第59回日本母親大会 シンポジウム「人権としての社会保障の実現を」 後半 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、最低生活基準を切り下げようとする動きに抵抗し、労働者のいのちと健康と働く権利を守り、東日本大震災の被災地の復旧・復興が住民の立場に立った形で1日も早く実現することを目指して、声を上げていくことを提起します。



8月25日に参加した、第59回日本母親大会の分科会No.24シンポジウム「人権としての社会保障の実現を」の報告の後半です。


昼食休憩を挟み、文化行事として貫井囃子を鑑賞した後、シンポジウムの後半が始まりました。

後半では、まず、コーディネーターの井上さんが「大震災・貧困をこえて-住み続ける権利」というテーマで発言しました。現在の貧困の問題を、震災を経て国民生活が直面している苦難と捉え、それをこえてどのような国をつくっていくかということが問題提起されました。井上さんは、それは新たな福祉国家であり、人権保障、とりわけ社会保障が重要であると述べました。保障されるべき人権の一つとして、自分が選んだ場所で住み続ける権利があります。そして、人権の基礎、基底的な人権は平和的生存権であり、それは憲法前文で”等しく恐怖と欠乏から免れ”と表現されていますが、”恐怖”とは戦争、テロ、暴力などを指し、”欠乏”は貧困であるということが指摘されました。それらから免れるためにあるのが憲法9条と25条であり、この二つの条文は一体のものであるということが述べられました。

しかし、現在では命が軽く扱われています。つまり、生命権、平和的生存権が侵害、剥奪されている状況です。震災の被害に対して、「行政のできることには限界である」と言われていますが、これは公的責任の放棄であり、「つながり」や「絆」、「寄り添い」、「見守り」といったことが強調されていますが、周囲の人たちだけではどうにもならない状況です。また、餓死や孤立死が増加していますが、札幌市白石区の姉妹の孤立死についての調査では、白石区の職員に深刻な様子はまったくなかったそうです。そうした無責任社会となっているのが現状です。

白石区に対しては、正規で専門家でのケースワーカーの増員を要求したそうです。ケースワーカーは、生活保護の利用者が自分で自分の生活を決めるという本当の意味での自立、独立政策を送るために必要な、重要な仕事です。そうしたケースワーカーや、医師、看護師などの、人権を守るために必要な公務員は増やすべきだということが提起されました。

人権保障がきちんとされていない事例として、国民皆保険のはずなのに無保険者が存在することや、たまゆらの火災のことが挙げられました。

また、きちんとした保障制度がないのであれば、制度、法律を変えればいいのですが、マニュアルや法律を守ることに懸命になっているということが指摘されました。東日本大震災で多くの津波被害者が出た小学校では、マニュアルがないからと避難ができなかったとしており、考える力がないことが問題だということが指摘されました。ここで、スマトラ沖地震の被害の状況を伝える写真が映し出され、むごい現実を知るべきだということも述べられました。

ここまではパワーポイントを用いての発言で、ここからはレジュメ「改憲を問う! 憲法改正と人権としての社会保障」に基づいて発言が行なわれました。

憲法25条は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有するという「国民の権利」を保障し、国は社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならないという「国の義務」を規定しています。社会保障制度審議会も憲法25条を、「これは国民には生存権があり国家には生活保障の義務があるという意である」と認め、「これはわが国も世界の最も新しい民主主義の理念に立つことであって、これにより旧憲法に比べて国家の責任は著しく重くなったといわねばならぬ」と言い切っているそうです。しかし、現状を見ると、憲法25条は社会保障制度改革推進法によって既に改悪されていると言わざるをえないということが指摘されました。

社会保障制度審議会は、国への勧告権があり、社会保障の当事者を代弁する立場の人たちの一定の参加ありました。しかし、社会保障改革を論議する「国民会議」は、財界の代表や御用学者、コンサルタント会社などで構成され、当事者の意見を全く無視しているそうです。そして、「自助・共助・公助」論を前提としおり、社会保障を「国家の義務」から恩恵、支援・援助へと変質させ、明治時代の考え方に逆戻りしているということが指摘されました。

明治時代の考え方とは、1884年、明治7年につくられた恤救規則です。この法律は生活保護の制度を定めたものですが、国家の義務も国民の権利も規定されておらず、「不良なるものは保護しない」というものであり、国庫負担も定められていませんでした。その後、1929年に国家の義務を定めた救護法がつくられて国庫負担が5割とされ、1946年には旧生活保護法が制定され、国庫負担は8割とされました。1950年に現行の生活保護法に改正され、国民の義務と国民の権利が規定され、「単に貧困である」ことを条件にすべての国民を保護の対象とする一般扶助主義が明記されました。これを、国家の義務も国民の権利も規定されていなかった1884年に戻そうとしているのが現在の政府です。

