2016年ビキニデー 墓参行進とビキニデー集会 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、戦争法廃止に向けてたゆまず行動し、憲法に違反する政治を推し進めようとする策動を許さず、医療・介護を国の責任で充実させることを求め、最低生活基準を切り下げようとする動きに抵抗し、労働者のいのちと健康と働く権利を守り、東日本大震災の被災地の復旧・復興が住民の立場に立った形で1日も早く実現することを目指して、声を上げていくことを提起します。



ビキニデー行動の報告の続きです。

2日目、3月1日は、焼津駅に移動し、そこから弘徳院まで行進を行ないました。弘徳院は、第五福竜丸の乗組員で、ビキニ環礁水爆実験の放射線による被害でお亡くなりになった久保山愛吉さんのお墓があるお寺です。そこで献花を行なった後、臨時バスでビキニデー集会が行なわれる焼津市文化センターへ移動しました。

昼食後、午後からビキニデー集会が行なわれました。以下、その概要をまとめます。


オープニングは「うたごえ」のみなさんによる合唱でした。「海を生きたあなたよ」と「HEIWAの鐘」の2曲が歌われました。

主催者あいさつは、静岡県現ス爆被害者の会の川本会長が行ないました。川本さんは広島で8歳の時に被爆したそうです。来賓が紹介され、第五福竜丸乗組員の生存者6人のうちのお二人が参加予定でしたが、体調不良のため欠席となったことが告げられました。取り組みの前進として、高知県で被害者の労災申請が行なわれたこと、国連で核兵器廃絶の作業部会が開始されたことが挙げられました。そして、福島に寄り添い、原発再稼働に反対し、再生可能エネルギーへ転換していくことが提起されました。戦争法廃止のための野党共闘、2000万人署名を成功させ、原水爆禁止世界大会に向けて写真展などに取り組んでいくことも提起されました。


続いて、来賓あいさつが行なわれ、焼津市の中野市長が発言しました。中野市長は、第五福竜丸の被災から62年が経ち、世界各国で核兵器廃絶運動が行なわれているが、北朝鮮が核実験を行なったことを述べました。焼津市では市民一丸となって3月6日に大集会を行なう予定であり、中学生を被爆地に送る取り組みを行なっているとのことでした。また、核兵器のない世界に向けて、世界のみなさんのご指導をお願いしたいと述べました。


次に、SEALDsの林田さんがあいさつし、放射能の犠牲者へ哀悼の意を述べ、久保山さんが「原水爆の被害者は私で最後にしてほしい」とおっしゃったことに触れ、62年後の今日、福島ではまだ放射線が漏れ出していること指摘しました。久保山さんが残した運動は日本に根付き、運動を身近なものとしたが、冷戦後、ナショナリズムが高まり、原発反対の命の声はかき消され、沖縄の命の声もかき消されていると述べました。全体の利益のために一人一人の命を犠牲にすることは止めされなければならず、残してくれた言葉を次の世代につなげていくことを呼び掛けました。


ここで、広島市長と長崎市長からのメッセージが読み上げられましたが、速くてメモを取ることができなかったので割愛致します。


続いて、原水爆禁止世界大会実行委員会運営員会共同代表の野口さんが主催者報告を行ないました。以下、その内容を要約します。

62年前の3月1日、アメリカは太平洋上マーシャル諸島ビキニ環礁で水爆実験を行ない、破壊されたサンゴ礁の粉末に核分裂生成物が付着した「死の灰」によって、第五福竜丸をはじめとして多くの日本の漁船の乗組員が被爆しました。2週間後、第五福竜丸の23名の乗組員全員が急性放射線障害を患い、半年後の9月23日に乗組員の一人である久保山愛吉さんが亡くなりました。

日本政府が調査に不熱心なため、ビキニ被災事件の全容解明は62年後の今日においても重要な課題となっており、日本政府に態度を改め、被災の全容を解明し、被災者に援護と補償を誠実に行なうことが強く求められています。

「核兵器のない世界」は実現可能な課題となっており、昨年5月のNPT再検討会議のニューヨークでの国際共同行動など、広島・長崎の被爆70年目の年を核兵器廃絶の新たな転換点となるよう奮闘してきました。その成果は、12月の国連総会本会議でインドネシアなど非同盟諸国提案の「核軍備撤廃」決議、非同盟の開発途上国提案の「国際司法裁判所の勧告的意見の後追い」決議、新アジェンダ連合提案の「核兵器のない世界に向けて-核軍備撤廃公約の実行」決議がいずれの加盟国の66~74%の支持で採択されることにつながりました。核兵器使用の人道的・倫理的見地から核兵器全面禁止を求める決議が提案され、支持されたことも注目すべき総会の特徴であり、55か国提案の「核兵器のもたらす非人道的結末」決議、核兵器禁止・廃絶を求めた「人道的誓約」決議、南アフリカなど提案の「核兵器のない世界は倫理的義務」決議は、68~75%の支持で採択されました。開かれた作業部会の設置を訴える「核軍備撤廃多国間交渉の推進」決議は、72%の支持で採択されました。アメリカ、イギリス、フランスは、これらのすべての決議に反対しました。日本政府は、「核兵器のもたらす非人道的結末」決議に賛成したものの、他の決議はすべて棄権しました。被爆国にあるまじき政府の姿勢は正されなければなりません。

