広島県尾道の歯医者さいだ歯科医院の齊田健一です。

 先日、畑の草取りをしているとき、あまりにも突然に鼻歌が出てきた。

「もしもし ベンチでささやく お二人さん 早くお帰り 夜が更ける 野暮な説教 するんじゃないが 此処らは近頃物騒だ 話のつづきは明日にしたら そろそろ広場の灯もきえる・・・」。

何という歌だったのか分からないがあまりにも突然出てきた歌なのでビックリ。帰ってインターネットで調べたら昭和31年4月に発売された「若いお巡りさん」で歌手:曽根史郎 作詞:井田誠一 作曲:利根一郎と有った。

   

昭和31年は私が小学校4年生のときである。当時はTVも無くもっぱらラジオの時代であったし、我が家では父も母も歌には全く興味が無かったようで、あまり歌番組を聞いた記憶が無い。それでも六十数年振りに突然我が口から飛び出してきたからにはおそらく同級生が歌っているのを聴きながら覚えて歌ったりしていたのであろう。2番の歌詞の「送って上げよう 任せておきな 今なら間に合う 終列車」という所も覚えていた。改めて懐かしく思った。

歌を口ずさみながらふと思ったことがある。作詞家の井田誠一氏が今この時代に作詞をしたらどのような歌詞になったのだろうか?

今なら「話の続きは家に帰って携帯か、メールかLineでしたら」とアドバイスをするのであろうか?

   

 なお曽根史郎という歌手について調べてみたら「赤胴鈴之助」を歌っていることが判明。今の若い人たちは赤胴鈴之助と言ってもピンとこないであろうが、私たちの年代、特に男性の場合懐かしく思う人が多くいるのでは無いだろうか。子供用の月刊雑誌「少年画報」に掲載されていた漫画である。我が家では漫画を買ってもらう余裕はなく、毎月買って貰らっていた仲の良いクラスメイトが読み終えたらいつも雑誌を借りてよく読んだ。今でもその漫画の一コマを覚えている。それは老婆が鈴之助に呪文をかけるのだが、その呪文が「れむね れむね えましてね」である。それを読んだときにこの呪文は「ねむれ ねむれ ねてしまえ」を逆さまに言った台詞と気がついて悦に入ったことを思い出した。

   

 またラジオドラマとしても放送され(昭和33年2月~昭和34年7月)その時の主題歌が「剣をとっては日本一に 夢は大きな少年剣士 親はいないが元気な笑顔 弱い人には味方する がんばれ たのむぞ 僕等の仲間 赤銅鈴之助・・・」。この主題歌は本当によく歌った記憶がある。しかし誰が歌っているのか歌手の名前も当時知らなかったしこの度初めて知った。しかし、ネットで見るといろいろな人が歌っているので私が聞いた曲が曽根史郎氏のものだったかどうかは解らない。さらに一度だけアニメ映画の赤胴鈴之助を映画館で観たことがある。

この他、ラジオで放送されたドラマ番組に「笛吹童子」があった。少し時代が下がってTVが出てくると「月光仮面」や「怪傑ハリマオ」などが放映され、主題歌が流されそれを聞きながら歌った記憶が甦る。

   

今でも月光仮面の歌 「どこの誰かは知らないけれど 誰もがみんな知っている 月光仮面のおじさんは 正義の味方よ よい人よ 疾風のように現れて 疾風のように去って行く 月光仮面は誰でしょう 月光仮面は誰でしょう・・・・」がすらすらと出てくる。

急に出てきた鼻歌のおかげで子供の頃の記憶がよみがえって色々と懐かしむことが出来た。

写真はいずれもインターネットから利用させてもらった。