しかし、井上さんは、世界の人権保障の発展を見れば、憲法25条もすでに時代遅れとなっており、さらに豊かな水準を提起している国際条約を批准し、国内法をその基準に合わせて整備していくべきだと指摘しました。世界屈指の経済力と「豊かさ」を誇る現在の日本が、いつまでも「最低限度」の保障に留まっていていいはずがないということも指摘されました。


ここで、パネリストからの発言がありました。

板垣さんは、震災とたまゆらの問題の共通点が「住まい」の問題があると述べました。「住まい」があると生活保護が利用できず、家を処分することを求めれますが、家を手放すとどんどん転落していってしまい、落ちてしまう手前で支援が入っていれば立ち直れるということが指摘されました。また、生活保護受給後の「住まい」の問題として、生活保護受給者は不動産屋に相手にされないか、福祉ご用達の不動産屋の劣悪な物件しか借りられないが、一方で都内には空き家がたくさんあり、行政が需要と供給を結びつけられるはずだということが提起されました。また、生活保護は理念は立派だが、運用面で人が足りなかったり、柔軟性がないことが問題だということが指摘されした。

井上さんは、北欧は先に原理原則を立てるが、日本は原理原則に合わせて現実を変えるのではなく、現実に合わせて原理原則を変えようとするということを指摘しました。

宇都宮さんは、2008年末の派遣村以前は住民票がないと追い返されたが、多重債務者は取立てに見つからないようにほとんど住民票を動かしておらず、さいたま市での孤立死者も、住民票を移していなかったので多重債務者であった可能性があり、福祉事務所には行っておらず、自分達は受けられないと思っていたのではないかと述べました。大阪の母子の餓死者も住民票がなく、相談には行っていなかったそうです。野宿者に対しても、仕事を見つけなさいと追い返してきたということがあったそうです。派遣村では、300人ほどが生活保護を申請することができ、この後しばらくは窓口で追い返されることがなくなったそうです。また、家と土地を持っていても、すぐに換金できないならば所有していても生活保護が受けられます。今問題となっているのは自動車の所有ですが、障害者には認められているそうです。運動によって、少しずつ認められることが増えてきています。

また、生活保護費の4分の1が自治体の負担になっていることから、一ヶ所に申請が集中すると自治体が負担できず、すんでいる地域によって生活保障が左右されてしまうので、全額国庫負担にすべきだということが提起されました。日本は「人間らしい住まいに住む」ということが十分に保障されておらず、家賃補助など、国全体で「ハウジングプア」の問題に真剣に取り組むべきだということが指摘されました。

会場からの発言では、生活保護バッシングや保護費の切り下げに負けず、怒りの審査請求を行なっているということが述べられました。

井上さんは、裁判によって口頭申請や自己決定、車の使用などを認めさせてきたことを述べました。しかし、生活保護改悪法は、今まで盾にしてきた法律そのものが変えられてしまうということであり、違憲立法に基づく無効訴訟を計画していると述べました。憲法や生活保護法を読むべきということも提起されました。そして、憲法97条で、基本的人権とは「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」であると書かれており、マッカーサーがつくったのではなく人類がつくった憲法であると指摘しました。また、憲法を保持するための不断の努力が国民の義務であるということも提起しました。


最後に、それぞれのパネリストのまとめの発言が行なわれました。

板垣さんは、「どうすればいいのか?」という問いに解はないが、和歌山県の自殺防止のNPOが、助けた人のほとんどが経済的に追い詰められた人であったことから、礼拝堂を提供して生活保護を利用する支援を行なっていることを紹介しました。そして、自殺未遂者が元気になるのは自分が認められたとき、仕事をして感謝されたときなどであり、生活保護では救えない部分を人の知恵で救っていくべきだと述べました。

宇都宮さんは、日本の憲法は「押し付け」と言われているが、GHQがつくった試案をもとに、1946年の国会で審議してつくられたものであり、憲法25条はGHQ案にはなく、国会での議論の中で付け加えられたものだということを述べました。二院制も同様であり、それは国会で活発な議論が行なわれたことを示していると指摘しました。そして、個人の権利、尊厳が最大に尊重される社会をつくるには平和でなければならず、人権を守るために国があるのだということを指摘しました。自民党の改憲案ではそれが逆になっているということも指摘されました。日本国憲法の人権保障は国際人権規約とも共通しており、人権を守るためには国際機関にも訴えることができるということが述べられました。また、国民の人権を守るために憲法が国の権利を制限するというのが立憲主義の考え方であり、自民党案はそれらに逆行しているということも述べられました。そして、諸外国では労働者の権利を教えるために労働組合の作り方を教え、表現の自由や集会結社の自由を教えるためにデモのやり方などを教えており、日本でも権利の行使の仕方を教えるべきだと提起しました。

井上さんは、人権は誰であろうと認められるべき最高位の権利であり、憲法はそれを保障していると述べました。そして、日本の人権についての常識は世界の非常識であり、世界の常識に合わせて日本を変えていくべきだと提起しました。

そして、最後に分科会の司会から、憲法を守るために憲法を大いに活用していくことが提起されました。


以上でシンポジウムの報告を終わります。