ロシア軍によるウクライナ侵攻に抗議し、1日も早く停戦し、ウクライナに平和が戻ることを願います。
また、ロシアによる核兵器使用の脅し、原発への攻撃は、世界を危険にさらす暴挙であり、決して許されるものではないことを訴えます。
2022年は、再起の年です。
総選挙での野党共闘の成果と不十分だった点をもう一度確認し、参議院選挙に向けて再出発し、深刻な医療従事者・介護従事者不足に具体的な対策を講じ、不合理な病床削減をストップさせ、憲法改悪を阻止し、差別やハラスメントのない職場をつくるため、行動し、声を上げることを提起します。
5月8日、埼玉医労連の春のナースウェーブ行動が行なわれました。
メイン会場ではハーバリウム体験が行なわれましたが、私はサテライト会場の参加だったので講演の概要のみまとめます。
講演のテーマは「コロナ禍だからこそ試される看護~危機を転じて看護の真価を~」で、講師は川嶋みどり先生でした。
川嶋先生は、コロナ禍が始まってからも何度も講演をしているそうです。看護師は、いつの時代も毎日過密労働をし、人間らしい思いから遠ざかったり、人間関係に悩んだりしていると述べました。春の自然豊かな季節となりましたが、気持ちの持ち方で花の色も変わると指摘しました。川嶋先生は二十歳の長男を事故で亡くし、なかなか立ち直れず、1年後に花を見に行った時も美しく感じられなかったそうです。ただの灰色の帯に見えたそうです。
そんな体験から、川嶋先生は「あなたの看護の色は何色ですか」と問いかけました。疲れ果てて色のことなど考えられないかもしれませんが、一度考えてみてくださいと呼びかけました。
川嶋先生は看護職となって70年で、産休以外は休まずに働いてきて、現役を離れても四六時中看護のことを考える毎日だそうです。尊厳のある生を支援することが看護の役割だと述べました。
東日本大震災の時、被災直後の宮城県で、何とたくさんの家族の暮らしがなくなったのかと感じたそうです。そして、暮らしを取り戻す支援活動を行なったそうです。人間にとって暮らしがいかに大切かを再確認したそうです。
コロナ禍では、看護の立ち位置が明らかになったと述べました。
ウクライナで戦争が起こり、日本でも15年間戦争があって戦争の空気を吸った者として、戦時下で看護をしてきた先輩達も、みなが戦争反対だそうです。先輩たちは戦時下で、敵も助けるどころか味方も見捨てざるを得ない戦場を経験したそうです。平和があってこそ人間の尊厳が守られるのであり、平和だからこそ看護ができると述べました。
コロナ禍も3年となり、世界中がコロナとの闘い、非日常的な生活を送っており、生活が破綻し、錯そうする情報と説明不足で不安になっています。防護具が不足したり、PCR検査が不足したりもしました。地獄の第5波では、自宅で亡くなる人も多くいました。看護のそもそものあり方を考えるべき時であると指摘しました。
労働条件の問題は、看護未来塾で要望したそうです。重症者を看護するナースの声や、外来でPCR検査を担当するナースの声を伝え、8時間勤務と2時間ごとの休憩などの法整備を求めたそうです。
看護師は頭数だけで扱われ、政府は「看護師に4,000円賃上げ」をするとされていましたが、コロナ病棟のみが対象であり、分断政策であると指摘しました。ワクチンの打ち手の賃金格差もあるそうです。医師は看護師の2倍で、歯科医師は看護師の16倍の時給だそうです。これも分断政策だと指摘しました。
そして、コロナ禍前のことも直視すべきだと述べました。危機と隣り合わせの看護が続いており、このままでは専門職として続けていけない状況になると指摘しました。経営効率が求められ、機械的対応になり、目まぐるしい対応を行なわなければならず、ケアの質の低下を招いているそうです。実働時間の半分がアセスメントで、療養の世話を省略する状況だそうです。患者さんの安楽が大事なのに、清拭の技術がなくなってしまったと指摘しました。ディスポタオルがあっという間に広がりましたが、ディスポタオルではすぐに冷めてしまうそうです。
高齢社会にも関わらず、高齢者に合わせたテンポの外来対応になっていないと指摘しました。
1999年は医療安全元年と言われますが、患者取り違え事件があったことがきっかけだそうです。リスクマネジメントシステムがつくられましたが、訴訟を減らすためのリスクマネジメントになってしまっていると指摘しました。それによって、患者さんの尊厳がなくなり、患者さんの人格を無視し、どんなに訴えても声が無視されると指摘しました。人間の苦しさよりもデータを見てしまい、「何もしなければ事故は起こらない」と行動抑制をしてしまっているそうです。
原点に戻って、看護師であるとはどういうことかというと、看護は人々の営みの中で展開されるものであり、犠牲なき献身だと述べました。看護は暮らしの中で展開されるのであり、人生の四大イベント、出産、病気、老化、死の全てに関わり、人間らしく生きていくことができるように手助けするものだと述べました。生活行動とは、生命維持に関わるい営みであり、他人が変わって行なうことはできず、自分なりのやり方があるものです。どんな時も自分らしく行なえるように支援するのが看護であり、ここに看護の専門性があると指摘しました。
安楽をはかるケアは、副交感神経優位のケアであり、リラックスして行なうものだそうです。ケアで治る力をアップすることは、看護師の手があれば、看護独自の力でできると述べました。
