高遠菜穂子さんの「戦争と平和 それでもイラク人を嫌いになれない」 その2 | 労働組合ってなにするところ?

労働組合ってなにするところ?

2008年3月から2011年3月まで、労働組合専従として活動しました。
現在は現場に戻って医療労働者の端くれとして働きつつ、労働組合の活動も行なっています。

あまり知られていない労働組合の真の姿(!?)を伝えていきたいと思います。

続きまして、拘束後の経過をまとめました。

議論の根拠とするためにまとめたものなので、会話の詳細や感情の部分は省いています。関心のある方はご自分でお読みになって確かめてください。


〔拘束後の経過〕
・武装グループとの会話から、彼らが反米武装勢力であり、「日本人はアメリカのスパイ」と考えていることがわかった。(高遠さんはアラビア語の日常会話ができる)
・高遠さんは武装勢力に自分達はスパイではない、日本の軍人ではない、ストリートチルドレンの支援や病院に薬を運ぶ活動をしている、同行している二人はフリージャーナリストだと説明した。
・別の車に移されて移動している間に目隠しをつけるように指示され、従った。車を下ろされ、建物の中に入ってから目隠しをとることが許可された。
・武装グループの通訳から「スパイなのか?」と質問され、高遠さんは自分がファルージャ総合病院などへ薬を運ぶ活動をしており、病院のドクターに聞いてくれればそれが確認できると説明したが、病院に近付くことはできないので不可能だと言われた。そのため、予約していたバクダッドのホテルに勤めている知人に確認してほしいと話した。
・通訳から食べたいものはあるかと尋ねられ、食欲はなかったのでイラクの料理についての知識を話した。イラクへの友好的な感情を示すため、出された食事もおいしいと言って食べた。
・武装した男達に囲まれた状態で、ビデオカメラが用意され、通訳から「あなた達の命は保障する。その代わり、悪いが泣いてくれないか?」と言われた。意味がわからず混乱していると、日本の大統領の名前を訊かれた。大統領はいないが小泉という名前の首相がいると答えると、目隠しをされた。何かを蹴ったり叩いたりする音と、今井さんの「イテッ!」という声が聞こえた。男達は「ノー、コイズミ!」と叫び始めた。高遠さんはナイフと思われる硬い物を喉元に押し付けられ、恐怖にかられ「ノー、コイズミ」と合わせて叫んだ。郡山さんも同じようにされた。
・目隠しを外された後、通訳にまた「悪いが、泣いてくれ」と言われ、直後に今井さんがサーベルで殴られた。武装グループは「クライ!」と叫びながら高遠さんを蹴り始め、恐怖がピークに達して泣き出してしまった。
・その後、通訳とリーダーは高遠さんに謝った。武装した男達も「ソーリー」と言った。

以上が、一部のネット言説で「狂言」と言われた経過をご本人が説明したものの要旨です。



・再び目隠しをされて車で移動させられ、民家の一室らしき場所に移された。移動の間、頭を低くした姿勢を強要され、苦しくて頭を上げようとすると殴られた。
・移動後、通訳から宗教を尋ねられ、仏教徒だと答え、仏教についてなどを話した。
・翌日は何度も移動を繰り返す。初日には通訳が「明日か明後日には解放する」と言ったが、それが4月9日には「三日後」に延ばされた。移動中は乱暴に扱われたが、それ以外では軟禁状態であることを除けば待遇は悪くなく、食べ物も飲み物も与えられていた。
・高遠さんは2003年に日本人の知人がイラクで米軍に10日間拘束されていたことがあったが日本では全く報道されなかったため、自分達の行方不明が日本で報道されていることもないだろうと思っていた。(この時点では、自分達が自衛隊撤退要求のための「人質」とされていることは知らなかったので、「行方不明」と伝えられているだろうと予想していた)
・4月14日、バグダッドに今日行くと言われ、移動を再開。取り上げられた荷物が返されるのを待っている間に、ニュースで日本にいる家族が署名活動を行っていることを初めて知った。同時に、初日に撮影されたビデオ映像が日本で放映されたことも知らされた。
・移動を繰り返す間にいくつかのグループを経由したらしく、荷物のうちの貴重品はほとんど戻って来なかった。
・4月15日、軟禁を解かれ、イスラム聖職者協会のクベイシ師に会った。その後、アルジャジーラテレビの取材を受け、高遠さんはイラクへの支援を続けたいと答えた。
・取材後、日本大使館の職員が訪れ、大使館へ移った。そこで初めて、武装勢力が自衛隊の撤退を日本政府に要求し、その人質が自分達だったことを知らされた。(前述の通り、高遠さん達は自分達が「行方不明」として報道されているだろうと予想していた)
・大使館員達は三人の無事を喜んでくれた。高遠さん達は彼らの疲れた様子を見て、「すみませんでした」と頭を下げた。
・宿泊所に案内されてシャワーを浴びた後、警察庁の職員から2時間半に渡る事情聴取を受けた。聴取後、「もう子どもじゃないんだから、僕にはいいですけど日本に帰ったらよく謝った方がいいですよ」と言われた。
・日本国際ボランティアセンターから電話が入ったので、「反日感情が予想以上に強くなっているので、いまは入らない方がいい」とイラク入りする予定のNGO関係者とジャーナリストに伝えてほしいとお願いした。
・4月16日、NHKニュースで小泉首相が「これだけ多くの人が救出に努力しているのに、そういうこと(イラクでの活動継続)を言うのか、もっと自覚を持ってもらいたいね」と怒っているのを見た。
・同日、ドバイへ移動。救急車で病院へ向かい、病院前で初めて報道陣がひしめいているのを見た。病院では血圧がかなり高めとわかり、精神安定剤と導眠剤を処方された。
・医務官からインターネットニュースをプリントアウトしたものを受け取り、武装グループが出していた声明文などを初めて読んだ。
・日本から迎えに来た弟と再会。家族が自衛隊を撤退させないと人質を殺すという要求を知ってパニックになっている時に、即政府から『撤退しません。テロには屈しません』という発表をされて焦ったこと、ピースボートの吉岡さんがアルジャジーラに出演して解放を訴えたことなどのNGOの救出の動きが迅速だったこと、日本のマスコミは「自己責任」に集中していることなどを教えてもらった。
・医者から「PTSD(心的外傷後ストレス障害)の恐れあり」と診断され、記者会見には弟が出席することになった。お詫びとお礼の文を書き、弟に託した。


以上が、解放までの経過の高遠さんからの説明でした。