広島県尾道市の歯医者さいだ歯科医院の齊田健一です。

 バスにて旧市街地にあるオスマン帝国皇帝の住居「トプカプ宮殿」に向かう。トプは大砲、カプは門を意味する。1472年コンスタンティノープルを制圧したメフメット2世によってイスタンブール市内で最も見晴らしのよい丘に建てられた。15~19世紀にかけて、オスマン帝国の中心として国政が行われ、オスマン帝国歴代の君主スルタンとその家族たちがここで暮らした。

       

 入り口でイヤホンガイドを渡されたが説明は添乗員のGさんがする。音声はよく聞こえた。帝王の門から入ると第一庭園がありそこをさらに進むと表敬の門をくぐり第2庭園がある。左手に正義の塔がありそこでは国政を取り仕切る会議が行われていた。また右手には厨房跡の建物が見えてくる。この厨房ではかって数百人もの料理人が4000~5000人分の食事を作っていたと添乗員のGさんが説明してくれた。

    

 さらに進むと第3庭園に出てくる。右手に宝物館があり右手にハレムが有る。ここで1時間の自由時間、集合はこの場所でと言われる。

    

トプカプ宮殿の見所はハレムとスルタンの財宝を展示する宝物館が必見らしいが多数の観光客が並んでいて、観ていたらとても1時間の自由時間では無理と判断しさらに前方へ進むと第4庭園に出た。この一番先端からはボスボラス海峡、金角湾、マルマラ海が一望に見え多くの船が航行していた。

 家内はとても疲れたといい、集合場所に戻っていく。私はそこからメジディエ・キョシュキュの内部を観る。

     

 それから第4庭園を左手に歩いて行くと宮殿の一番奥には、イズニック・タイルなの外壁が美しく、あずま屋の中では最も優雅で美しいと言われる「バーダーット・キョシュキュ」があった。さらにその横には海を望む黄金屋根のあずま屋があり金角湾が見渡せた。イスラム教のラマダンの時夕食を取った場所とのこと。

    

 さらに集合場所に向かおうと思い歩いて行くと大きな赤いレンガの建物があり警察官がいた。聞くとここはハレムの出口なので入り口に回れと言われる。ハレムの隣りに武器の展示室があり見学。そして無事家内が待っていた場所にたどり着く。

    

 そこではトルコ人の男の人が箒で庭園のゴミや落ち葉を掃いて清掃していた。その箒を見るとどう見ても日本の座敷箒にしか見えなかったので、「それは日本の箒ですか」と訪ねてたところ何とその人は日本のアニメ、「魔女の宅急便」の主人公「キキ」の如くその箒をまたいでにっこり笑顔を見せてくれた。あまりにも突然のことでびっくりするとともにこちらも笑顔で手を振った。まず日本の箒がトルコで活躍していることに驚き、多分機能性がよいのだろうと思った。そして日本のアニメがトルコにまで浸透していることに本当に驚いた。残念ながらそのパフォーマンスの写真はない。

 全員集合し、「スルタンアフメッド・ジャミィ(通称ブルー・モスク)」に向かう。

途中「アヤソフィア」の横を通る。歩きながら添乗員のGさんが説明をしてくれた。アヤソフィアの建物はビザンチン帝国時代の360年に建設され15世紀までキリスト教の教会として信仰を集めたが、その後オスマン帝国時代にイスラム教のモスクに改修された。20世紀にトルコが共和制に移行するとアヤソフィアは無宗教の博物館に転身したが2020年大統領の方針で再びモスクと姿を変えたとのこと。

     

 「ブルー・モスク」についても説明があった。「通常モスクには主の権威を示すために複数のミナレット(尖塔)が造られるが、このモスクには6本のミナレットがある。本来皇帝は4基、皇族は2基など決まりがあったが、アファメド1世が「黄金(アルトゥン)の」と命じたのを設計士が「6本(アルトゥ)」と聞き間違えたという逸話も残っている」とのこと。なお女性はモスクに入るときはスカーフをしなくてはならず家内は日本で購入して持ち歩いた。

    

 大きなモスクで中央ドームを4つの副ドームが囲み、さらにその周りを2~3つの小ドームが囲んでいる。それぞれのドームを支えるアーチには、赤や青を基調とした植物模様のフレスコ画が施されている。金文字で刻まれているのはコーランの1節。また中央のドームを支える柱は直径5m。巨大なドームの重さを支えるために丈夫に作られている。見た目が象の足に例えられている。周りのステンドグラスも260枚ありそこから注ぐ光と美しい照明の光で幻想的な雰囲気を醸し出していた。

ブルー・モスクを出るとすぐ横にローマ時代の競馬場跡があった。そこにはエジプトのナイル河畔の「カルナック神殿」からテオドシウス帝が移したオベリスクがあった。

    

 さらに歩いて地下宮殿に向かう。途中色々の銀行のATMが並んでいた。トラムが割合頻繁に運行していた。

         

 地下宮殿は東ローマ時代に造られた巨大な地下貯水池で幻想的な空間が広がっていた。ここには各地の神殿から運ばれた柱で支えられており各列28本の円柱が12列で合計336本の柱が並んでいた。広さは縦140m、横70mでギリシャ神殿から運ばれてきたという神秘的な模様の柱は模様が涙のようであることから「涙の柱」と呼ばれている。また地下宮殿の最も奥にある2つの柱は土台部分に恐ろしい形相の顔が彫られている。良く見ると髪がうごめくヘビを表していることから、ギリシャ神話の怪女「メデューサ」を形取ったものと言われている。ヘレニズム時代の遺跡を石材と転用した為、そこにあった石像が柱の土台として使われた等と言われている。ただなぜ横向きや反対向きに置かれているかは謎とのこと。

    

 

    

 その後バスにてグランドバザールに行く。添乗員のGさんの説明ではバザールの中は中央の道から枝わかれて幾本もの道が続くこと、また4000店舗くらいあるので横道に入るときは良く道順を確認して歩いてくださいとの注意があった。入り口の手前にあるお店屋さんでトイレ休憩をしてバザールの門から中に入る40分程の自由時間となる集合場所は先程のお店の前という、入ってお店をのぞき見してどの様なものがあるか見て歩いた。

     

 ただし今買ったらこれから先ずっとそれをもって旅行しなくてはならないので、土産は最後のカッパドキアで購入するのが良いのかなと思った。門から300メートルくらい来たところで家内が「疲れてもう歩けない」というので集合場所にもどることにした。本当に歩くのがしんどそうなので家内の手を引きながらあるく。手をつないで歩くなんてそれこそ何十年振りかである。尾道では恥ずかしくて出来ないな。

 そこからバスにてオリエント急行の終着駅にあるオリエントエクスプレスレストランで夕食となる。

    

オリエント急行は1883年10月4日にフランス・パリからトルコ・コンスタンチノープル(イスタンブール)まで走った。2009年に運行が修了した。

 アガサ・クリスティの小説「オリエント急行殺人事件」に登場するクラシカルな建物は1890年当時のままでステンドグラスがきれいな雰囲気のあるレストランで有った。

    

 

    

 壁には当時の写真やら、訪れた有名人の写真などが飾ってあった。

 20時過ぎにヒルトンホテルに帰ってきた。22時過ぎに就寝。19時間以上行動したので本当に長い1日であった。

続きはPART 4