手は働く手であり、いたわる手であり、つなぐ手です。看護師の手の有用性として、手は目的に応じて自由自在に様々な動作をすることができること、温度は一定であること、観察の手段としてもいろいろなことができます。
手は有用なのに、なぜ手を使わなくなったのかと問いかけました。川嶋先生は舌がんで亡くなった夫の話として、緩和ケア病棟で看護師はあまり触ってくれなかったが、友人が病室に来て手に触れてくれた時、筆談で「ありがとう。楽になったよ」と伝えていたということを紹介しました。
川嶋先生は看護師の手の有用性を研究し、それを「手当て」、「TE・ARTE(て・あーて)」と名付けています。手のアートとかけているのと、アフリカの人たちに講義した時に、話した内容を歌にしてくれ、「手当て」を「てあーて」と発音していたことからきているそうです。患者さんにとって、手によるケアは気持ちのいいケアであり、看護そのものであると述べました。手当ての3つの要素として、そばにいること、聴くこと、触れることをあげました。この要素は副交感神経を優位にし、免疫力をアップするそうです。
コロナ禍でも、ワクチンがすぐにはできない間も何とかしようと、感染を防ぎながら触れる看護を探って来たそうです。ワクチンも治療薬もない中で、患者さんをうつぶせにすると呼吸が楽になることや、背中を熱い蒸しタオルで蒸すことなどによって、患者さんの回復をはかってきたそうです。これらは自然の回復過程に働きかけ、ウイルスの宿主の自然免疫力を高めることであり、ストレスマネジメント、呼吸器症状の緩和ケアであると述べました。
「距離を隔て」、「向き合わず」、「触れず、話さず」という三密回避は、看護とは反対であり、看護はコロナの次の波に備えての課題に直面しています。看護の柱は「そばにいて」、「見つめ、よく聴き」、「触れる」であり、感染防止策を講じながらの直接ケアのありようを探っているそうです。コロナ禍は改めて看護実践の真価を問い直す機会となっており、人間が人間らしく、その人らしく生きていく上での諸々の営みを支援することにより、心身の状態をよりよくし、生きる力を引き出す、あらゆる可能性に働きかけ、気持ちよさを体感しつつ、内面の治癒力を最大に発揮するという実践が取り組まれているそうです。
また、国の「働き方改革」は「働かせ方改革」であり、生産性の向上を目的としたものだと指摘しました。医療労働は「人間の生きる権利を保障するサービス労働」であり、効率性にはなじまないものです。労働者目線と患者の必要から、1日8時間を専門職労働者としてどのように働くか、「働く喜び」と「仕事への誇り」を実感できる改革を行なうべきだと述べました。
そして、平和であってこそ看護は実現すると指摘しました。第二次世界大戦では、日本は多くの戦死者を出しました。しかも、アジアへの侵略による多くの犠牲者も出し、加害者でもありました。従軍した先輩看護師たちは、戦争の不条理さを学び、平和でなければ人間の尊厳は守れない、戦争だけは絶対にしてはいけないと、平和運動を続けてきたそうです。
今、感染防止策の鎧の陰に、戦争前夜と同じ兆しが見えていると指摘しました。学術会議任命阻止は、表現の自由と心の自由の制限であり、「学問の自由」を脅かす民主主義の危機だと述べました。また、政府はウクライナ侵攻を機に、史上最高の防衛予算を組んでおり、世界9位の軍事費となっているそうです。政府はさらに10兆円規模にすることを目指しており、日本をウクライナにしないためには能動的に平和憲法を守り抜く必要があると述べました。戦争は人間の尊厳を脅かすことでもあり、二度と白衣を戦場の血で汚させないため、戦争をしない盾としての憲法9条を守ることを呼びかけました。そして、平和を守る1票を投じることを呼びかけました。
くらし目線を忘れず、自公政権の軍備拡張のしわ寄せによって社会保障が削減されるのを許さず、勇気をもって発言することを提起しました。「サイレント集団からの脱却を」と呼びかけました。
質疑応答では、医師の働き方改革でコメディカルの仕事が変わってきており、レントゲン技師が注射をするようになると言われているが、それをどう打破するかという質問が出されました。
川嶋先生は、医師の働き方改革は後付けであると指摘しました。チーム医療はそれぞれの専門性を発揮するものであり、それがなぜワークシェアリングになるのかと問いかけました。医行為をするのが医師なのに、医師が黙っており、次はAIが出てくると指摘し、医師に目覚めてほしいと述べました。全職種の働き方改革をしなければならないが、大集団の看護師が声をあげることが大切だと述べました。たとえば、「なぜ指示書を受けて働くのか。依頼書ではないのか」と、おかしいことはおかしいと声をあげるべきだと指摘しました。政府は診療報酬で誘導していくので、先手先手で対応するべきだと述べました。1977年のILO看護条約の際、日本代表は「闘って戦って現状維持」と述べたそうです。闘うのはいつも労働者であり、権力者との間に格差があるが、「働く喜び改革」を普及することを呼びかけました。ゆとりがなければそれはできません。昭和天皇が亡くなる時、天皇1人に7人の看護師がついていたそうです。それと同じように看護師を7倍にすべきだと言うと、「そんなに看護師を増やしたらナースステーションに入りませんよ」と言われたそうですが、発想の転換が必要だと指摘しました。
以上で報告を終わります。