いのち・平和・憲法9条 2.3埼玉大集会 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、集団的自衛権行使を実現可能としようとする動きに抗い、秘密保護法の濫用による言論の自由の侵害を許さず、医療・介護の改悪に反対し、最低生活基準を切り下げようとする動きに抵抗し、労働者のいのちと健康と働く権利を守り、東日本大震災の被災地の復旧・復興が住民の立場に立った形で1日も早く実現することを目指して、声を上げていくことを提起します。



2月3日、「いのち・平和・憲法9条 2.3埼玉大集会」に参加してきました。

当日に突然要員を頼まれてしまい、舞台周辺のお手伝いをしていたため、一部聴くことができませんでしたが、メインの小森陽一氏の講演の概要をお伝えしたいと思います。


小森氏は、日本は戦争をする国に突き進んでいると警告し、イスラム国による邦人殺害事件に対する安倍政権の責任として、フランスがシリアのアサド政権への制裁をアメリカに持ちかけていた2013年9月に所信表明演説で「積極的平和主義」を唱え、2015年1月の緊迫した中で中東を訪問し、イスラム国に空爆を行なっているエジプトで2億ドルの援助を約束し、更にイスラエル国旗の前で「断固戦う」と宣言したことがやってはならない挑発的なことだったと指摘しました。2013年9月当時、「海賊対処法」に基づいて海上自衛隊がジブチ基地に駐屯しており、もしアメリカがアサド政権の制裁に同意していたとしたら、ジブチ基地は攻撃されていたと考えられるそうです。実際には、オバマ大統領はアサド政権制裁について議会にかけ、否決されたため、制裁は行なわれませんでした。

2015年1月にイスラム教の預言者ムハンマドについての風刺画を掲載した雑誌社が襲撃された際、EUが結束することを示す場にイスラエルのネタニヤフ首相が参加表明したため、フランスのオランド大統領はパレスチナのアッバス議長を招き、自身はドイツのメルケル首相と並ぶことでアピールしました。とはいえ、この場は人々のデモの先頭ではなく、特別に区切られたエリアだったことが空撮写真で明らかになっているそうです。

このように、世界の政治家たちの中東に対する対応は慎重であるにも関わらず、日本が中東の信頼を失ったのは安倍首相の愚かな行動のためであり、この危険を広範な国民に伝えなければならないと小森氏は指摘しました。

安倍政権は2014年7月1日、集団的自衛権行使容認の閣議決定を行ないました。その閣議決定のタイトルは、「国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について」というものです。従来の三要件は、「国民の生命、自由、及び幸福追求の権利が根底から覆されるという急迫、不正の事態」であり、「国民のこれらの権利を守るために他に適切な手段がない」場合に、「必要最低限」の実力を行使するというものでした。閣議決定で示された新三要件は、「急迫、不正の事態」について、「我が国に対する武力攻撃が発生した場合のみならず、我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生」した場合も含まれるとするものです。この「我が国と密接な関係にある他国」は明確な定めがないため、時の政府の判断で決めることが可能になってしまいます。安倍首相は「切れ目のない」という言葉に拘っていますが、この「切れ目」とは何かというと、2008年4月18日の名古屋高裁判決で示された「武力の行使と一体」と見なされる自衛隊の活動の範囲です。しかし、実際に集団的自衛権を行使するには法改正が必要です。安倍政権は5月の連休明けに改正案を提出する見込みです。悪い法律を通す時は、国民の政治に対する関心が薄れている5月の連休明けに提出されることが多いそうです。

2014年10月8日、安倍政権は「日米防衛協力のための指針の見直しに関する中間報告」、いわゆる日米ガイドライン見直しの中間報告を発表しました。その中で、「見直し後の指針は、日本に対する武力攻撃を伴う状況及び、日本と密接な関係にある国に対する武力攻撃が発生し、日本国憲法の下、2014年7月1日の日本政府の閣議決定の内容に従った日本の武力の行使が許容される場合における日米両政府間の協力について詳述する」としていました。しかし、公明党の反対により、まだ日米ガイドラインの見直しは行なわれていません。自公政権も世論を気にしており、世論調査で集団的自衛権行使反対が過半数を占め、日本の平和を守ってきたのは憲法9条であるとの回答が7割となっていることが歯止めとなっています。現在問題となっているのは安全保障ではなく、集団的自衛権の行使容認が根幹であり、今が自衛隊を海外で戦争をするようにさせるかどうかの分かれ道であることを、草の根の運動と連動して広範の人たちに知らせていくべきであるということが指摘されました。

自衛隊は1954年7月1日に創設されました。それ以前に、朝鮮戦争が起こって日本から米軍が北朝鮮攻撃のために出撃するため、その間アメリカ軍の基地を守るために日本の再軍備が行なわれ、1950年8月に警察予備隊がつくられました。日本の再軍備のためには講和条約の締結が必要でしたが、朝鮮戦争中であったために日本の戦争責任を問う立場にある中国、朝鮮が参加せずに講和条約が結ばれたため、日本の戦争責任はあいまいとなってしまいました。1950年6月25日に、サンフランシスコ講和条約と旧日米安保条約が調印され、1952年4月28日に発効となり、憲法9条があるにも関わらず、日本の再軍備が要求されました。同時に、沖縄から施政権が奪われました。

