こんなこと誰も教えてくれなかった講座「忙しいあなたへのメッセージ-学び方の弁証法」 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

ロシア軍によるウクライナ侵攻に抗議し、1日も早く停戦し、ウクライナに平和が戻ることを願います。

また、ロシアによる核兵器使用の脅し、原発への攻撃は、世界を危険にさらす暴挙であり、決して許されるものではないことを訴えます。

 

2022年は、再起の年です。

総選挙での野党共闘の成果と不十分だった点をもう一度確認し、参議院選挙に向けて再出発し、深刻な医療従事者・介護従事者不足に具体的な対策を講じ、不合理な病床削減をストップさせ、憲法改悪を阻止し、差別やハラスメントのない職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。

 

 

12月18日、「こんなこと誰も教えてくれなかった講座」の第4回、「忙しいあなたへのメッセージ-学び方の弁証法」にオンライン参加しました。講師は岡山県労働者学習協の長久啓太先生でした。

以下、概要をまとめます。

 

今回の講座で伝えたいのは、学ぶっておもしろいということだそうです。

まず、つかみに行く「学び」というテーマで、ユネスコが1985年に発表した「ユネスコ学習権宣言」が紹介されました。

その宣言では、「学習権とは、読み書きの権利であり、問い続け、深く考える権利であり、想像し、創造する権利であり、自分自身の世界を読み取り、歴史をつづる権利であり、あらゆる教育の手だてを得る権利であり、個人的・集団的力量を発達させる権利である。(中略)学習権は、人間の生存にとって不可欠な手段でもある。もし、世界の人々が、食糧の生産やその他の基本的人間の欲求が満たされることを望むならば、世界の人々は学習権をもたなければならない。もし、女性も男性も、より健康な生活を営もうとするなら、彼らは学習権をもたなければならない。もし、わたしたちが戦争を避けようとするなら、平和に生きることを学び、お互いに理解し合うことを学ばねばならない。”学習”こそはキーワードである。(中略)学習権はたんなる経済発展の手段ではない。それは基本的権利の一つとしてとらえられなければならない。学習活動はあらゆる教育活動の中心に位置づけられ、人々を、なりゆきまかせの客体から、自らの歴史をつくる主体にかえていくものである」としているそうです。

これは、長久先生自身の「主体的な学びの獲得」と重なるそうです。誰かが変えてくれればいいなと思っているだけだったのが、労働学校で学び、社会が見えてくると、自分のことも見えてきて、自分も歴史をつくる一人だと考えるようになったそうです。

私たちは日々、体験や経験、仕事のなかでたくさん学んでいますが、それで終わる場合も多いのではないかと指摘しました。日常の範囲での「学び」を、深めたり、さらに調べたり、その意味をつかみなおしたり、別の角度から検討したり、原因や本質までさかのぼることも重要です。しかし、そうした学びをしてほしくないのが支配層なので、学校ではそうした学びはできないそうです。

理論、科学の学習については、私たちの言葉の獲得、生き方をつかむ学びだと述べました。例えば、労働者は日々の仕事で労働者としての体験をたくさん積み、仕事上の知識や技術も獲得していきますが、ここに理論学習を加えると認識の厚みが増し、生き方にも影響すると指摘しました。

 

主体的に学ぶためのヒントとして、学び方の弁証法が取り上げられました。

弁証法とは、変化の法則性をつかむ学びだそうです。ものごとはつながりのなかで存在し、連環しているのであり、つながりの中で存在しているのが本質だと述べました。学習を孤立したものとしてとらえるのではなく、周囲の様々なこととつながっているととらえるのだそうです。

学びには、学ぶ動機がつくられる「きっかけ」、「環境」、「土壌」が豊かなこと、実践的な関心、問題にぶつかる、強く興味を惹かれることがたくさんある、立場や役割も動機をつくる、学ばざるを得ない立場になることもつながっていると述べました。

あるいは、よく学ぶ人が周りにいる、学習会や研修会が多く準備されている、さまざまなことを議論できる集団、仲間がいると、エンパワーメントされると指摘しました。

学ぶ時間を独自に確保することが難しい場合は、生活リズムと関連づけるとよいと述べました。例えば、朝、コーヒーをいれることと新聞を読むことをセットにする、昼休みは30分ランチ、15分シエスタ、15分雑誌を読むなどだそうです。本や雑誌の持ち歩きも有効で、待ち時間、移動時間に読む習慣をつけることができるそうです。

変化の法則性と学びについては、量的変化と質的変化があると述べました。ものごとの発展は、1歩1歩の量的変化から始まり、それを積み重ねてある段階に達した時、量的変化が引き起こされるそうです。量的変化を起こしたいなら、目的意識的に量を準備するべきだと指摘しました。岡山労働学校では、10回のカリキュラムを組んでいるそうです。10回同じメンバーで学習すれば、関係もつくれるし学びも深まるとのことでした。

次に、弁証法的否定という概念が取り上げられました。これは、肯定を含んだ否定だそうです。新しい考え方を得た時、古い自分は否定されますが、全面否定ではなく、古い室のなかにあった積極的な内容、未来につながる要素を肯定し、新しいものに引き継ぐということだそうです。

