2024年は、再生の年です。
不正にまみれた政治を刷新し、コロナ禍で疲弊した医療・介護現場を立て直し、社会保障削減や負担増を撤回させ、防衛費倍増ではなく国民生活を豊かにするために税金を使わせ、憲法改悪を阻止し、安心して働き続けられる職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。そして、戦争・紛争が一日も早く終結し、避難している人々の生活が立て直されることを願います。
そして、能登半島大地震、相次ぐ風水害で被災された方々にお見舞い申し上げるとともに、一日も早く生活が立て直されるよう祈ります。
12月22日、「米兵による少女暴行事件に対する抗議と再発防止を求める沖縄県民大会」にオンライン参加しました。
以下、その概要をまとめます。
開会前、基地・軍隊を許さない行動する女たちの会が作成した、沖縄での米軍がかかわった事件に関する年表のスライドが上映されていました。
県民大会の司会はフェミブリッジ沖縄の高岡さんでした。
主催者あいさつは、実行委員会共同代表の伊良波純子さんが行ないました。
伊良波さんは、1995年の県民大会から30年、変わらない状況に声を上げたと述べました。たくさんの方の協力で今日を迎え、多くの参加に心強いと述べました。復帰から50年経っても非道な事件が多く起きており、性暴力は特にあってはならないと訴えました。2023年の事件が今年6月に発覚し、心を痛めつつ、隠されていたことに抗議したと述べました。7月、沖縄県議会が意見書を採択し、女性の尊厳を守る決意を表明したそうです。しかし、未だに米・日本政府からは謝罪はなく、女性の尊厳を愚弄するものだと述べました。両政府に責任があり、意見書は当たり前の要求をしていると指摘しました。勇気ある訴えに対し、刑が軽すぎると述べました。子どもたちの安心安全な日常を取り戻し、2度と事件を起こさせないことを求めると訴えました。
続いて、玉城デニー知事があいさつしました。玉城知事は、集まっていただいたことに感謝を表明し、県知事として、不安の中で基地を共存させられていることをもっと訴えていかなければならないと述べました。9月に訪米し、米議会で沖縄の事件を伝えて来たそうです。彼らは答えを見つけられなかったと述べました。これからも声を出していかなければならず、軍の規律を厳しく求めると述べました。11月、国連の特別報告者が沖縄を訪れ、PFASも基地が原因だということを確認したそうです。国際社会と同じ規範を求めていくと述べました。そして、「まきてぃーないびらんどー、まじゅん、ちばてぃーいちゅびらなやーさい(負けてはなりませんよ、ともに頑張ってまいりましょう)」と述べました。
続いて、共同代表の親川裕子さんによる国連女性差別撤廃条約日本審査の報告が行なわれました。
今年10月、国連欧州本部で女性差別撤廃委員会による日本政府報告書審査が行なわれたそうです。2016年以来8年ぶり、6回目の審査だそうです。画期的なこととして、女性差別撤廃委員会から初めて沖縄についての質問と勧告が出されたそうです。勧告は10月30日に公表され、沖縄における米軍駐留、ジェンダーに基づく暴力に懸念を示すものだったそうです。そして、女性、平和、安全保障、女性の有意義な参加、被害者への支援についてのものだったそうです。
女性差別撤廃委員会への事前の働きかけとして、県内団体のレポート提出、県外団体からの働きかけが行なわれたそうです。県外団体は、NGOネットワーク、新婦人、婦団連、全国キリスト教協議会女性委員会、ヒューマンライツナウなどだったそうです。NGOが参加した公開ミーティングでの発表では、親川さんが代表で沖縄問題について発言し、PFASと性暴力について述べたそうです。発言要約がホームページで公表され、日米地位協定が改定されるべきであること、過去11ヶ月に7件の性暴力事件が発生し、1954年以来では事件・事故が1万件起こっていることが掲載されたそうです。
女性差別撤廃委員会では、3人の委員が質問し、日本政府は財務省と警察庁が回答したそうです。サファロ委員は米軍による人権侵害について質問し、ペテル委員は米軍基地での性犯罪の国内での逮捕、起訴、有罪判決について質問しましたが、日本政府の対応は不十分だったそうです。
市民社会のレポートと現地での働きかけによって、委員の質問が行なわれ、勧告へ至ったと述べました。
勧告をどう生かすかについては、フォーラムへの女性の参加、徹底した再発防止、地位協定の改定、サバイバー中心主義の謝罪と補償があげられました。
女性差別撤廃委員会は、緊急に措置を講じなければならないとし、重大な女性差別であり、日本政府に早急な対応を求めたそうです。
次に、市民の発言が行なわれました。
沖縄大学の高良沙哉教授は、多くの人と悔しさ、怒りを共有でき、心強いと述べました。1995年の事件より29年ですが、高良さんはあの時高校生で、平和憲法の中でも沖縄の現実に強いショックを受けたそうです。軍事性暴力を起こさないことは重大な課題であるが、しかし、2023年にも事件が起こり、半年の間隠されてきたことが明らかになりました。その間、通常なら届いていたはずの支援が被害者に届かなかったと指摘しました。今回の隠蔽を強く非難すると述べました。被害者は法廷で5時間も証言し、身体的、精神的なケアが必要だと指摘し、被害者保護を強く求めると述べました。不同意性交が定められた刑法改定の意義へ理解を深めるべきであると述べました。被告人は保釈で基地内に戻っているそうです。身柄引き渡しの運用が改定されたのは過去の事例によるものであるのに、日本政府は身柄引き渡しを求めなかったと指摘しました。地位協定の明文改定を求めると述べました。被害者には、あなたは悪くない、私たちはあなたの味方だと伝えたいと述べました。
