改憲の危機に直面して | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

まず、東日本大震災の被災地の復旧・復興が、住民の立場に立った形で、1日も早く実現することを祈念致します。



選挙期間中なので特定の政党の名前は挙げませんが、今回の総選挙では改憲を是とする政党が過半数を取る見込みが高いことが新聞などの調査で判明しています。ひょっとすると複数の政党が合意することによって、改憲の国民投票実施に必要な3分の2以上の国会議員の賛成も得られてしまうかもしれません。

かつてないほどの改憲の危機に直面していると言えるのではないでしょうか。



改憲の危機というと、一般的に最初に思い浮かぶのは9条です。

確かに、「自衛隊を国防軍に」とか、「集団的自衛権の行使を可能に」とか、きな臭いことが言われています。

改憲の要件である国会議員の3分の2以上の賛成を、2分の1以上に改定し、改憲のハードルを低くしようとする改憲案も気になります。


ですが、一番注意しなければならないのは基本的人権の制限に当たる改憲案だと思います。

具体的に言うと、人権の行使における調整の原則を表現した「公共の福祉」という言葉を、「公益及び公の秩序」という言葉に置き換えようという改憲案です。

これはもう多くの人が取り上げていることだと思いますが、「公共の福祉」というのは、個人個人が人権を行使しようとする際にお互いの人権が衝突してしまう事態が生じた場合、より人権が尊重される方向で解決しようとする概念です。”公”という言葉がつくので「公益及び公の秩序」と似たようなものなのではないかという誤解がされるかもしれませんが、「公共の福祉」というときの”公”は言わば人間全体、一人一人の基本的人権を持つ人間の集まりを指すものです。「公益及び公の秩序」というときの”公”は”国家”であって、「公共の福祉」は、国家が決めて押し付けられる”国の利益”や”国の秩序”とは全く相容れない概念です。

もしも憲法における「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」に置き換えられることになれば、国家によって人権が不当に制限されることになるのは火を見るより明らかです。これは、本来は暴走する国家権力を制限して国民の人権を守るために存在する憲法が、全く反対の役割を持つものに変貌してしまう改憲案だと言っても過言ではないでしょう。


そして、基本的人権が国家によって不当に制限されることになった場合、私たち国民は国家が誤った方向に向かうとするときにそれに歯止めをかけるための手段を失うことになります。

表現の自由、集会・結社の自由、請願やデモなどの行動をする権利は、単に国民が自由に言いたいことややりたいことをできるようにするというだけではなく、国家が誤った方向に向かおうとするときに歯止めをかけるための重要なツールなのです。それが制限されることになれば、最早悪政を留めることはできません。

たとえ憲法9条が改正されたとしても、私たちに自由が保障されていれば、具体的に戦争に参加するような動きが起こった場合、署名やデモや集会や、行動に訴えて止めることができるかもしれません。ですが、そうした行動の自由が制限されれば、止められる可能性すら失われてしまう訳です。



国家の誤りに歯止めをかける方法を失わないようにするためにも、この改憲の動きを止めなければならないと思います。