反貧困ネットワーク埼玉定例講演会 「誰もが支えられる社会へ」 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、沖縄の米軍新基地建設反対運動のリーダー、山城博治さんの釈放を求める署名へのご協力を呼び掛けます。

 

https://www.change.org/p/savehiroji

 

 

続いて、避難不可能な状況下での原発災害を防ぐために、川内原発の運転停止を求める署名への賛同を呼び掛けます。
 

https://www.change.org/p/%E5%B7%9D%E5%86%85%E5%8E%9F%E7%99%BA%E3%82%92%E6%AD%A2%E3%82%81%E3%81%A6%E3%81%8F%E3%81%A0%E3%81%95%E3%81%84?source_location=discover_feed
 

 

そして、戦争法を早急に廃止することを求め、沖縄をはじめとする全国での基地強化・日米軍事一体化の策動を許さず、医療と介護をはじめとする社会保障切り捨て政策に反対し、労働者をはじめとする99%の人たちのいのちと生活と働く権利を守るために行動し、政治をはじめとするあらゆる分野で憲法が活きる社会となることを目指し、声を上げ続けることを提起します。

 

 

2月24日、反貧困ネットワーク埼玉の定期講演会に参加してきました。今回の講師は、埼玉大学大学院人文科学研究科・経済学部の高端正幸准教授で、テーマは「誰もが支えられる社会へ-不信と分断を乗り越えるための財政社会学-」でした。

以下、その概要をまとめます。

 

今回のポイントは、日本社会の厳しい現状、生きづらさがまん延する中で、社会保障に目をやりながら財政問題を語るということでした。現在の社会の危機は財政の危機を伴うものであり、社会保障費を節約しなければならない、切り下げなければならないと言われています。しかし、それは生きづらさに拍車をかける一方、一向に財政事情は好転せず、財政赤字は過去最悪となっています。逆に、社会保障・福祉を抑制するから財源が増えないのであり、幅広く人々のニーズを満たしていくことでしか財源は増えないということが指摘されました。幅広く人々のニーズを満たすということは「普遍主義」であり、「普遍主義」によって財源調達へ人々の同意を獲得することが、社会の危機と財政の危機を克服する唯一の道だとのことでした。

次に、日本の社会保障の特徴、現状について語られました。社会の現状は、誰もが生活に不安を抱えて生きる時代となっており、世帯可処分所得、税や社会保障費を引かれた後に使える所得は、1995年は400~500万円がピークでしたが、2015年は200~300万円がピークとなっているそうです。その中間の250万円は、4人世帯なら貧困ラインにほぼ等しい所得だそうです。生活意識の変化では、1995年から2015年の間に、「苦しい」と感じる人が増え、約6割になっているそうです。

なぜそうなっているか、政策の在り方に注目して説明されました。公的社会支出、つまり、社会保障のための政府の支出のうち、年金や児童手当などの現金給付のGDP比は、日本は総額ではOECD諸国の真ん中辺りですが、現役世代向けの給付が異常に小さいという特徴があるそうです。医療、保育などのサービス給付のGDP比は、日本は総額ではOECD諸国の真ん中辺りですが、多くは医療であり、それ以外はやや小さいという特徴があるそうです。つまり、医療以外の福祉サービスが社会化されていないということであり、家族に押し付けられているということです。医療を除くサービス給付の内訳は、日本は介護サービス給付を除くと非常に少なく、スズメの涙だそうです。積極的労働市場政策がとりわけ少なく、失業者への職業訓練や大学授業料などへの給付が少ないということです。デンマークやスウェーデンなどの欧州では多いそうです。

日本の社会保障の特徴は、医療、年金の割合が大きいのですが、医療への給付はどの国も早期に確立したものであり、年金については国民年金は破たんしており、現役時代にがんばった人への老後の補償が大きいそうです。つまり、日本の社会保障は働ける年代の人への給付が少なく、人々に自立を強いるものであり、自立に失敗した人への支援に熱心でもないということです。世代間対立は誤解であり、年金の給付の大きさは日本は比較的大きいが、突出して高齢者の貧困率は以上に高いということが指摘されました。それは国民年金の問題や、医療費の自己負担などのためであり、生活保護を受けている高齢者が多いということも指摘されました。