核兵器廃絶を求める私たちの声は圧倒的多数の政府を味方につけ、いまや世界の本流です。一部の核保有国と「核の傘」依存国だけが核兵器に固執し、核兵器廃絶の交渉を拒んでいます。

日米同盟を日本外交の中心に置き、安全保障政策をアメリカの「核の傘」に依存する安倍政権は昨年、戦争法(安保関連法)を強行成立させました。この法律により、集団駅自衛権行使を容認し、後方支援を野放図に拡大させ、国際社会の平和のためという名目で地球の裏側までも自衛隊が後方支援できるようになりました。また、安倍政権は辺野古への新基地建設を強行し、9条明文改憲さえ公然と発言しています。

ビキニ被災事件を契機に大きく発展した原水爆禁止運動の経験に学び、戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会が提起している戦争法廃止の「2000万署名」などに旺盛に取り組み、安倍政権の暴走を食い止めることが私たち国民に求められています。その力をテコに、今年8月の原水爆禁止世界大会を核兵器廃絶に向けた運動の結集の場とし、日本政府が「核の傘」から離脱し非核・非同盟中立の立場をとるように迫っていく新たな決意と行動の場となるよう成功させなければなりません。「核兵器のない世界を」という人類共通の願いを早期に実現させるため、3・1ビキニデー集会を起点に、核兵器の禁止を求める新たな署名運動、原爆写真パネル展の開催や被爆体験の聴き取り、語り伝えなど被爆の実相普及に取り組み、「6・9行動」や国民平和大行進などの取り組みを通じて、平和といのちと暮らしを守る全国の運動とも連帯し、大きな高揚を創り出すことを提起します。


ここで舞台転換が行なわれ、ビキニ被災を描いた朗読劇「ここが家だ」が上演されました。


次に、「被災62年、ビキニ被災事件といま」と題して、マーシャル諸島前外務大臣のトニー・デブルム氏が発言しました。

デブルム氏はこれまで来日できなかったことを詫び、ビキニ事件は永遠に価値ある教訓だと述べました。被爆島民は人体実験をされ、早過ぎる帰島をさせられたと指摘しました。核兵器は決して正当化できず、核兵器は標的を選ばず、完全で不可逆的な破壊をもたらし、それだけでも禁止すべきだと訴えました。マーシャル諸島での核実験は、広島型原爆1、2個を12年間毎日爆発させたようなものであり、未来の世代にも傷を背負わせたと指摘しました。アメリカは国連が勧告しているにも関わらず、今もビキニ被災の情報を機密としているそうです。これらの情報が公開されなければ被害への違憲の相違に公正な判断を下すことができません。島民は今も健康が脅かされ、輸送ルートでは重金属汚染も残っており、将来の世代も永久に傷つくことになると指摘され、世界的課題とすることが求められました。核保有国にNPT第6条遵守を求めて提訴を行ない、オランダのハーグで口頭弁論が開始されているそうです。この訴訟は、核保有国が自ら合意したことを実行するように求めているだけであり、賠償を求めるものではないそうです。核保有国は約束を果たすしかないと理解すべきだと指摘しました。マーシャルの国民は皆さんと一緒に闘っており、核兵器が存在するために人々は標的となるのであり、核兵器がなくなるまで団結し、命が続く限り力を尽くさなければならないと呼び掛けました。そして、私たちの闘いは「正義であり、必ず勝利しますと述べました。


次に、「ビキニ被災の調査・究明のとりくみ報告」として、高知・太平洋核被災支援センターの山下事務局長が発言しました。

ビキニ環礁ではのべ1000隻の日本の漁船が被災し、マグロが廃棄されたそうです。日米の政治決着により、船員の被災が意図的に消され、情報が隠され、被害が追究されなかったそうです。日本外務省からアメリカへ資料が流されており、情報開示請求によってそれが明らかになり、船員の放射能被害、漁船の航路の記録などが見つかり、労災認定の可能性が出て来たそうです。現在は、放射線医学者などの協力により、被害の解明を進めているということでした。高濃度の汚染を受けた船に限定して第一次申請を行ない、人道上の問題として救済を求めているそうです。県議会では、知事によってビキニ事件に向き合うという答弁が行なわれ、相談会が実施され、10人が労災申請へ至ったそうです。内部被ばくを認めるよう、国家賠償請求も行なうそうです。