若者の発言では、大学生の中塚静樹さんがまず発言しました。中塚さんは、何度目でしょうか、沖縄に幾度となく押し寄せる悲しみの波は、いつになれば止めるのでしょうかと問いかけました。政府、警察が、事件を沖縄へ伝えなかったことは、被害女性の人権よりも日米関係を重視したということだと指摘しました。沖縄県民よりも日米同盟を重視する政府へ怒りを感じると述べました。そして、日米の安全保障が沖縄の犠牲のもとに成り立つものなら、そんなものは安全保障とは呼ばないと述べました。日本政府は沖縄の置かれた差別的状況に向き合うべきであり、事件の第二の加害者は日本政府だと指摘しました。
被害女性は人権を踏みにじられ、大きな傷を負わされたと述べました。この事件は米軍基地由来の事件ですが、基地賛成・反対の枠組みの中でだけで考える問題ではなく、目を向けるべきは被害者の人権が蹂躙されたということだと指摘しました。
自分は何もできないと思っていたが、誰もが被害者になりうるのであり、これ以上被害を生まないようにすべきだと述べました。女性だけの問題ではなく、女性・男性ではなく、人種も越えて考えるべきであり、一緒に声を上げていきましょう、あきらめずに発信していきましょうと呼びかけました。当たり前の権利を守る当たり前の行動であり、互いを認め合える社会をつくるために、若者が行動をすることが社会を変えると述べました。これからも声を上げ、平和の扉が開くまで行動し続けると述べました。
次に、大学生の崎浜空音さんが発言しました。2016年、20歳の女性が強姦され、命を奪われる事件が起きましたが、当時崎浜さんは中学2年生で、初めて県民集会へ参加したそうです。あの時の恐怖は決して忘れないと述べました。今年22歳になり、被害者の年齢を超えましたが、彼女の人生は奪われてしまったと述べました。崎浜さんは北谷町で生まれ、大学生になって東京へ出て、どれだけ沖縄で人権が侵害されていたかがわかったそうです。東京で、自分は安全な場所にいて、事件が起こる度に胸が張り裂けそうになると述べました。私たちが求めているのは平和に暮らしたいということであり、当たり前のことだと述べました。日本国憲法の人権は私たちには認められていないのかと訴えました。ウチナーの女性は二重に差別されている、米軍の植民地的支配と女性蔑視の問題だと指摘しました。
身近なところから性暴力をなくすために行動すべきだと思うが、自分が話すことで被害者を傷つけないかと葛藤したと述べました。しかし、声を上げることを決意したと述べました。声を上げることができる人たちが声を上げていこうと呼びかけました。なかったことにしないのも私たちだと述べました。
2016年、二度と繰り返さないと言っていた大人たちがいたと述べました。自分も大人になり、ここに立つことになったと述べました。次の子どもたちをここへ立たせてはならないと訴えました。この県民大会が最後の県民大会となるように、もう絶対に繰り返さないと述べました。
続いて、沖縄高校生平和ゼミナールからのメッセージが流されました。
事件が報道された時、意味がわからない子もいたそうです。意味を知り、驚きと強い恐怖を感じていたそうです。事件を隠蔽した日本政府に怒りを感じ、少女や保護者の気持ちを大切に思うとともに、同世代の私たちが声を上げると述べました。「子どもの権利条約」を日本が批准した翌年、1995年にも事件が起こりました。その時開かれた県民大会で高校生が発言し、「安全保障のためといって、もう女性や子どもを犠牲にするのはやめてください」、「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」、「私たち沖縄県民はあなたたちの奴隷でもおもちゃでもありません」と訴えたそうです。
日本政府へは、地位協定を今すぐ改定するように言いたいと述べました。沖縄は何度も民意を示してきたと述べました。日本国民みんなが当事者であり、誰かの犠牲で成り立つ平和は本当の平和ではないと述べました。
決して起きてはならないことがまた起きてしまったが、それに対する反応は薄く、あきらめがあると指摘しました。基地反対と言うと、誹謗中傷やデマを飛ばす人もいると述べました。日本政府は私たちがあきらめるのを待っている気さえすると述べました。しかし、基地を肯定することにより、多くの人が傷ついていると指摘しました。こんなアピールを子どもが出すのは今日で最後にしたいと述べました。この理不尽に対してはっきり言うべきであり、「沖縄を返せ、沖縄に返せ!」と訴えました。
次に、神谷めぐみ共同代表が大会決議を提案し、拍手で承認されました。
大会決議はメモが追い付かなかったのですが、被害者への謝罪と補償、被害者保護、徹底した再発防止などを求めるものでした。
続けて、参加者による「ケサラ」の合唱が行なわれました。
最後に、「私たちの誓い」として次の文章が提起されました。
「私たちは ここに集い 人間の命と尊厳 平和と自由を守るために さらに固く より深く もっと長く 共に手を取り合い 闘うことを決意した さあ明日に向かって 再び力強く歩んでいこう」
大会には2500人超が参加し、160超の賛同団体があったとのことでした。
以上で報告を終わります。