では、社会保障をどう変えていくべきかということが語られました。誰もが簡単に生活困窮に陥るのが現代であり、介護離職、離婚、障害、失業などのリスクがあります。生活が困難化してから困難化した人を救うのではなく、リスクが発現しても生活困窮しないようにニーズを満たしておく、誰にでも起こり得る困難を事前にカバーし、ニーズを満たしておくのが普遍主義だということでした。選別主義は、自己責任を基本とし、自己責任の重荷に耐え切れない人を多く生み出し、自立に失敗した人を救う必要が生じます。対して普遍主義は、あらかじめ私たちの生活を困難化させるニーズを満たすために負担を分かち合うことだそうです。日本とスウェーデンの生活保護を比較すると、日本は選別的で厳しく、スウェーデンは社会保障、福祉が充実しており、緩やかに運営され、多くの人に支出しているが、支出はあまり日本と変わらないそうです。あらかじめ様々なニーズを満たしているからです。

世代別貧困率とジニ係数を見ると、日本は世代間を通じて貧困率が高く、格差が大きいそうです。これは、選別主義の国の特徴だそうです。また、日本では80%の人が職を失うことを心配しており、60%の人が子どもに良い教育を受けさせられるか心配しているそうです。

人々の所得保障をしていくのに優れているのは普遍主義ですが、しかし、日本は自己負担を強化し、給付も抑制する方向へ進んでいることが指摘されました。貧困対策は行なわれるようになっていますが、それに使われている財源は不十分だそうです。誰もが生活に不安を持っている中で、「弱者」と自立している人を分け、「弱者」だけを救済するのをやめ、みんなを救済する普遍主義への転換が求められているということが指摘されました。

次に、財政の問題が語られました。普遍主義に転換しないと財政も破綻するということです。

平均的な人たちの考え方は、「子育てや親の介護のために貯金をしなければならない。税金なんて払っていられるか」、「税金を払っても自分に返ってくるものなんてない」、「どうせ公務員の懐に入るだけだ」、「消費税が上がっても何も恩恵がない」、「生活保護受給者がパチンコや酒にお金を使うのはけしからん」、「高齢者が既得権にしがみつくから子育て世代が切り捨てられる」、「子育て世代は子育て支援で恩恵を受けている、恵まれている」「私たちはブラック企業で働いて、何の恩恵も受けていない」といったものです。

各国の市民が税負担をどう考えているかを所得階層別に調べた調査によると、デンマークは公的負担のGDP比では負担が重いのですが、低所得者層で負担が重いと感じている人は7割で、日本は公的負担のGDP比では負担があまり重くないのですが、低所得者層で負担が重いと感じている人は同じく7割なのだそうです。なぜGDP比では負担が低いのに人々は重いと感じているかというと、生活不安に怯え、何とか家族で生活を維持しようとしており、税金を払っているが自分に何かあった時に公的補償で生活が守られているという実感が持てないからだそうです。そうした状況では政府への不信感が高まり、「福祉の頼る人」に対するねたみが生まれることになります。つまり、自分のために税金が使われていないと感じるので、恩恵を受けているように見える人へのバッシングが高まるということです。例えば、低所得者、高齢者、子育て世代などです。そうすると、税金を払いたくないと感じ、お互いの信頼、共感が失われ、中間層の税負担への抵抗が大きくなるそうです。人々の生活不安をそのままにしておくと、人々は税負担を拒否するということです。つまり、みんなで生きるために負担を分かち合うという普遍主義に転換しないと未来はないのです。

財政とは、国民の共有の財布のはずであり、みんなのニーズを満たすという方向で社会保障を変えていかなければなりません。今の社会保障は、必要のない区別を人々の間につけてしまっており、持てる者と持たざる者をわざわざ区別し、「自立できない人」というレッテルを貼るものとなっています。みんなのニーズを満たすことは、社会の分断をなくすことでもあり、それが人々が人間らしく生き、財政も機能していく道だと指摘されました。

