇場体育館の横を通り北口出口に出る。

    

 バスに乗り次の観光地パッカレムへ向かう。およそ180km/約3時間の行程である。

目的地近くになると畑の向こうの小高い丘の途中に白い帯状のものが見えてきた。

    

「るるぶトルコ」の説明によれば『パムッカレはトルコ語で「綿の城」を意味するが小高い丘の斜面を覆い尽くす純白の石灰層が最大の見どころ。その正体は斜面を流れ落ちる温泉の石灰成分が沈殿、凝結することにより形成された石灰華段丘。その規模は幅3km、高さ100m、厚さ300mにも及び、水をたたえる無数のプールが幻想的な景観をつくり出している。朝は真白く、夕日を浴びると赤みを帯びるなど、時間とともに刻々と表情を変える神秘的な風景を様々な角度から観賞したい、』とあった。上の石灰棚の写真はトルコ航空の広告からスクリーン・ショットした画像でこんなにも美しいのかと期待していた。

    

 入場口に到着後、入場して少し歩くと古代都市ヒエラポリスの南のビザンチン門があり、ここは古代のヒエラポリスの遺跡があった。その遺跡の中を歩いて行くとパッカレムの棚田が見えてきた。

    

 しかし棚田に水はなく真っ白の光景に驚く。ただしわずかに足湯が許されているところだけ少し水があり観光客が足湯を楽しんでいた。靴を脱いで足湯につかった。

    

足湯の温度はそれ程高くなくぬるま湯程度であった。

 その後ホテルに向かう。今日のホテルも温泉と温泉プールがあり、日本から持ってきた水着を着て10分ほど温泉プールにつかった。泳いでみたが何年も泳いでいなかったせいか10mも泳げないビックリ。

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