3.26 NO NUKES DAY | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、戦争法廃止に向けてたゆまず行動し、憲法に違反する政治を推し進めようとする策動を許さず、医療・介護を国の責任で充実させることを求め、最低生活基準を切り下げようとする動きに抵抗し、労働者のいのちと健康と働く権利を守り、東日本大震災の被災地の復旧・復興が住民の立場に立った形で1日も早く実現することを目指して、声を上げていくことを提起します。



本日は、代々木公園で行なわれた「3.26 NO NUKES DAY」に参加してきました。

私たち埼玉県の参加者は、サッカー場に設けられた第1ステージ向かって右側の後ろの方に場所を割り当てられ、ステージはほとんど見えず、ステージからの声もところどころ聞こえないときがありました。なので、聴き取れた範囲に限られた不充分な内容になりますが、第1ステージの概要をお伝えします。


第1ステージの司会は女優の木内みどりさんでした。ですが、司会用のマイクの音が小さく、残念ながらお声があまり聞こえませんでした。

オープニングはNAMBA69という新潟からいらしたロックバンドの皆さんによるミニコンサートでした。最初の曲は「カントリーロード」で、これは一緒に歌えたのですが、他の曲はオリジナルなのか知らない曲でした。MCでは、新潟には福島から避難してきた人たちがたくさんいて、新潟にも福島にも東京のエネルギーのために原発がつくられているということや、原発で不安な人たちがたくさんいる、子どもたちにいい未来をつなぐために、原発のない未来へ向かっていこうといったことを述べていました。


次に、沖縄に行っていて集会に出られない落合恵子さんからのメッセージが読み上げられました。ここもあまりよく聞き取れなかったのですが、沖縄の問題も原発も根っこは一つ、生きる権利を奪うものであり、現政権はこの国を世界で一番戦争に近い国にしようとしている、何としても、この参院選で独裁にくさびを打ち込まなければならない、私たち一人一人は政府の奴隷ではないということをわからせてやりましょうといったことをおっしゃっていました。


そして、首都圏反原発連合のミサオ・レッドウルフさんが主催あいさつを行ないました。まず、東電福島第一原発事故から5年、重い5年だったが、福島の人たちにとってはもっと重い5年だった、福島を忘れてはならない、自主避難者切り捨て問題を見逃してはならないと述べました。日本は再び原発推進の国になってしまっているが、大津地裁判決によって初めて稼働中の原発がストップし、大きな希望を与えたと述べました。そして、世論の7、8割は原発はいらないというものであり、一部の人たちのための原発推進だと指摘し、ひるむことなく声を上げ続けることを呼び掛けました。可能な限り早い時期に原発を止め、福島の問題を解決する決意を述べました。


次に、ルポライターの鎌田慧さんがあいさつしました。世論は原発からの脱却であり、頑張っているのは安倍や金の亡者たちだけであり、これからますます原発の欠陥が明らかになり、川内原発では再稼働したら免震棟をつくらないとしていることを指摘しました。しかし、大津地裁判決は私たちの運動があったからであり、勇気ある判決を出した裁判長を孤立させない運動をしようと呼び掛けました。福井地裁は高浜原発再稼働差し止め判決で、人間のいのちの問題だとしましたが、これは足尾銅山、水俣などと同じことであり、人を犠牲にして繁栄しようとすることは許されないと述べました。原発を止めて、私たちが健康に暮らしていけるようにするか、どっちにするかだと指摘し、原発は日本だけの問題、アジアだけの問題ではなく、世界の問題だと指摘しました。日本の原発輸出は、70年代のアジアへ逃げた公害企業と同じであり、武器輸出と一体の死を呼ぶ産業だと指摘しました。そして、ここから日本を変え、人間が大切にされる世界へしていこうと呼び掛けました。最後に、3月12日の福島での県民集会からこの会場へ向かっているパレードが間もなく到着することを報告しました。


続いて、作家の澤地久枝さんがあいさつしました。澤地さんはもっとみんなで一緒に歌える歌を歌うべきではないかと述べました。日本は世直しをしなければならないが、もっと悪くなってしまっており、福島原発事故は人々からふるさとを奪ったのであり、その責任を政治はとらなければならないと述べました。そして、安倍さんは世界に原発を輸出しようとしている、私たちはなめられている、アンダー・コントロールの嘘には呆れたと述べました。また、安全保障関連法を3月29日に施行することを閣議決定し、何のためかわからないような戦争に子や孫が行かされるようになり、自衛隊の体質も制服組中心に変わっていることを指摘しました。一番大切にしなければならないのは人の命であり、戦争する国にするのは絶対反対だと述べました。


