まず、最低生活基準を切り下げようとする動きに抵抗し、労働者のいのちと健康と働く権利を守り、東日本大震災の被災地の復旧・復興が住民の立場に立った形で1日も早く実現することを目指して、声を上げていくことを提起します。
11月12日、「2014さよなら原発埼玉県民集会」に参加してきました。
この集会は、まず、午後5時から埼玉県庁から浦和駅までのパレードを行ない、それから埼玉会館大ホールにて文化行事と講演会が行なわれました。私は講演会のみ参加しました。お二人の方が講演をされたので、2回に分けてその概要をお伝えします。
お一人目は、脱原発弁護団全国連絡会共同代表の海渡雄一弁護士でした。「大飯原発差し止め判決を司法の責任」というテーマで講演が行なわれました。
まず、福島第一原発事故による強制避難命令のため、まだ生存していた地震や津波の被害者を救助することができなかった浪江町の悲劇のことが取り上げられ、こうしたことを繰り返してはならないが、政府にそれができないならば司法が責任を果たしていくべきだということが指摘されました。
津波に関しては、2002年の東京電力によるシミュレーションでは10メートルの津波が想定されていたのですが、東電が国にそれを提出したのは2011年3月7日だったそうです。そのことも隠され続け、国や東電は「津波は想定外」と主張し続けました。
脱原発のためには、国会も行政も地方自治体も機能しない状況にあります。では、司法にはどのような可能性があるのかという視点が提示されました。
これまで、原発に関しては多くの差し止め訴訟が闘われてきました。その多くに、海渡弁護士は関わってきているそうです。
1973年8月に伊方原発1号機の建設許可取り消しを求めて提訴された行政訴訟は、1992年10月に最高裁で原告が敗訴しました。しかし、最高裁は原発が深刻な事故を引き起こす恐れがあるということは認めたそうです。そして、「現在の科学技術水準に照らして」安全審査の過程に見逃すべき過誤や欠落があるかどうか判断するべきだという考えを示しているそうです。ここで重要なのは、「許可した当時の科学技術水準」ではなく、「現在の科学技術水準」だとされていることだという指摘がされました。つまり、古い科学技術水準を基準にしていたら原発の安全性は保てないので、現在の科学技術水準を基準とするべきだということです。
2003年1月には、この論理に沿った主張を原告側弁護団が行ない、もんじゅの原子炉設置許可処分を無効とする判決が名古屋高裁金沢支部で出されたそうです。「安全審査の看過しがたい過誤と欠落」が認められたことが勝訴理由だそうです。しかし、2005年5月に最高裁で逆転敗訴してしまったそうです。「安全審査の過程に間違いはあったかもしれないが、あとから動燃が実験して出してきたレポートのデータを見ると、一応、ギリギリセーフになっているから、違法性がない」と判断したそうです。
そして、2002年の中越沖地震で大きな事故を起こした柏崎刈羽原発については、2009年の最高裁は事故は高裁審理終了後のことだからとして無視したそうです。中越沖地震は、東電が想定していた基準地震動を大きく上回るものであり、原発建屋とタービン建屋が地盤沈下でずれたり、地下に水が溜まったりするなどの被害があったにも関わらず、そのことが生かされませんでした。
一方、1999年に提起された志賀原発2号機の差し止め訴訟では、2006年3月に金沢地裁で原告が勝訴したそうです。判決では、政府の地震調査委員会が原発近傍の断層帯でマグニチュード7.6程度の地震が発生する可能性を指摘していたが、被告はこれを考慮していない」という原告の主張が全面的に認められたそうです。この時、政府は「古い指針はダメだ」として新しい指針をつくろうと審議中なのに、古い指針はよいと主張することは駄目だということが指摘されたそうです。その簿、国は急いで新指針を作製し、この裁判は高裁で逆転敗訴してしまったそうです。
また、浜岡原発訴訟では、地震の時に原発を停止することができるのかということが争点となったそうです。制御棒が入らずに原子炉が止まらない可能性、重要配管が破断して炉心融解する可能性、外部電源と非常用電源がともに使えず、長時間停電する可能性などが指摘されましたが、2007年10月の静岡地裁で、「同時多発的に配管類の変形や破断が発生する現実的な可能性があるとはいえないとして、原告が敗訴してしまったそうです。もしもこの裁判に勝訴していたら、福島第一原発事故は防げたかもしれないということが指摘されました。
判決が出された日、地震学者の石橋克彦氏は、「この判決の誤りは自然が証明するだろう。そのとき、私たちは大変な目に遭っている恐れが強い」と述べたそうです。その言葉通り、福島第一原発事故が起こってしまい、有志の弁護士たちが2011年7月16日に、脱原発全国弁護団を結成することになったそうです。
そして、2014年5月21日、福井地裁で大飯原発差し止め訴訟の原告勝訴の判決が出されました。この訴訟は2012年11月に提訴され、第1回の法廷で原告の弁護団の代表として意見を述べた海渡弁護士は、これまで裁判所は原発事故を未然に防ぐことができる機会を何度も与えられていたにもかかわらずそれを活かすことができずに3.11を迎えてしまったと指摘し、福島で多くの方が被害に遭っている現実を直視し、司法としての責任を果たしてほしいと述べたそうです。福井地裁判決はそれに応える判決でした。まず、人の生命を基礎とする人格権は日本の法制化でこれを超える価値を他に見出すことはできないもっとも重要な権利であることを認め、この人格権を侵害するおそれのある原発の差し止めを請求できるのは当然であるとしました。そして、福島第一原発事故のような事態を招く具体的危険性が万が一にでもあれば、差し止めが認められるのは当然とし、具体的危険性が万が一でもあるかどうかの判断を避けることは裁判所に課された最も需要な責務を放棄するに等しいとしました。そのうえで、地震発生の機序が完全に解明されているわけではないから、想定よりも非常に大きな地震が起きる可能性は常に存在し、平成17年以後10年足らずの間に5回にわたって想定した地震動を超える地震が到来していることが指摘され、原発の安全の基盤はぜい弱であることが指摘されました。
また、ドイツでは既に1995年に、類似した論理構造によって原発訴訟に原告が勝訴していることが紹介されました。ミュルハイム・ケアリッヒ原発訴訟です。
州高等行政裁判所は、行政庁は安全基準地震動を決定するにあたり、古い記録には不正確な記述が多いことを考慮に入れず記録の正確さに対する検討を怠ったとしたそうです。高いレベルの安全性を求め、基準地震動の想定方法の不適切さを指摘している点で、大飯原発訴訟の福井地裁判決の論理と似ているということが指摘されました。
そして、飯館村民の原発事故による損害賠償を原子力紛争解決センターに求める申立て団の弁護に当たることになったということが表明されました。飯館村は避難が遅れたため、年間被曝線量が5ミリシーベルトを超えた方が800人にも及んでいるそうです。
原発を絶対止めるということは国民の共通認識であり、多くの市民が願うことを実現するのが民主主義なのですから、大飯原発判決を力に、福島の悲劇をわ忘れずに、脱原発を実現していこうということが提起されました。
最後に、「日本と原発」という映画をつくったことが紹介されました。
以上で前半の報告を終わります。