今日で四十九日。
我が子に、
“よく頑張ったね。さすが◯◯くん!
偉い!偉い!”
たくさん、たくさん褒めた。
頭をなでなでして、ギュッと抱きしめたい‥
亡くなった日を思い出してしまう。
不慮の事故で亡くなった。
あの時の光景がフラッシュバックしては、強い後悔と守れなかった自分に腹が立つ。
病院で心臓マッサージを止めてしまってごめんね。と謝り続ける。
あの子がお腹にいると分かってから今まで、絶対に私がこの子を守る!と決めたのに‥母親失格だと。
これからもこの気持ちは払拭できないし、してもいいとは思っていない。
とにかく病院では、実感できずただぼーっとしていた。
自宅で亡くなった為、病院から警察署へ運ばれた。
次の日は警察署へ会いに行った。
とても冷たい我が子の手を握って、ひたすら手を温めようと擦り続け、髪を撫で抱き締めながら寒くて暗くて寂しかったよね。って語り続けた。
司法解剖は拒否したけど、事件性がゼロでは無いのでやはり司法解剖しなければ火葬できないとのお話しだった。
頭を坊主しないといけないとの事だったので、布団に抜けている髪の毛を2本を持ち帰りさせてもらった。
次の日は司法解剖が終わり次第、警察署から自宅に帰らせてもらった。
坊主になると聞いていたが、お医者さんの配慮でそのままの髪の毛の状態で残して綺麗に縫っていただいたようであの子のままで戻ってきてくれた。
家に帰ってきたあの子は嬉しそうにそして、ホッとした様子でスヤスヤ寝てるようだった。
亡くなってから寝れない日が続いていたけど、いつもどおり家族4人で家に居る事に安心してか、凄く良く眠れたのを覚えている。
次の日は式場までの道のりで寄りたい所に寄ってくれるとの事だったので、小学校と幼稚園に寄ってもらうことに。
小学校の前を通ったら運動場で遊んでいる子ども達がいて、ついこの間までこうして遊んでたのに‥悔しくて辛くて車の中で泣いた。
幼稚園では先生達が待っていてくれた。
髪を撫で、ほっぺたを触りながら◯◯くん、◯◯くんと泣いてくれた。
折り紙で作った立体的なクワガタをお世話になった先生がポケットに入れてくれたね。
式場に着くと、県外に居る姉が来てくれていた。
私を見るなりすぐに抱き締めてくれて、
“何にもあんたは悪くない!全然、悪くないんだからね!”
そう言ってもらえてホッとしたのと、やっぱり家族っていいな。と改めて気づいた。
好きな黄色のお花で大好きな車をイメージして祭壇の花が飾られていた。
“見て!見て!カッコいいでしょ!”
絶対、ニコニコして言ってるのが想像できるね!って皆んなで話した。
お通夜はもぅぐったり。
式場で家族4人でお泊りが出来た。
旅行に来たみたいだねってお布団並べて寝た。
次の日は告別式。
長男が手紙を読みたいと言っていたので、読んでもらった。
“将来、◯◯くんが好きだった車をにぃにが買って運転するから◯◯くんは助手席に乗って色んな所に一緒に行こうね。
にぃにの弟として生まれてきてくれてありがとう。大好きだよ”
棺にはいつも使っていたリュックにお弁当、お菓子を入れて持たせた。
お弁当の中身は好物だった私が作った唐揚げを沢山入れて大好きなリンゴも沢山入れてあげた。
家族4人の写真、車の本、ぬいぐるみも‥
担当の方が次月に誕生日なので、オーダーメイドの車のケーキを用意していただいたみたいで、それも入れてあげた。
火葬場では最後に顔を見せてもらって、ひたすら大好きだよ。またね。って言い続けた。
旦那、私、長男の3人で
“◯◯くん、ありがとう。大好きだよ。”
一緒に点火ボタンを押した。
ゴォーっという音が聞こえた瞬間、長男を抱き締めて私は泣き崩れた。
収骨は皆んなにしていただいた。
係の方が、こんなに綺麗に仏の姿が残っている喉仏は初めてです。とビックリした様子で言われた。
◯◯くんは仏様だったのかも。
宿命だったのかもしれない‥
四十九日。
私は毎日、朝起きてから寝るまで祭壇の前にずっと横になっている。
あの子の側で、ずっと一緒に居たかった。
明日は納骨。
泣いてしまうんだろな‥
分骨してるから家にはまだ居てくれるけど、やっぱり寂しい。
でも、私も必ず死ぬんだから一緒に墓に入る事になる。
姿は見えないけど、きっと側にいてくれるし見守ってくれる。
私があの世に行ったら、
“お母さん!こっち!こっち〜!”
ピョンピョン跳ねながら笑顔で私に手を振って待っててくれるのが想像できる。
絶対逢って抱きしめられる。
そう信じて、生きていくしかない。