75歳以上医療費2倍化実施させないスタート集会 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

2021年は、再生の年です。

新型コロナウイルス感染症が浮き彫りにしたこの社会の脆弱性に目を向け、社会保障制度を生存権を守るものに再整備し、平和憲法に基づいて法体系を再改正し、私たちの働く場所を雇用体系による差別やハラスメントのない職場へと再構築し、核兵器禁止条約を批准する日本へと再生するために、行動し、声を上げることを提起します。

 

 

7月22日、「75歳以上医療費2倍化実施させないスタート集会」にオンライン参加しました。

以下、そこで行なわれた学習会「臨調行革から40年 ~コロナ禍で明らかになった日本の社会保障の脆弱さとこれからの課題」の概要をまとめます。

講師は、鹿児島大学の伊藤周平教授でした。

 

伊藤先生はまず、コロナ禍の現状について触れました。第4、5波の大阪では、医療崩壊が起こり、どんなに症状がひどくても病床が足らずに入院できず、そのまま亡くなる人が続出しました。救急車の中で何時間も待つこともありました。高齢者、障がい者は、延命治療を望まないとの一筆書いてからでないと入院できないこととなりました。これは命の選別であり、深刻に受けとめるべきだと指摘しました。

ワクチン接種をしていない人が重症化し、命の危機となっています。緊急事態宣言は飲食店を狙い撃ちしており、約10万人が仕事を失っています。特に、非正規の女性労働者が多く失業しています。学生もバイトのシフトを減らされ、休業手当をもらえることをしらないので困窮しています。「ステイホーム」と小池知事は言っていますが、家がない人はどうするのか、虐待されている子どもやDV被害者の女性はどうすればいいのかとの指摘がされました。女性、子どもの自殺も増加しています。

憲法25条の生存権は、それを保障する義務が政府にはあります。今は民間団体が代わりに生活困窮している人たちを助けていますが、本来は国や自治体が税金を使ってやるべきだと指摘しました。しかし、国は「自助、共助、公助、そして絆」と言い、まずは自分の力でやってみて、次に家族や地域で助け合い、それでもどうにもならない時に国が支援するという考え方です。しかし、個人の力でどうにもならないことがあっても、憲法25条が保障する健康で文化的な最低限度の生活を保障する仕組みが社会保障のはずだと指摘しました。社会保障は権利であるが、誰も生活保護を権利とは思っていないのが現状です。やっと厚生労働省がホームページに生活保護は権利だと書くようになりましたが、現場ではまだそうなっていません。

「公助」は、本来は日本語ではないそうです。正しくは「公的責任」であり、国が責任を取るべきことです。憲法にも書いてあります。

公衆衛生は、憲法25条2項に書いてある生存権保障の柱の一つです。本来、国には感染症を防ぎ、病床を確保する責任があります。しかし、国も都も国民へのお願いをするばかりで、ワクチン接種はやっていますが不足でまた混乱を引き起こしています。緊急事態宣言を検証せずに何度も出し、何の改善もしていません。検疫は不十分であり、ゲノム検査もまともにやっていないので、デルタ株がまん延してしまっています。国民の不安と不満が高まるのは当然だと指摘しました。そして、自粛は失業と自殺者を増やすだけであり、解決するには全業種休業と所得補償しかないと提起しました。

 

なぜ医療制度がこれほど脆弱なのでしょうか。

日本の感染者数は少ないと言われていますが、それは検査を十分にしていないからだと考えられます。なぜクラスターが発生する高齢者施設で毎日検査をせずに、オリンピック関係者には毎日検査をしているのかと問いかけました。まずは検査体制を拡大すべきだと指摘しました。

医療政策は、1922年に健康保険法がつくられた時から始まりました。1938年に国会総動員法と一緒に国民健康保険法がつくられ、それは強い兵隊をつくるためでした。戦後、1961年に国民皆保険制度がつくられました。1973年には老人医療費が無料化され、70歳以上の窓口負担はゼロになりました。これは、沢内村などの革新自治体が行なってきたことが国の制度となったものです。しかし、同じ年に石油危機が起こり、国は社会保障削減の方向へ向かい始めてしまいました。1981年に臨時行政調査会がつくられ、臨調行革路線が始まりました。高齢化のために医療費が増加しているとし、「医療費亡国論」がとなえられました。1982年には老人保健法が改悪され、定額一部負担が始まりました。当初は月400円でした。その後、少しずつ負担が増えていき、2001年から定率制となりました。健康保険本人も、1984年までは10割給付でしたが、その後は定率制となりました。

国保加入者の多くは、高齢者と非正規労働者です。

医療保険は、本来は療養の給付を行なうものであり、現物支給のはずです。なのになぜ、一部負担金が発生するのかと問いかけました。そもそも法律上のたてつけから考えると、一部負担金をとるべきではないと指摘しました。何かあった時のために保険に入っているのに、何かあった時にお金を払うのはおかしいということです。しかし、皆それに気が付かなくなっていると述べました。

2008年には後期高齢者医療成語がつくられ、当初は一部負担は1割でした。

一部負担金の引き上げは、医療費抑制策の一つとして行なわれているそうです。他、病床の削減、保険点数引き上げが医療費抑制策として行なわれています。

介護保険の導入も、介護の社会化などと言われていますが、高齢者医療費抑制のためにつくられたのだと指摘しました。医療サービスの一部を介護保険へ移すことで医療費を減らし、新たに介護保険料の徴収も始めました。それでも医療費が増えてきたので、後期高齢者医療制度がつくられたそうです。

