まず、最低生活基準を切り下げようとする動きに抵抗し、労働者のいのちと健康と働く権利を守り、東日本大震災の被災地の復旧・復興が住民の立場に立った形で1日も早く実現することを目指して、声を上げていくことを提起します。
6月14日放映のETV特集「本当は学びたい~貧困と向き合う学習支援の現場から~」をやっと見ることができました。
この番組は、埼玉県で活動しているNPO法人さいたまユースサポートネットの活動を紹介したものです。代表は青砥恭さん。青砥さんは元高校教師で、高校を中退した若者に聴き取りを行なってわかった中退の実態をまとめた『ドキュメント高校中退』(ちくま新書・2009年10月10日発行)の著者です。
私は埼玉県の委託事業の「アスポート」と混同してしまっていたのですが、さいたまユースサポートネットは生活保護家庭以外の子どもも支援しているので「アスポート」の対象とはならず、公的な支援は受けずに寄付だけで運営しているのだそうです。
さいたまユースサポートネットは10代から30代の若者を対象に、自由に過ごせるたまり場と学習支援を行なっています。どちらも無料で、学習支援は職員と学生、ボランティアがマンツーマンで対応しています。集まる若者の半分は貧困状態にあるそうです。
先進国では格差による相対的貧困が問題となっているということが指摘されました。一般的な家庭の子どもは塾や習い事に行き、携帯電話を持つのが普通になっていますが、貧困家庭の子どもはそういったことが不可能です。学校の授業も塾に行っていることが前提の速度で進められてしまい、塾に行けない子どもはついていけなくなってしまうそうです。
また、ずっとわからないことを責められてきた子どもたちが「わからない」ということを口にするのは大変なことなので、安心して「わからない」と言える場所をつくらなければならないということを青砥さんはおっしゃっていました。そして、番組に登場した不登校の中学生の女の子は、絵が好きだということから絵画教室をたまり場で行なうようになり、そこから高校に行って美術部に入りたいという目標が生まれ、学習支援を受けて学び直しを始めるという経緯があったことが紹介されました。彼女は約1年に渡って学習支援を受けながら受験勉強を頑張り、青砥さんは彼女の面接練習を手伝い、見事彼女は高校に合格したのです。
けれど、高校に進学すると、授業料以外にも3年間で115万円の費用が掛かるそうです。彼女の家は母子家庭で、母親は病気のためにフルタイムでは働けず、生活に余裕はありません。頑張って高校に合格してもそこでゴールではなく、その先にも乗り越えなくてはならない困難があるのです。
実際、番組では、働きながら学ぼうとしても、様々な困難を抱えて諦めてしまいそうになる若者の姿も紹介されていました。貧困家庭の子どもや若者は、経済的困難だけでなく、複数の問題を抱えていることが多く、一つの困難を乗り越えてもまた次の困難が出てくるのです。虐待・DV、病気や障害、不十分な衣食住、孤立・排除、勉強する環境がないこと、支援制度の不備などです。
青砥さんは、そうした様々な困難を抱える子どもたちや若者たちに、粘り強く呼びかけ続けています。
頑張って高校合格という目標を達成した女の子の喜びには素直に共感しましたが、その先にはまた新たな困難があるという現実には打ちのめされました。高校の授業料無償化が実現しました(その後、所得制限が設けられましたが)が、授業料以外の諸費用も経済的困難を抱える家庭にとっては重い負担であり、高校卒業まで無事に通い続けることができるようにするためには、公的な支援をもっと充実させる必要があると感じました。
高校卒業という学歴は、現在はあって当たり前と思われているものであり、中卒の学歴では賃金が安いうえにきつい仕事しか得られません。貧困家庭に生まれて学習にハンデを負っている子どもたちは、学歴を得ることも困難であり、その結果として低賃金の仕事にしか就くことができず、貧困の連鎖が続いていくことになります。この連鎖を断ち切るためには、個人個人の努力だけに任せるのでは不可能であり、公的な対策を行なうしか方法はないと思います。
困難を抱えている人たちが困難から抜け出すためには、ボランティアによる心の通った支援ももちろん必要ですが、公的な支援が底支えするからこそ、ボランティアの支援がより豊かに行なえるようになるのではないかと思います。
政府の言葉を借りると、「自助」と「共助」を基本として足りない部分を「公助」で賄うのではなく、「公助」で必要最低限の土台を築き、その上に「自助」と「共助」を重ねていくべきだと考えます。