ここで、カンパの呼びかけが行なわれました(どのくらい入っているかわかるように、カンパの袋を透明にすることを木内さんが提案したそうです)。


次に、福島原発告訴団の佐藤和良副団長が発言しました。佐藤氏は、新しい未来をつくり上げたいと思って参加したと述べ、この5年間、国民が虫けらのように扱われて生きていかなければならないのかと思ってきたが、原発、核のない世界への決意を新たに、手をつないでいきたいと述べました。多くの困難があり、来年、再来年には、年間20ミリシーベルトのところには帰らせよう、オリンピックの前には事故などなかったかのようにしようとしているが、こんなことが許されていいのかと訴えました。大震災が大規模な核被害をもたらしたが、貞観の地震の後には富士山の噴火などが起こっており、明日は我が身だと指摘しました。被曝を避けて生きる権利のため、政治を変えなければならず、全国の人たちをつながって、住宅提供と賠償の打ち切りを許さず、被災者救済の100万人署名を広げてほしいと呼び掛けました。現地では様々な分断がつくれているが、原発のない福島という県民の意思を無視しようとする国や県、安倍政権の原子力推進政策を許す訳にはいかず、再稼働阻止のために力を合わせようと呼び掛けました。


次に、ベラルーシから来日したジャンナ・フィロメンコさんが発言しました。フィロメンコさんはチェルノブイリ原発事故の被ばく地域からの避難者であり、小さい頃、広島・長崎への原爆投下と貞子さんの苦しみについて学び、どこの国にも原爆が使用されないことを祈っていたが、子ども2人が幼稚園の時にチェルノブイリ原発事故が起こり、原発近くの住民も被災したそうです。しかし、ソ連政府は住民に知らせず、安全だと信じさせようとしたそうです。1986年以降は、子どもたちを外で遊ばせることができなくなり、自分たちの生存をかけて闘わなければならなかったと述べました。デモや集会に立ち上がった人たちは、医師や原発労働者や母親たちだったそうです。事故後5年、移住が可能になったが、移住後は自分のことは自分で解決するように言われたそうです。移住者はゼロから生活をスタートしなければならず、多くの人は自分に合った職に就くことができなくなったそうです。「平和の核」であるはずの原発が私たちに多くの傷を残し、子や孫が病気になる不安をもたらし、つながりが切られたと述べました。そして、これは世界のどこでも起こり得ることであり、福島の人たちの辛さはよくわかると述べました。原発を止めて他のエネルギーを探すべきであり、被害者の権利を守らなければならないと指摘し、チェルノブイリ事故後の日本の支援に感謝すると述べました。


次に、伊方原発訴訟に取り組む愛媛原水協の中村嘉孝事務局長が発言しました。中村氏は、昨年7月、原子力規制委員会が決定し、4月には再稼働が狙われているが、国民の原発への不安、おかしいという声に応える討論会も開かれておらず、原発のごみを増やし続けていることが指摘しました。避難計画は不十分であり、県民の不安をそのままに新たな安全神話がつくられようとしており、声を上げられない状況がつくられていることが指摘されました。市議会では十分な議論がないまま再稼働を容認されたため、住民投票をしようという署名集めを行なったが、残念ながら否決されてしまったそうです。しかし、声を上げ続けることが必要であり、県民調査で65.5%の県民が再稼働に否定的であり、その理由は原発は危険だ、安全対策が不十分といったことだったそうです。伊方原発は海沿いにあり、汚染水が漏れれば大変なことになると指摘されました。大津地裁判決は、最初の伊方原発訴訟の頑張りが今につながっているということであり、今回の訴訟でも判決を強く求めていると述べました。「伊方原発を止める会」は4月に再稼働を許さない集会を予定しているそうです。そして、全ての原発を廃炉にするために声を上げていこうと呼び掛けました。