2014年、医療介護総合確保法がつくられ、地域医療構想が始まりました。これは、急性期病床を減らし、その受け皿として地域包括ケアシステムをつくることで、医療費を減らすものです。

2018年には国保の都道府県化が始まりました。

政府の改革はずっと医療費削減の方向であり、病床の削減はコロナ禍で悲惨なことになっています。日本の医療機関は8割が民間ですが、感染症病床は公立、公的病院にあります。民間ではできないからです。しかし、公立、公的病院が統廃合され、感染症病床も減らされてしまいました。

コロナ禍で重症者用病床が必要になりましたが、それには多くの医師、看護師が必要になります。しかし、日本の医師は過労死レベルの労働をしており、看護師は長時間過密労働のために退職が多いという状況にあります。しかも、コロナ禍によって経営が悪化し、ボーナスも出せない医療機関も出ています。しかし、国は減収補てんを行なおうとしません。

保健所も減らされました。かつては10万人に1ヶ所の保健所がありましたが、1994年の法改正で2次医療圏に1ヶ所とされてしまいました。地方衛生研究所や大学の予算も毎年減らされ、基礎研究ができない状況になっています。だから日本では国内ワクチンができないのだと指摘しました。日本でもmRNAの研究が始められていましたが、1年で予算がつかなくなって頓挫してしまったそうです。

コロナ患者の受け入れを拒めば病院名を公表するとしていますが、日本の診療報酬では95%の病床利用率がないと経営できないため、コロナ病床が増やせないのです。

医療法が一部改正され、病床機能再編支援制度がつくられ、病床削減にために消費税が使われることとなりました。また、かかりつけ医を推進するため、大病院にかかるには紹介状がないと5,000円の負担が発生します。

医療保険法改悪により、75歳以上の医療費は通常1割、現役並みの収入があると3割、年収280まん延以上なら2割となりました。しかし、多くの付帯決議がついており、調査をしたり、配慮措置をしたりするべきだとされているそうです。政財界は通常2割にしたいと考えており、そのため、2割になる年収要件は法律ではなく政令で定めることになっており、国会にはからなくても変えられるようになっているそうです。年収要件はいずれなくなると思われます。

厚生労働省は、2022年には団塊の世代が75歳以上となるため、若い世代の負担を減らす必要があるとしています。

後期高齢者制度は、税金が50%、保険料が10%、残り40%は各医療保険からの支援金でまかなわれています。つまり、一部負担金を増やすことで一番減るのは税金、公費の部分で、980億円だそうです。次に支援金が720億円減りますが、これは各医療保険の加入者から特定保険料という形で徴収されており、1人当たりの保険料の軽減は年間700円にしかならないそうです。このわずかな軽減では制度を改悪する理由にはなりません。

コロナ禍で医療費を抑制した方が亡国になるとわかったはずです。ならば、全額税金にするべきだと指摘しました。そうすれば、支援金はなくなります。保険組合の中には、支援金の負担に耐えられず、解散して協会けんぽへ移るところもあるそうです。協会けんぽには16%の国からの補助があるからです。

保険とは、本来リスクを分散するもののはずです。病気になりやすい人もなりにくい人も、お金持ちも貧乏な人も、同じ保険に入っていればリスクは分散されます。

しかし、後期高齢者医療制度は、病気になるリスクが高い人だけを集めており、保険理論では成り立たないものだと指摘しました。

今後の課題は、短期的には感染症病床や療養場所を増やすべきであり、自宅療養はなくすべきだと指摘しました。自宅療養は、新型コロナ感染症は急変することがあるから危険だからだそうです。そして、院内感染を防ぐために定期検査を行ない、コロナ対応をしていないところも含めて医療機関に減収補てんを行なうべきだと指摘しました。

長期的には、病床削減はやめるべきだと指摘しました。受診抑制してひどくなってから受診した方が医療費は高くなるのであり、感染症対策にも逆行しているそうです。地域医療構想は抜本的に見直しし、医師、看護師を確保し、住民が提言を行なえるようにすべきだと指摘しました。そして、公立病院を増設し、医師、看護師を計画的に養成し、保健所を増設し、保健師も増員するべきだと指摘しました。自己責任ではない公衆衛生を行なうべきだと述べました。

菅政権は、コロナまん延で病床が逼迫し、救える命が救えなくなる状況で、緊急事態宣言を厳しくし、失業を増加させ、自殺者も増加させると考えられます。健康な状態を回復させるにはもっと検査をすべきだと指摘しました。ヨーロッパでは街中にすぐに結果が出る検査所があるそうです。ワクチンが行きわたるまでは検査を徹底すべきだと述べました。

菅政権の「安心安全」は念仏であり、実効的な対策はなく、第二次世界大戦で誰も責任を取らなかったのと同様だと指摘しました。国民の命を危険にさらし、自己の政権の延命をはかろうとする菅政権は、もう退陣しかないと述べました。

脆弱になった医療、社会保障の回復の道筋を示すべきであるが、今の政権ではコロナ収束後は消費税増税やコロナ税をやりかねないと指摘しました。諸外国は、消費税を減税して経済対策をしているそうです。野党が共闘して、自民党を過半数割れに追い込むべきであり、75歳以上医療費2倍化廃止法案を野党の共通政策にすべきだと指摘しました。ここで阻止できなければ、75歳以上の医療費負担は2割から3割となってしまう恐れがあります。

コロナ対策も含めて、多くの人の共感を呼ぶような共通政策をつくるべきだと指摘しました。切迫した状況だが、やりようによっては社会保障をよくしていくチャンスであり、あきらめずに、これからでも2倍化を阻止する運動を続けていってほしいと述べました。

 

以上で報告を終わります。