自衛隊の創設と同年、自由民主党が結党されました。自由民主党は、安倍首相の母方の祖父にあたる元A級戦犯容疑者の岸信介が、当時に吉田茂政権はアメリカの言いなりだと批判し、アメリカから押し付けられた憲法を改正すべきだということ、自主憲法制定を掲げて結党されました。

自衛隊は『戦力ではなく最低限度の実力』であると国会で説明されていました。これが自衛隊装備への縛りとなっています、「例えば、「駆逐艦」が自衛隊の装備となると「護衛艦」と呼ばれるようになります。

1990年の湾岸戦争では、アメリカを中心とした多国籍軍への参加を要請されますが、当時の海部首相が法案を国会へ出したところ、内閣法制局が憲法違反であると答弁し、政府は廃案となりました。このため、9条があるので自衛隊は軍隊ではないということが世界中に広がり、アメリカが激怒したそうです。そこで、1992年に宮澤喜一内閣がPKO法を成立させ、「非戦闘地域」の縛りがあるものの、自衛隊を海外に派遣することを可能としました。2001」年にはテロ対策特措法でアフガニスタンに、2004年にはイラク特措法でイラクのサマワに自衛隊が派遣されました。当時の小泉首相は国会の答弁で「自衛隊の行くところが非戦闘地域」だと述べたため、探し出された派遣先がサマワだったそうです。

九条の会は自衛隊のイラク派遣と同じ年、2004年に結成されました。結成の記者会見には100人ほど記者が来ましたが、記事はベタ記事扱いだったそうです。当時の読売新聞の世論調査では、「憲法を変えた方がいい」が6割以上でした。その後、九条の会は全国で講演活動を行ない、各地で九条の会が結成され、2005年には3000に達しました。第一次安倍政権が成立した2006年には、九条の会は4800に達しました。しかし、教育基本法の改悪を阻止することはできませんでした。2007年には憲法改正への賛否が拮抗し、参院選で民主党が勝利してねじれ国会となりました。そして、第一次安倍政権が崩壊し、2008年には15年ぶりに「憲法を変えない方いい」という意見が多数派となりました。この15年前とは、衆院選で自民党が過半数をとれず、細川首相の連立政権が成立した年であり、慰安婦問題についての河野談話が示された年です。安倍首相は、戦後70年の今年、河野談話や村山談話を否定しようとしています。

一度は安倍政権を草の根の運動で引きずりおろすことができたことを振り返り、もう一度そのために頑張ろうということが提起されました。


続いて、3名の特別報告が行なわれました。

まず、済生会栗橋病院院長補佐の本田宏先生が、医療者の立場から発言しました。本田先生は高校生のときはパイロットになろうと考えていたそうですが、戦争経験があるお母様に泣いて反対され、紆余曲折あって医者となったそうです。臓器移植を志しますが日本では難しく、外科医として力を発揮したいと済生会栗橋病院に移ったそうです。その後、日本は医師が少なく、その中でも最も医師が少ないのが埼玉県であること、医療費が先進国最低なのに窓口負担は先進国最高であることなど、日本のメディアが伝えないことを知るようになったそうです。そうなった原因は、渋沢栄一が言うように官尊民卑の官僚政治、社会貢献意識が低い経済人、そして、日本人が投票に行かないことであると指摘されました。3.11以降、原発村が軍事村へと移行していることも指摘されました。

次に、弁護士の竪十萌子さんが憲法ママCafeについて報告しました。憲法ママCafeは2014年9月から始まり、これまでに30回ほど開始しているそうです。2014年6、7月の集団的自衛権の行使容認の閣議決定や武器輸出三原則の変更などが行なわれる中でいてもたってもいられない気持ちになり、子どもたちの将来の土台にあるのが政治であるにも関わらず、周囲のママたちは関心がないと感じ、憲法ママCafeそうです。結論を押し付けず、事実を伝えることを心がけ、参加したママたちが自分のコミュニティに広げようとしてくれているそうです。そして、もっと多くの人たちに知ってもらうために、新たなコミュニティ、団体へ広げてほしい、特に、無関心な人が多いコミュニティに広げてほしいということが提起されました。「政治は無関心ではいられても無関係ではいられない」という言葉が紹介され、真なる平和を目指して行動していくことが呼びかけられました。

最後に、弁護士の田中重仁さんが、川越市の共同行動の取り組みについて報告しました。川越では2014市労協、革新懇、憲法改正反対の会、九条の会、LOVEの会の5団体が協力し、集団的自衛権行使容認に反対する「STOP戦争をする国づくり」実行委員会が結成されたそうです。LOVE憲法川越の会とは、川越市に平和都市宣言をさせること目指して請願運動」に取り組んだ団体で、その後は毎月第1木曜日の駅頭宣伝や映画会に取り組んでいるそうです。「STOP戦争をする国づくり」は6月23日前後に沖縄連帯行動に取り組んだり、さよなら原発の会を開催したりし、2月14日には川越にある12の駅のすべてで駅頭宣伝を行なう予定だそうです。


閉会のあいさつは、肥田泰副実行委員長が行ないました。集会には1500人を超える参加があったそうです。集団的自衛権の問題はまだ多くの人が知らずにいるので、どれだけ広げられるかが鍵だということが指摘されました。そして、どんどん運動を広げていき、5月31日の1万人集会を成功させることが呼びかけられました。戦争が始まれば国民の生活、人権は抑圧されることとなり、現在でも医療費削減、医療・介護の患者負担増、防衛費増大と、今もないがしろにされていることを伝えるべきだということが提起されました。


報告は以上です。