広島県尾道市の歯医者さいだ歯科医院の齊田健一です。

 いつも思っていたことだが、政治家や会社の経営者などが何か不祥事があると謝罪・説明の時に決まって「遺憾です」というのをよく聞いていた。聞くたびその言葉になにか違和感を持っていたが、毎月購読している「致知」3月号の風の便りという記事に占部賢志(中村学園大学客員教授)氏の「目立つ面妖な言葉と話法」いう記事をよんで合点がいった。

      

転載させて貰うと

[ 口を開けば「遺憾」?

近年、政治家や各界のトップが記者会見などで、「遺憾」の語を多用するケースが目立ちます。しかし耳にするたびに、何に対してどんな思いを伝えようとしているのかがはっきりしないことが多い。

 たとえば自党や自社に不祥事があったときに、「この様な事態を招いて遺憾の意を表する」と陳謝するかと思えば、北朝鮮のミサイル発射や中国公船の領海侵犯に対しても「まことに遺憾だ」などと口にする。

このように、あるときはお詫び、またあるときは抗議にも用いる。何と都合の言い使い方でしょう。

 そもそも、遺憾は「残念」とか「心残り」という意味であって、お詫びの意味はない。ですから、会見でいくら遺憾の意を表明したところで、謝罪したことにはならないのです。 

語源を訪ねてみれば・・・

 では語源をみてみましょう。使われ始めたのは室町から江戸にかけての頃。織田信長の伝記『信長公記』を加筆修正した『信長記』(江戸時代初期)の中に用例が出てきます。その端書きに、前書には功績のあった人物が洩れていたので、「遺憾」に思って加筆した旨の記述が見える。「残念に思って」の意であることはあきらかです。

 ところが今日では、本来の意味や用法とは異なる物言いに重宝される。辞書編集者の神永暁氏によれば、敗戦後の国会の会議録に抗議の意味での使用例が散見されるそうです。そうだとすれば、この都合よく使える表現は政治家や答弁作成担当の官僚あたりがこしらえたものと断じていい。発言を曖昧にしておくにはうってつけ。なるほど彼らが頻用するはずです。]  引用ここまで。

 やっと胸のつかえが下りた感じがした。しかし北朝鮮のミサイル発射や中国公船の領海侵入対しては全くもって抗議になっていない。断固反対する強い表現をしないと彼らにとって日本政府が「遺憾」だといってもその意味が「残念である」ならば痛くもなければ痒くもない。だから毎日のように中国の公船が侵入してくる。外務省を始め政治家は日本の国や国民を本気で守ろうとしているのか疑いたくなる。

 外務省や政治家に強い反省を望むと思っていた矢先、2月21日に韓国がいわゆる元徴用工訴訟を巡り日立造船が韓国裁判所に預けた供託金が原告側に支給された件で厳重抗議したと林官房長官がTVのニュースで述べていたがその時も「極めて遺憾である」と発言した。

    

 翌日の産経新聞には「日韓請権協定に反する判決に基づき、日本企業に不当な利益を負わせるもので極めて遺憾だと外務省の岡野正敬事務次官が韓国の駐日大使を外務省に呼んで伝えた」と記事が載っていた。全く駄目であるなぜ本気度を示す言葉を使わないのか? 弱腰の日本外交であるから竹島も帰ってこないし、慰安婦問題も解決しないのである。反省しろと言いたくなる。