合わせて、遺族の方も発言しました。

マグロ漁船で父親が被災したというその方は、父親が胆管癌で亡くなったため、健康調査に参加したそうです。船長に口止めをされており、ビキニ事件について聞くと、まず戦争、終戦の話から始まったそうです。当時、魚は貴重な蛋白源であり、必死に生きていた時代だったそうです。突然魚を捨てるように言われ、その後、46歳で肺がんで亡くなった同僚もいたそうです。高知の医師で、船医として被ばくした人もいたそうです。被ばくから40年、50年たった後、被害が現れるのは、福島原発も同じではないかと指摘されました。「直ちに影響はない」という言葉が同じだということでした。父も本当は話したかったと思うので、今日スピーチできてうれしいと述べました。


次に、お二人の被災者の方が発言するはずでしたが体調不良のため参加できなかったため、そのうちのお一人の大石又七さんのメッセージが読み上げられました。

大石さんは、下町人間の会の「第二十九回庶民文化賞」を受賞したそうです。推薦人は、ビキニ事件をきっかけに日本母親大会を立ち上げた人たちの一人である木村さんという方だったそうです。また、大石さんは福島原発事故の被災者のことを取り上げ、ビキニ事件の時と同じように被害が過少評価され、大事なところはみな責任逃れのために隠されているように思えてならないとし、被ばくしている人たちの検査や治療をしっかり行なって、発病して亡くなる人が出ないようにすることを求めました。


続いて、スペシャル対談が行なわれました。

司会は日本原水協の大田さんが行ない、フランスの美帆・シボさん、イギリスのジェニー・クレッグさん、アメリカのジョセフ・ガーソンさんが発言しました。

まず、各国で起こっていることが語られました。

シボさんは、昨年、フランスではいくつもののテロが起こり、1月にはシャルリー・エブド社へのテロに対して表現の自由を守るデモが行なわれたと述べました。この事件で、長年平和活動をしていた2人の記者が射殺されたそうです。パリの同時多発テロでは、庶民的な場所、若者が集まる場所が標的となったそうです。当時、シボさんは広島、長崎市長と共に平和のための討論を行なっていたそうです。穏健なイスラム教徒への被害、右翼勢力の支持拡大につながり、市民は「テロよりも失業が問題」としているそうです。また、一番の無駄遣いは原発であると指摘しました。核兵器でテロを防ぐことはできないということも述べました。フランスの青年が「原爆と人間」展を開催したことも報告されました。そして、他民族との共存の努力が求められており、核兵器のない平和な世界のために世界的連帯をしていこうと述べました。

クレッグさんは、2016年はイギリスにとって重要な年であり、トライデント原子力潜水艦の行進をめぐる議会の議論が行なわれていると述べました。なぜ、医療、教育、保育にお金がかけられないのかと問いかけ、一方で兵器にはお金をかけていることを人々は疑問に思い出していると指摘されました。土曜日、ロンドンでは数万人の核兵器反対デモが行なわれたそうです。様々な団体があらゆる層へ呼び掛け、労働党党首のジェレミー・コービンがスピーチをしたそうです。

ガーソンさんは、マーシャル諸島共和国のデブルム氏に感謝と敬意を表明し、アメリカからも審議に代表を送ると述べました。アメリカは15年間戦争を続け、軍事競争をしていると指摘し、新しい方法を生み出すべきだと述べました。100兆円をつぎ込んで核の研究をしていることに対し、お金の使い方を問題にすべきだと指摘しました。また、ケンブリッジで「原爆と人間」展が行なわれ、平和行進参加者が連帯のビデオを作成したと報告しました。

次に、被爆70年を転機にしようという提起に対し、これからの取り組みについて発言されました。

シボさんは、来年は大統領選挙があり、オランド大統領はポリネシアで核実験の被害の影響、保障が1000人中10人にしか認められていないといったことを語りました。もっとマスコミがこうしたことを取り上げるべきであり、学生、子どもたちに運動を広げていくべきだと述べました。

クレッグさんは、土曜日のデモの成功を受けて、「核兵器のない世界を求める」という明確なメッセージを述べました。新たな局面を迎え、地元選出議員に働きかけ、若い人たちの参加を呼び掛けると述べました。労働組合や地域の人と共に、勢いを次の行動へ続けていくと述べました。また、労働党内部の議論が重要であり、世界でどのような役割を果たすべきか、国際法を遵守する国としての誇りを持って、NPT合意の実行を求めていくと述べました。そして、人々にお金を何に使うか考えてほしいと述べました。

ガーソンさんは、昨年4月のNPT再検討会議前のニューヨーク行動の中で、草の根からの合同を呼び掛けたと述べました。市民の運動を一つに統合し、軍事費に反対するグローバルデイ、NATOと核兵器廃絶をテーマにしたフォーラム、9月にベルリンで国際会議を行なうと述べました。


この後、各地の行動のリレートークが行なわれましたが、新幹線の時間の都合で早目に会場を出たため、聞くことができませんでした。


後日の発表によりますと、2月29日の日本原水協全国集会には800人、3月1日の墓参行進には1500人、ビキニデー集会には2000人の参加があったとのことでした。


以上で報告を終わります。