また、現実のなかにある矛盾が発展の原動力だと指摘しました。例えば、労働者と使用者は互いに依存していますが、利害は対立しています。お互いがお互いの存在を前提にしていながらぶつかり合う関係です。自分の成長も、「こうなりたい自分」と「いまの自分」のぶつかり合いであり、だから「めあて」や「目標設定」が大事になると指摘しました。

 

学ぶ目的やビジョンを明確化するには、書きだすことが大事だと指摘しました。

なんにために学ぶのか、目的やビジョンを言語化し、具体的な「学習目標」を立てることが必要だと述べました。

そして、日々の「学習計画」、行動計画も書いて具体化し、書いた言葉を自分に向かわせるのだと指摘しました。

本とのつき合い方については、認識をぐっと深める、あるテーマに強くありには、読書は不可欠だと述べました。長久先生は、本には買った日付と読了した日付を書いておくそうです。

また、本は知らない世界や人と出会うことだと述べました。長久先生は、障害者自立支援の制度の歴史について書かれている『自立生活運動史』を読んだそうです。そこには、当事者のニーズを伝えることで、必要があれば実現していくことが書かれていたそうです。例えば、駅のエレベーターは、ニーズを伝えた当初は一部の人のために多額の費用を使うわけにはいかないと言われましたが、今では法律で義務化されているそうです。先輩たちの闘いが制度を実現してきたそうです。

加藤周一氏は『読書術』の中で、「読むことと旅することのあいだには、いかにも深い因縁があります。(中略)旅へ出かけること、本を開いて最初のページを読むことは、身のまわりの世界からの出発です。旅と読書はそもそもはじめから、気分のうえでよく重なっているのです」と書いているそうです。

齋藤孝氏は『読書力』の中で、「その著者との1対1で過ごした時間は、自分の人生にとって貴重なものとなっている。読書は、優れた他者との出会いの経験になる」と書いているそうです。

また、「活字が苦手」という人も、慣れていないだけで、体験、練習すれば克服できると述べました。まずはおもしろいと思えるものから読み始め、成功体験を積むとよいそうです。

本の選び方、使い方については、まず、読むジャンルを広げることで、思わぬ「つながり」を生むこともあると指摘しました。長久先生は看護学校の講師をした際、ナイチンゲールの『看護覚え書き』を読んだそうです。この本は、人生観・健康観だけでなく、仕事の分野にも大変活きたそうです。本屋で背表紙を見るだけでも出会いがあると述べました。

良書を発見するには、書評や人からの推薦、SNSの情報などによるそうです。

本はできるだけ買いたいと述べました。それは、借りた本には書き込みができないからだそうです。齋藤孝氏は『読書力』の中で、「線を引くというのは、自分を積極的に本の内容に関わらせていく明確な行動」と書いているそうです。

積読の効用については、井尻正二氏が「読まなくてもよいから積んどくでもよいから、関係書を集めて本箱をかざるとか、(中略)勉強や研究を自分の日常生活の一部にすること」と書いており、浅井春夫氏は「本は買ってすぐ読めなくても、”積読”ということでも意味はあります。あえていえば背表紙を見ていることで自らの問題意識を手放さないことも重要な意味がある」と書いているそうです。

古典とのつき合い方については、マルクスの『資本論』やエンゲルスの『空想から科学へ』を例にあげ、古典を読むことで社会が見え、自分を発見したと述べました。

内田樹氏と石川康宏氏の『若者よ、マルクスを読もうⅡ 蘇るマルクス』には、「人類史のはじめから説き起こして、彼の時代の産業構造まで一貫している構造と法則性をつかみ取ろうという『大風呂敷』な仕事をした人はマルクスしかいません」、「現代を見る自分の目を鍛え、現代の世界を分析する科学のヒントを探す」と書いているそうです。

「どうやったら早く読めるのか」と質問されることがあるそうですが、まず、早く読む必要はないと指摘しました。長久先生の場合は、早く読めるのは学びの積み重ねで、斜め読みができる箇所や飛ばしてもよい箇所が増えるからだそうです。読者家の人は、内容によって「ギアチェンジ」しながら読んでいるそうです。

定期購読の雑誌とのつき合い方については、定期的に届くということは、自分の身銭を切っているということであり、読まなければ損だと指摘しました。幅広いのが雑誌であり、届いたら目次に目を通し、読みたいところだけ読むようにするとよいそうです。

新聞とのつき合い方については、毎日のニュース、出来事を知るのが新聞であり、まさに社会の縮図だと述べました。日刊紙は読むことを習慣づけるのが決定的に大事であり、生活に組み入れるとよいそうです。ここでも練習が大事だと述べました。

運動団体の新聞もたくさん届きますが、来たらさっと読みたいと述べました。見出しだけ見て、読みたい記事を切り取って取っておくそうです。

学習会の効用については、一般的に言って、「聞く学習」のほうがハードルが低いと述べました。人の話を聞くのは、サボタージュも可能だと指摘しました。集団学習の良しあしは、自分のペースではできないが、仲間の発見や気づきを自分も得られたり、励まし合いがあったり、視野が広がると述べました。

また、学習会は独習のきっかけ、刺激になり、独習と集団学習が融合すれば、もっと深い学びになると述べました。

 

さいごに、創造的な実践には創造的な学習が必要であり、いろいろな工夫で学習を広げていこうと呼びかけました。また、主体的・創造的な学びは主体的・創造的実践に結びつくと述べました。学ばなければ権力者の思うつぼだと指摘しました。

 

以上で報告を終わります。