アダム・スミスの『道徳感情論』第6版には、「いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの推進力が含まれている」と書かれているそうです。誰しも人の痛みを自分の痛みのように感じる官製を持っており、人間の本性を信頼し、社会的連帯につなげるのが普遍主義への政策転換だということでした。

次に、「社会を分断する財政」について語られました。

日本の賃金の決め方は、「生活給」が基本となっています。「生活給」は年齢に伴って上がる生活コストに合わせて賃金を上げていくという年功賃金と、家族手当などを合わせたものだそうです。男が働けばその男の家族も食えるという賃金であり、そのために児童手当や住宅手当など、生活ニーズをとらえた社会保障の立ち遅れにつながっていると指摘されました。男女格差、正規非正規間の格差につながり、企業福祉を受けられる人と受けられない人の格差にもつながっていることが指摘されました。

戦後初期、膨大なワーキングプアが存在したため、全ての人に補償をするのは財政上不可能であるため、資力調査を厳しくするなど、選別の強化が行なわれたそうです。しかし、朝日訴訟の第一審勝訴により、貧乏な人が多いからといって生活保護基準を下げてはならないという考え方が示されました。そして、生活保護の改善運動が、労働者一般の生活改善にもつながるものと考えられ、労働組合も巻き込んだ生活保護基準引き上げ運動が起こりました。1960年代は、生活保護の受給を働けるかどうかで選別するようになり、社会保険制度のゆがみにつながったそうです。1950年の『社会保障制度に関する勧告』では、「社会保障の中心をなすものは自らをしてそれに必要な費用を醵出せしめるところの社会保険制度でなければならない」と、社会保険中心主義が打ち出されたそうです。しかし、それは既にイギリスでは破綻した思想だそうです。日本には、税で行なう社会保障は選別主義、社会保険は普遍主義という考え方があり、社会保険は非常に負担が重く、利用者負担を正当化するものでもあります。皆年金、皆保険は、みんながもらえるものだから受け取る人も負担すべきだという考え方になり、自己負担が強化されることになります。また、福祉サービス買わせる伝統は、1948年の児童福祉法に本人またはその扶養義務者からの費用徴収が規定されたことから始まっており、1980年代は全ての分野で自己負担が強化されました。

では、普遍主義への転換をどう描くかということが語られました。

生活保護の給付から普遍主義的改革を描くということが提起されました。生活保護の審査が非常に厳しく、受給中にも厳しく締め付けられるのは、その制度の中にあらゆる給付を入れ込んでいるからであり、それを外に出し、誰もが受けられる給付とするという改革です。外へ出すものは、住宅扶助に対応する住宅手当、医療扶助に対応する医療の無償化、介護扶助に対応する介護の無償化などだそうです。

そのために必要な財源はどのくらいかというと、医療、教育、介護に限定して大雑把に計算して、医療費4.8兆円、教育費4.1兆円、介護サービス0.7兆円で、10兆円程度だそうです。これに、高齢化による自然増は2012年から2025年の間に約40兆円になり、合わせて50兆円となります。医療、介護、教育を無償化すれば、生活保護費は2.5兆円削減でき、GDP増で税収が11兆円増加し、消費税を引き上げることで13兆円の増収となると試算されました。残りは約23兆円です。しかし、消費税は社会保障に上限を設けるためのものになってしまっており、税の不公平感をもたらしています。

残りの23兆円を調達するには、まず短期的には、公平性を高める税制改革を行ない、10兆円程度税収を上げることが提案されました。所得税の最高税率の引き上げと基礎控除の引き上げ、資産課税の強化、タックスヘイブン対策などの法人課税の適正化などです。長期的には、消費税率を引き上げることが提案されました。受益感に支えられた「負担の分かち合い」のための消費税の段階的引き上げということです。「社会保障・税一体改革」が受益感を高めなかった失敗から学ぶべきであり、増えた税収を普遍主義化に使うことで増税への同意を得るということが提案されました。

 

質疑応答は専門的なことが多く、私の手には余るので割愛致します。

以上で報告を終わります。