戦争被害者のPTSD(毎日新聞より) | 労働組合ってなにするところ?

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2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

労働問題で書きたいことが多々あったため、「戦争と平和」についてのエントリーがついおろそかになってしまっていました。昨日は太平洋戦争開戦の日ということで、戦争被害について考察する記事がいくつか見られました。その中で、毎日新聞の記事をご紹介したいと思います。引用部分は青で表記します。



記者の目:放置される精神病んだ被爆者     牧野宏美

毎日新聞  2008年12月9日

http://mainichi.jp/select/opinion/eye/news/20081209k0000m070127000c.html


 太平洋戦争開戦から8日で67年が経過したが、いまだに戦争による心の傷に苦しみ続ける人たちがいる。厚生労働省は10月、旧軍人・軍属で、戦地での体験などから精神障害を患い、現在も治療中の人が07年度末現在で全国に77人(うち入院者は42人)いると明らかにした。しかし、この数は戦争で精神を患った人の一部を示すに過ぎない。精神科病院に長期入院する原爆の被爆者らを取材し、今なおやむことのないうめきを聞いた。戦争の実相を知るため、戦争と精神障害の関係は十分に研究されるべきだが、患者らは放置されたまま次々と亡くなっており、問題は歴史の闇にうずもれようとしている。


 広島県内の病院の協力で、初めて足を踏み入れた精神科病棟は静まり返っていた。見舞客の姿はない。「家族が会いに来るのを見たことがない患者さんが、大勢います。見捨てられているんですよ」。院長がため息交じりにつぶやいた。

 被爆から18年後に統合失調症と診断され、45年間入院している女性(86)に会った。被爆と精神障害の関係は医学的には未解明だ。だが、女性の兄嫁(79)を訪ねると、今年3月に亡くなった夫=女性の兄=は、「惨状を見たショックが関係しているはずだ」と常々語っていたという。

 女性に被爆体験を聞いていると、途中で黙り込み、うなだれた。被爆場所から、自宅へ歩いて帰る様子を話しかけた時だった。日を改めて再訪しても、同じところでつまずいた。何があったのか。女性の元同僚や親族を訪ね歩いたが、分からずじまいだった。

 取材を終え、大阪へ戻ろうとする際のことだ。「家に帰らせてください」と、女性が私に何度も頭を下げて頼む。私はその場に立ちつくすしかなかった。


 広島支局で原爆の取材をしていた3年前、妹の死の間際の出来事に苦しみ続け、精神状態に変調を来しているとしか思えない男性と出会った。被爆直後、かすかに息のある幼い妹を見つけた。壊滅した街で救う手だてはない。せめて苦しみを除きたかったという。

 「介錯(かいしゃく)のつもりで缶詰の汁を口に流し込み、窒息死させた」と、男性は証言した。ところが、すぐに「何もしなくても息絶えていたはずだ」と前言を翻した。6時間近く話したが、うつろな表情で堂々巡りをするばかりだ。翌日に出直したが、また堂々巡りを繰り返した。男性は虚実の入り乱れる世界を漂っていた。

 「私も原爆で死んでいればよかった」。男性は最後にうめくように声を絞り出した。その暗く重い声を、私は一生忘れないだろう。


 旧軍人・軍属の戦傷病者は戦傷病者特別援護法に基づき、一定程度以上の障害や療養の必要がある場合、戦傷病者手帳が交付されて医療給付などの援護を受けられる。国はこの医療給付受給者(07年度末で983人)のうちの精神障害者数は把握している。しかし、恩給法に基づく傷病恩給受給者(同22万9682人)や、戦傷病者戦没者遺族等援護法に基づく障害年金受給者(同2339人)では傷病別の人数は把握しておらず、どれだけの人が精神を病んだのかはわからない。

 「ヒバクシャの心の傷を追って」の著書がある精神科医の中沢正夫さん(71)によると、第一次世界大戦で兵士に精神的破綻(はたん)者が続出し、「戦争神経症」「戦闘疲弊症」として一定の把握はなされたという。ベトナム戦争帰還兵に同様の後遺症が多発したため、米国ではPTSD(心的外傷後ストレス障害)の概念も生まれた。しかし、日本で心の傷が広く注目されたのは阪神大震災が契機とされ、戦争体験者が対象の研究は長年放置されてきたといえる。

 なかでも被爆者ら民間人の精神的被害となると、長崎の一部地域を除いて把握すらされなかった。広島市は今年度から、ようやく原爆による精神的影響の調査に乗り出した。今夏の平和宣言で、広島市の秋葉忠利市長は「被爆者の心身を今なお苛(さいな)む原爆の影響は永年にわたり過小評価され」てきたと語った。原爆だけでなく、各地で空襲を受けるなどした民間人の被害も同様に放置されてきたと言える。


 今となっては、調査に乗り出しても全容解明は難しい。患者や関係者が次々と死亡しているからだ。しかし、精神科病棟の女性の兄嫁が年金から仕送りを続けるように、親族にとって患者を抱える負担は重く、社会的救済について議論が必要だ。また、この兄嫁は「戦争を後世に伝えるのに、少しでも役に立つなら」と重い口を開いてくれた。これからでもできる限り戦争の実相を記録し、未来への教訓につなげるよう努力しなければと考えている。



私が被爆の問題について考えるようになった原体験として、小学校一年生くらいの頃に原爆の記録映画を見たということを書いたことがあると思います。その時のことを思い返すと、あの惨状を実際に見て、体験して、そう簡単には普通の精神状態に戻ることはできないだろうと想像できます。被爆以外の戦争被害についても、精神的に影響がない訳がないでしょう。ですが、確かにその精神的被害についてはあまり問題にされてきていませんでした。

文学や映画といった分野では精神的な影響について踏み込んだものもありましたが、それは被害者の苦しみを伝えはしても、「被害」という何らかの対応を必要とするものとして捉えるものにはなっていないと思います。

今まで目が向けられてこなかった戦争の精神的被害の問題を掘り起こしてきた記者の目に称賛を送り、今後の記者活動に期待したいと思います。