次に、元東海村村長の村上達也氏が発言しました。村上氏は、16年間村長を務め、現在は脱原発を目指す市長会議の世話人をされているそうです。市長会議は2012年に107名で結成され、原発を日本からなくしていこうと活動を続けているそうです。全国で脱原発の闘いが行なわれており、東海村では3月14日に審査を早くするようにという決定が出され、それに対して抗議声明を発表しているそうです。東海第二原発の周辺には75万人が居住しており、福島第一原発の2キロ圏内には8万人だったそうです。なぜ政府はもう原発を止めないのかと述べ、福島第一原発事故に対して国は責任を持つべきだが、まだ責任を果たしていないと指摘しました。原発は廃炉にすべきであり、日本から、世界から原発をなくすために活動することを呼び掛けました。


次に、原子力発電に反対する福井県民会議の宮下正一氏が発言しました。大津地裁が原発運転差し止めの仮処分を決定しましたが、関西電力は不服だとしているので、住民に署名と励ましの手紙を出してほしいと呼び掛けました。そして、原発はプルトニウムを燃料としており、プルトニウムは極めて核分裂しやすく、強い毒性の物質であり、事故になれば日本の半分が住めなくなると指摘しました。命、健康は返してくれないのであり、廃炉を実現するまでがんばると述べました。


次に、国際環境NGO「FoE Japan」の吉田明子氏が発言しました。吉田氏は、電力自由化になり、多くの市民が原発の電気は使いたくない、再生可能エネルギーがいいと思っていると述べました。大手電力会社、新しい電力会社を安いかどうかで選ぶのではなく、NO2排出量や気候変動への影響も考えるべきであると指摘しました。再生可能エネルギーの電力会社が各地でつくられていることも指摘しました。


次に、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会の福山真劫氏が発言しました。安倍は許せないと言う声、悲しみと怒りは、原発だけでなく、戦争法案強行採決に対してもだと指摘されました。戦争法は日米の軍事戦略に沿って各地で戦争することになるものであり、全体で闘えば安倍政権を追い立てることができると述べました。2016年は大運動で安倍政権を包囲し、参院選で勝利しようと呼び掛けました。3月29日には戦争法が施行されるが、また国会前行動へ5万、10万と結集することを呼び掛けました。2000万人署名は500万まで集まっているそうです。参院選では、野党はバラバラでは勝てないが、野党があらゆる協力をしていくことを約束し、一致してきており、連携して闘えば安倍政権を打倒できると述べました。


次に、オール沖縄会議共同代表の高里鈴代氏が発言しました。昨日は午前9時から辺野古で座り込みをしていたそうです。安倍政権が和解を受け入れたが、辺野古移転の方針は変わらないと言い張っており、和解は解決ではないということが指摘されました。沖縄県知事は国連の人権委員会で訴えています。私たちは決してあきらめない、声を上げ続ける、もう沈黙はしないという思いだと述べました。そして、沢山の人が辺野古へ来てほしいと呼び掛けました。


次は、沖縄平和運動センター議長の山城博治氏の発言でしたが、マイクの音が割れてしまってよく聞き取れませんでした。かいつまんで報告します。山城氏は、安倍のおぞましい政治を止めさせよう、断じて許す訳にはいかないと述べました。憲法を変えようとしている人たちに負けてはいられない、軍国主義政治の復活を許さず、団結していきましょうと呼び掛けました。そして、「今こそ立ち上がろう、今こそ奮い立とう」と呼び掛ける歌が歌われました。


そして、フクシマ連帯キャラバンのパレードが到着しました。代表の方が、2週間かけて福島から歩いて到着した、3月12日の県民集会から、原発反対を訴えながら来たと述べました。代表の方は福島第一原発事故当時は高校生で、情報のないまま自主避難し、茨城県へ行ったそうです。5年後も復興は進んでおらず、放射性廃棄物の黒い袋が山積みになっているそうです。各地で要請行動、駅前での署名活動を行ない、震災が薄れていることを実感したそうです。そして、一人でも多くの人に現状を知ってほしい、原発をなくしたいと訴えました。


集会は以上で終了です。参加者は第1、2、3ステージ合わせて3万5000人だと発表されました。


その後、3コースに分かれてデモが行なわれました。私は新宿中央公園へ向かうコースでした。今日は沿道から手を振ってくれる人が多かったように感じました。


以上で報告を終わります。